江戸幕府の徒目付とは? わかりやすく解説

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江戸幕府の徒目付

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 14:11 UTC 版)

徒目付」の記事における「江戸幕府の徒目付」の解説

江戸幕府の場合交代江戸城内の宿直行った他、大名江戸城登城の際の監察幕府役人江戸市中における内偵などの隠密活動にも従事した伝承によれば元和9年1623年徳川家光征夷大将軍として江戸城本丸移った時、道の途中で欠伸をしていた者を無礼であるとして討ち取った草履取り賞して任じたのが最初とされている。定員享保3年1718年)に40名となり、幕末期には80となっており、享保6年1721年)には役高100俵5人扶持定められている。 また、徒目付の上には役高200俵の徒目付組頭3名が置かれていた。徒目付番所江戸城本丸御殿玄関右側設置され、その奥に組頭執務室置かれていた。他に目付部屋2階詰め組頭がおり、老中若年寄から目付経由して命令伝えられ、それを番所伝えた命令受けた徒目付自身および配下小人中間黒鍬者などを駆使して職務あたった。特に隠密専門担当する「常御用」と呼ばれる3・4名の徒目付存在し内容によっては老中人払いの上直接命令を下すことがあった。徒目付小人目付遠国勤務下級役人から任じられたが、後には小普請世話役や表火之番、徒などからも登用され徒組頭や闕所物奉行林奉行油漆奉行畳奉行などに昇進することができた。

※この「江戸幕府の徒目付」の解説は、「徒目付」の解説の一部です。
「江戸幕府の徒目付」を含む「徒目付」の記事については、「徒目付」の概要を参照ください。

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