江戸幕府の御側御用人
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江戸幕府における御側御用人は、征夷大将軍の側近であり 、将軍の命令を老中らに伝え、また、老中の上申を将軍に取り次ぐ役目を担った。将軍近侍職の最高位にあたり、従四位下に叙任せられる。 5000石級の旗本で、将軍の側衆として枢機に与る者の中から選任され、特に重要事項の伝奏を役目とした。 江戸時代初期には徳川家康に秋元泰朝と松平正綱が近侍しており『藩翰譜』では「御近習出頭役」と呼ばれ、側用人の源流といわれる。 牧野成貞が天和元年(1681年)12月に御側衆から「御側御用人」に補任されたのが側用人の始まりとされる。 幕閣である老中以上の実権をふるうものも多く、柳沢吉保のように正式に老中の上席(大老格と呼ばれる)の与えられたり、田沼意次のように老中に転じた者もいる。間部詮房はそのいずれにもあたらないが、在任の後半は将軍が3~6歳であったため、その意志代行者として最高権力を手にしていた。 言語障害があったといわれる9代将軍家重が就任すると、彼の不明瞭な言葉が解るのは近習の頃からの側近だった者に限られたため、そのうちの一人である大岡忠光が登用された。 御側御用人一覧 牧野成貞:1680年(延宝8年) - 1695年(元禄8年) 松平忠周:1685年(貞享2年) - 1690年(元禄3年) 喜多見重政:1686年(貞享3年) - 1689年(元禄2年) 太田資直:1686年(貞享3年) 宮原重清:1688年(貞享5年) - 1688年(元禄元年) 牧野忠貴:1688年(元禄元年) 南部直政:1688年(元禄元年) - 1689年(元禄2年) 柳沢保明:1688年(元禄元年) - 1709年(宝永6年) 金森頼旹:1689年(元禄2年) 相馬昌胤:1689年(元禄2年) - 1690年(元禄3年) 畠山基玄:1689年(元禄2年) - 1691年(元禄4年) 酒井忠真:1693年(元禄6年) 松平輝貞:1694年(元禄7年) - 1709年(宝永6年) 松平信庸:1696年(元禄9年) - 1697年(元禄10年) 戸田忠時:1704年(宝永元年) - 1706年(宝永3年) 松平忠周:1705年(宝永2年) - 1709年(宝永6年) 間部詮房:1706年(宝永3年) - 1716年(正徳6年) 本多忠良:1710年(宝永7年) - 1716年(正徳6年) 石川総茂:1725年(享保10年) - 1733年(享保18年) 大岡忠光:1756年(宝暦6年) - 1760年(宝暦10年) 板倉勝清:1760年(宝暦10年) - 1767年(明和4年) 田沼意次:1767年(明和4年) - 不明 水野忠友:1777年(安永6年) - 1780年(天明元年) 松平信明:1788年(天明8年) 本多忠籌:1788年(天明8年) - 1790年(寛政2年) 戸田氏教:1790年(寛政2年) 水野忠成:1812年(文化9年) - 1818年(文化14年) 田沼意正:1825年(文政8年) - 1834年(天保5年) 堀親寚:1841年(天保12年) - 1845年(弘化2年) 水野忠寛:1859年(安政6年) - 1862年(文久2年)
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