江戸幕府将軍の上洛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:29 UTC 版)
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が征夷大将軍の宣下を受け、江戸幕府を開いた。江戸幕府の将軍では、徳川家康・徳川秀忠・徳川家光の三代、のち第14代将軍の徳川家茂 が上洛した。 家光までの三代は、勅使による将軍宣下を京都伏見城で受けていたため上洛したが、第四代の家綱は若年であったため勅使が江戸へ下向して宣下を受けた。以降これが慣例となった。家光の将軍宣下の上洛の際は外様・譜代ら諸藩を合わせて総勢で30万7千人の軍勢であったとされている。 現在の二条城 は、在京中の将軍の宿所として徳川家康が造った城である。 家光は上洛途上の将軍宿所として近江国に水口城を築いているが、以上の理由により一度しか使用されていない。 徳川御三家の尾張藩の名古屋城では、将軍上洛の際の宿所として本丸御殿が築かれた。この御殿はあくまで将軍や大御所のための宿泊所とされ尾張藩が管理し、故に尾張藩主は江戸時代を通して二の丸御殿を使用していた。
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