臨終に際して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 14:43 UTC 版)
前年の暮れに死期を悟った清拙は南禅寺住持を辞し、退去先の建仁寺禅居庵で最期を迎えた。清拙は禅林において百丈懐海の命日に営む仏事「百丈忌」を設けたが、正月17日は奇しくも百丈の命日であった。伝えるところでは清拙は最期の日を迎えてもいつもと変わらぬ様子であったが、土岐頼貞親子らに永訣の意を表し形見と遺偈を与えたのち、侍者に末期の句を会すと述べ、絶句する侍者をよそに「今日は百丈和尚の命日なり、吾将に行かん」と大笑、そして集まった弟子たちに説法したのちこの遺偈を書し、筆をなげうって示寂したという。 遺偈は「棺(龕)割の墨跡」の名で世に知られる。これは臨終に間に合わなかった弟子のために、清拙が棺を割って眼を開いて法を授けたのち、再び眼を閉じたという釈迦涅槃の説話のごとき伝説にちなむ。現在は常盤山文庫(神奈川県鎌倉市)の所蔵に帰し、国宝に指定されている。
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