幕府の留守居とは? わかりやすく解説

幕府の留守居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:13 UTC 版)

留守居」の記事における「幕府の留守居」の解説

幕府における留守居は、老中支配属し大奥取り締まり通行手形管理将軍不在時には江戸城留守を守る役割果たした役高5000石で旗本から選任され定員は4名から8名、旗本任じられる役職では側衆役高5000石)、大番頭役高5000石)と並んで最高の役職であった万石上・城主格待遇を受け、特権として次男まで御目見許された他、下屋敷与えられた。初期まとめ役である「大留守居」が設置され旗本でも側衆と共に最高位格式与えられた。しかし、将軍江戸城から外出する機会減少したことと幕府機構整備による権限委譲によって、その地位低下し元禄年間前後には長年忠勤尽くした旗本対す名誉職化した譜代大名就任した例もあり、寛文5年1665年)に伊予今治藩松平定房大留守居に任命され延宝2年1674年)まで務めた元禄11年1698年)に上野前橋藩酒井忠挙選ばれ元禄13年1700年)に辞任同年越後高田藩稲葉正往務め元禄14年1701年)に辞任したのを最後に大名大留守居になることはなかった。松平定房高齢だったが健康という理由から任命されたが、酒井忠挙場合は高い家格合わせた閑職で、稲葉正往辞任した年に老中就任していることから昇進控えた役職ではないかとされている。 本丸の他に西丸・二丸に配置され西丸留守居若年寄支配を受け、役高2000石で諸大夫役。二丸留守居若年寄支配を受け、役高700石で布衣役。両役ともに、長年勤仕果たした旗本対す名誉職であった反面本丸留守居とは異なり左遷の意味合いを含むことも多かった。 なお、似たような名前の職に留守居番るすいばん)がある。これは留守居と同様老中属し宿直により大奥警備奥向き用務取り扱ったおおむね1000石の旗本任じられた。留守居とは同僚ではあるが、直接上下関係はなかった。

※この「幕府の留守居」の解説は、「留守居」の解説の一部です。
「幕府の留守居」を含む「留守居」の記事については、「留守居」の概要を参照ください。

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