津市白塚町へ(1954-)
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「白塚町」の記事における「津市白塚町へ(1954-)」の解説
町制施行したばかりの白塚町であったが、津市とは交通や経済などでつながりが密であり、既に近隣の一身田町が津市へ合併を申し入れ、栗真村でもその予定があったことから、1953年(昭和28年)11月9日と11月11日に懇談会を開催して津市との合併について町民の合意を取り付けた。翌1954年(昭和29年)6月15日に白塚町長と津市長の間で合併協議書が結ばれ、同年6月24日に白塚町議会、翌6月25日の津市議会の議決を経て、同年8月1日に津市へ編入された。これにより、津市内の1町名「白塚町」となった。 1955年(昭和30年)の職業人口では、製造業599人、農業567人、商業412人、漁業264人などとなっており、工業部門が伸長した。白塚の工業は漁業に関連した水産加工・製氷のほか、電気機械製造業、製粉業などがある。また津市への編入後、美松園などの宅地開発が行われ、住宅地としても成長していった。1900年代に勃興した地場産業の「白塚タオル」は、2002年(平成14年)3月に最後まで営業を続けていた江藤タオルが閉業したことで消滅した。 2006年(平成18年)、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)のブータン館・ラオス館の展示品を白塚町の歯科医師が買い取り、「2005年愛知万博記念 樋口友好ミュージアム」を開館した。2014年(平成26年)7月には、前年に閉館した四日市市のオーストラリア記念館から巨大なカモノハシの模型「カモン」など40点を引き取り、ミュージアム敷地内に新たに建設した「オーストラリア館」に展示することになり、2015年(平成27年)1月25日から一般公開を開始した。
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