オーストラリア記念館とは? わかりやすく解説

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オーストラリア記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 23:50 UTC 版)

オーストラリア記念館(オーストラリアきねんかん)は、三重県四日市市にあった観光・イベント施設。1970年(昭和45年)に開かれた日本万国博覧会(大阪万博)のオーストラリア館が、シドニー港四日市港の姉妹港提携 (1968年) のシンボルとして移設されたものである[1]。オーストラリア関連資料、愛・地球博(愛知万博)で展示された巨大なカモノハシの模型が主要な展示物であった。円形ホールは多目的貸ホールとしても使われていた。恐竜の首にたとえられる、片持梁(スカイフック)がワイヤーネットによって、屋根をつるしている特徴的なデザインであり、設計はジェームズ・マコーミック(James McCormick)が行った。デザインは葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』をヒントにしたともされる[2][3]


  1. ^ (四日市市 2001):941ページ
  2. ^ オーストラリア館”. 万博記念公園. 2023年10月9日閲覧。 “ジュームス・C・マコーミックが設計した、大きな円形屋根を宙づりにした奇妙なデザインの展示館でした。日本の画家葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏の富士」に描かれた波と、東京の寺院で見た青銅製蓮台からヒントを得て設計されたといわれ、「恐竜が空飛ぶ円盤をくわえた形」など、さまざまなものを連想させています。”
  3. ^ Trade, corporateName= Department of Foreign Affairs and. “Australian Embassy in”. japan.embassy.gov.au. 2023年10月9日閲覧。 “オーストラリアは日本で開催された過去の万国博覧会にパビリオンを出展し、注目を浴びてきた長い歴史があります。 1970年の大阪万博では、オーストラリアにおける日本の重要性の高まりを象徴し、葛飾北斎の版画「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」にインスピレーションを得たオーストラリア館を出展しています。”
  4. ^ (四日市市 1998):323ページ
  5. ^ a b c "カモノハシ四日市定住 オーストラリア記念館改装"2006年4月2日付朝日新聞朝刊、三重版27ページ
  6. ^ "カンガルー人気、豪州フェア開幕 四日市、きょうまで"2006年10月22日付朝日新聞朝刊、三重版25ページ
  7. ^ a b c d "プロレスの館?豪記念館は盛況 中小興行団体に人気"2000年3月31日付朝日新聞朝刊、三重版34ページ
  8. ^ a b c d 伊勢新聞"四日市 豪記念館の存続危機 受取先見つからず"<ウェブ魚拓>2013年6月19日(2013年7月12日閲覧。)
  9. ^ a b c d e 岡正勝"オーストラリア記念館:存続の危機 大阪万博から三重・四日市に移設 引き受け手、見つからず 運営法人、11月末で解散"<ウェブ魚拓>2013年6月3日付毎日新聞中部夕刊
  10. ^ a b 安田琢典 (2018年10月19日). “「首長竜」跡地はコートに”. ぐるり東海(7)【全日本大学駅伝通信】. 朝日新聞. 2022年3月18日閲覧。
  11. ^ (中日新聞 2012)
  12. ^ (松尾新一郎 1970):2ページ
  13. ^ a b "澄む秋空、開く臨港橋 四日市"2001年11月9日付朝日新聞朝刊、名古屋版29ページ
  14. ^ a b 四日市市 編(1998):321ページ
  15. ^ 四日市市 編(1998):322ページ
  16. ^ (四日市市 1998):321 - 322ページ
  17. ^ a b c (四日市市 2001):680ページ
  18. ^ (四日市市 1998):320ページ
  19. ^ a b 喜田洋"1970・大阪万博 消えゆく元気日本"1998年4月1日付朝日新聞夕刊、大阪版3ページ
  20. ^ a b c d (中日新聞 2013)
  21. ^ 岡正勝"オーストラリア記念館:存続厳しい―四日市市長"<ウェブ魚拓>2013年7月3日付毎日新聞朝刊、三重版
  22. ^ 四日市 豪記念館が来月閉館 財団解散、取り壊しへ”. 伊勢新聞 (2013年11月28日). 2013年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  23. ^ 17 ◯三平一良議員”. 四日市市議会 (2014年2月19日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  24. ^ 19 ◯市長(田中俊行君)”. 四日市市議会 (2014年2月19日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  25. ^ 施工者公募 オーストラリア記念館解体工事”. 建通新聞 (2014年5月15日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  26. ^ MTA”. 三重県テニス協会 (2014年9月13日). 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  27. ^ 本井宏人 (2015年1月4日). “愛知万博のカモノハシ、あります 三重に私設記念館”. 朝日新聞. 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月15日閲覧。
  28. ^ (四日市市 2001):1037- 1038ページ


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オーストラリア記念館

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大日本プロレス」の記事における「オーストラリア記念館」の解説

団体使用していたが、2013年12月閉鎖される直前大日本プロレス追悼興行開催

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「オーストラリア記念館」を含む「大日本プロレス」の記事については、「大日本プロレス」の概要を参照ください。

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