前払金保証事業会社について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/17 16:05 UTC 版)
「公共工事前払金保証事業」の記事における「前払金保証事業会社について」の解説
前払金保証事業会社は、戦後、各地域の地元建設企業及び複数の大手銀行等の出資によって設立された。 上述の#前払金保証の機能によって、保証事業会社は、戦前まで半封建的労務形態で遅れた産業の代名詞であった建設業の飛躍的な近代化に大きく貢献した。しかし、1990年代以後の財政改革がもたらした公共投資の縮小により、各保証事業会社の収益も減少の一途をたどっている。このため、保証事業会社の存続は前途多難であり、前払金保証事業も履行保証などと同様に損害保険会社や金融機関などにも認めるべきという意見がある。しかし、建設業には、工事の進捗状況や資金繰りの把握など建設業特有の事情により、信用状況を把握することが難しいことに加え、損害保険会社や金融機関には、前払金が工事に適正に投入されているかを確認するためのノウハウがないなどの課題も多い。また、損害保険会社や金融機関は履行保証や入札保証による建設業界への与信負担が重いため、建設業界への与信拡大に慎重姿勢であるとの指摘もある。このため、建設業界では、建設業への専門的知見が豊富な前払金保証事業会社は建設業専門の与信機関として重要であり、前払金保証事業だけでなく、損害保険会社が実施している役務的保証等、建設業向けの各種保証業務を実施してほしいとの意見が根強い。 「公共工事の前払金保証事業に関する法律」が施行された1952年(昭和27年)以降半世紀にわたり「西日本建設業保証」、「東日本建設業保証」、「北海道建設業信用保証」の3社体制であったが、2002年(平成14年)には愛知県内の建設業協会員やコンサルタント協会員が出資した「中日本建設業保証」と、愛知県内の電気工事企業やコンサルタント会社が出資した「日本公共事業保証」の2社の新規参入が認められた。いずれも当時愛知万博や中部国際空港などの建設ラッシュに沸いていた名古屋市を拠点としていたが、愛知万博後の建設投資は右肩下がりとなり、資本力に劣る後発2社は設立5~7年で撤退。現在は再び3社体制に戻っている。
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