江戸幕府の御側御用人とは? わかりやすく解説

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江戸幕府の御側御用人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:20 UTC 版)

側用人」の記事における「江戸幕府の御側御用人」の解説

江戸幕府における御側御用人は、征夷大将軍側近であり 、将軍命令老中らに伝えまた、老中の上申を将軍取り次ぐ役目担った将軍近侍職の最高位にあたり従四位下に叙任せられる5000石級旗本で、将軍側衆として枢機与る者の中から選任され、特に重要事項伝奏役目とした。 江戸時代初期には徳川家康秋元泰朝松平正綱近侍しており『藩翰譜』では「御近習出頭役」と呼ばれ側用人源流といわれる牧野成貞天和元年1681年12月御側衆から「御側御用人」に補任されたのが側用人始まりとされる幕閣である老中上の実権をふるうものも多く柳沢吉保のように正式に老中の上席(大老格と呼ばれる)の与えられたり、田沼意次のように老中転じた者もいる。間部詮房はそのいずれにもあたらないが、在任後半将軍が3~6歳であったため、その意志代行者として最高権力を手にしていた。 言語障害があったといわれる9代将家重就任すると、彼の不明瞭な言葉解るのは近習の頃からの側近だった者に限られたため、そのうち一人である大岡忠光登用された。 御側御用人一覧 牧野成貞1680年延宝8年) - 1695年元禄8年松平忠周1685年貞享2年) - 1690年元禄3年喜多見重政1686年貞享3年) - 1689年元禄2年太田資直1686年貞享3年宮原重清:1688年貞享5年) - 1688年元禄元年牧野忠貴1688年元禄元年南部直政1688年元禄元年) - 1689年元禄2年柳沢保明1688年元禄元年) - 1709年宝永6年金森頼旹1689年元禄2年相馬昌胤1689年元禄2年) - 1690年元禄3年畠山基玄1689年元禄2年) - 1691年元禄4年酒井忠真1693年元禄6年松平輝貞1694年元禄7年) - 1709年宝永6年松平信庸1696年元禄9年) - 1697年元禄10年戸田忠時1704年宝永元年) - 1706年宝永3年松平忠周1705年宝永2年) - 1709年宝永6年間部詮房1706年宝永3年) - 1716年正徳6年本多忠良1710年宝永7年) - 1716年正徳6年石川総茂1725年享保10年) - 1733年享保18年大岡忠光1756年宝暦6年) - 1760年宝暦10年板倉勝清1760年宝暦10年) - 1767年明和4年田沼意次1767年明和4年) - 不明 水野忠友1777年安永6年) - 1780年天明元年松平信明1788年天明8年本多忠籌1788年天明8年) - 1790年寛政2年戸田氏教1790年寛政2年水野忠成1812年文化9年) - 1818年文化14年田沼意正1825年文政8年) - 1834年天保5年堀親寚1841年天保12年) - 1845年弘化2年水野忠寛1859年安政6年) - 1862年文久2年

※この「江戸幕府の御側御用人」の解説は、「側用人」の解説の一部です。
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