江戸幕府の新番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:26 UTC 版)
3代将軍家光の時に、本丸御殿の表と中奥の間に位置する土圭間(時計が置かれた部屋)に勤番所が置かれたため最初は土圭間組と呼ばれ、また近習番とも呼ばれた。その後、桔梗の間、桐の間等を移動後、新たに置かれた新番所に落ち着いている。江戸幕府にあっては五番方(書院番・小姓番・大番・小十人・新番)のひとつで、特に将軍の江戸城外出時に隊列に加わり、警護に当たったほか、武器の検分役などの役目もあった。新番の責任者である新番頭は、役高2,000石であるが、5,000石級の旗本から選任されることもあった。新番衆の役高は250石(俵)であり、書院番衆・小姓番衆より50石(俵)少ないが、軍役上、馬を常時用意する義務がないのが特徴である。ただし、馬上資格は認められている。大番と同じく出世は限られていた。
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