経歴・戦歴
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アイドルグループ 民謡ガールズ(WAWAWA、2015年 - 2020年)のメンバー「ゆとり」として在籍。2016年にはメジャーデビューを果たす(当時:小学6年生)。 2017年 カサンドラ宮城に憧れて、HEAT-UPのプロレス教室「HEAT-UP道場」に通い始める。 2018年 4月、「HEAT-UP道場」にてさくらえみによる女子プロレスクラスが開講し参加。 6月23日、HEAT-UPカルッツかわさき大会の前座「HEAT-UP道場発表会」にて、さくらえみとのエキビジョンマッチ(3分)を公開(リングネームはリンリン)。 2019年 1月25日、アクトレスガールズBeginning新木場大会にて、本間多恵戦に参加(10分1本勝負)。事実上、これがプロレスデビューではあるが、ライブ配信サイトmystaのイベント企画によるものであり、この時点ではプロデビューしていない。 我闘雲舞に練習生として入団し、8月29日、新木場大会にてさくらえみとシングルマッチで本格プロデビュー。 10月27日の定期公演をもって「民謡ガールズ」を卒業。 2021年 7月20日、我闘雲舞を退団。 9月9日、GLEAT記者会見に登場し、細川ゆかりとして入団を発表。 12月30日、GLEAT ver.2にて、GLEATデビューを果たす。 2022年 4月から学業優先のため、関東大会のみの参戦となる。
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経歴・戦歴
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「NAO (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
レスリングではジャパンクイーンズカップスクールガールの部上位の常連となる活躍を見せる。 2004年 12月26日、東京・後楽園ホールにおいて、対吉田万里子戦でデビュー。 2005年 3月25日、ジャパンクイーンズカップ2005カデットの部49kg級で後にアジアジュニアチャンピオンとなる西のどかとの同期対決を制して優勝。 6月5日、東京・新木場1stRING「“息吹”第1回大会」において、闘獣牙Leonと対戦。マッドスプラッシュで敗れた。 11月13日、東京・新宿FACE「“息吹”第4回大会」において、椎名由香と対戦。腕ひしぎ逆十字でギブアップ負け。 2007年 4月13日、ジャパンクイーンズカップ2007シニアの部51kg級に初出場も初戦敗退。 12月21日、全日本レスリング選手権大会51kg級初出場。準決勝まで進出するも甲斐友梨に0-2負け。 現在はレスリング・プロレスとも活動はしていない。
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経歴・戦歴
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1977年 9月5日、大宮スケートセンターにて対塙せい子戦でデビュー。 1978年 二代目ブラックペアの漆原幸恵と「クイーン・エンジェルス」を結成し、海外遠征に出発。8月9日には日本武道館でゴールデン・ペアを破りWWWA世界タッグ王座を獲得。 1979年 9月27日にレイラニ・カイを下しハワイアンパシフィック王座(12月1日にオールパシフィック王座に改称)を獲得、ジャッキー佐藤に次ぐナンバー2となる。 1980年 1月4日のジャッキーとのノンタイトル戦で場外ダイブをかわされた時に右膝を負傷。その後の試合で悪化し2月21日にオールパシフィック王座を返上。3月15日にはジャッキーのWWWA世界シングル王座への挑戦が決まっていたがそれも消滅。その後復帰するも、4月4日のクイーン・エンジェルス対ブラックペアで再び右膝を負傷。手術するも回復せず、現役生活を断念し8月8日の田園コロシアム大会で引退セレモニー。8月29日にグアム遠征で佐藤ちのに敗れて現役を引退した。 2007年 3月11日、ジャガー横田30周年記念興行にて30人ミラクルバトルランブルで他の全女OGらとともに参戦。
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経歴・戦歴
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お笑い芸人を目指しNSCに入っていたがプロレスに転向、単身メキシコに渡り闘龍門などで修行を積みラ・アマポーラ戦でデビュー。日本に戻る前からプロレス誌で取り上げられる等、話題となっていた。当初はJd'での国内デビューが予定されていたが、条件等で折り合いがつかずJd'出場が中止となり、その後、アルシオン所属となった。1999年4月14日の後楽園ホール大会で、対AKINO・浜田文子組戦で国内デビュー(パートナーはキャンディー奥津)。 「ガングロ天使」と呼ばれ、大向美智子とのコンビ「サイバージャンクス」で活躍した。 2001年にはボクシングに挑戦、IBF日本傘下の女子プロボクサー山木うのと引き分けた後、2002年に同じ選手と再戦し判定勝ちを収めた。この頃からプロレスにおいてもパンチを用いるようになる。 2003年6月にアルシオンがAtoZに吸収された後も引き続き所属していたが、同年12月に退団すると共に引退を表明。 2004年4月10日、ディファ有明にて行われた「藤田愛引退興行」で、大向美智子と組んでライオネス飛鳥・アジャ・コング組と対戦し引退。5年間の現役生活を終えた。 引退後は一時期、後輩の前田美幸をマネージャーとして招き、タレントとして活動をしていた事もあった。 2012年3月4日の紫雷イオ5周年記念興行に来場し、久方ぶりに公の場に姿を現した。 現在は地元に戻り、結婚して2児の母となっている。
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経歴・戦歴
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1989年 全日本女子プロレスの平成元年組として入門。 12月6日、栃木・真岡市民体育館において、対鈴木敦子戦でデビュー。 1992年 8月29日、LLPWの旗揚げ戦にて復帰。 1998年 6月21日、後楽園ホールにおいて引退。
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経歴・戦歴
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「千春 (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
中学卒業後、木口道場に入門しレスリングやコンバットレスリングの大会に出場したあと、谷津嘉章にスカウトされSPWFに入門。 1997年7月13日、SPWFの栃木・小山ゆうえんちスケートリンクでの興行において、対ミサ岡田戦にてデビュー。ジャパン女子プロレスの斉藤恵美以来8年ぶり2人目の現役女子高校生レスラーとして話題になる(なお、千春より前に、高校を卒業した後、3月中にデビューしたため、まだ高校に籍があったレスラーが存在する)。それからわずか6日後の7月19日に行われた「第2回ジュニア・オールスター戦」では、JWP女子プロレスの日向あずみと対戦するがドロップキック1発でフラフラになるなど実力差の開きは明白であり、この当時の千春について、チャパリータASARIは、彼女をレスラーとは認めていない旨の発言をしている。ルーズソックス姿でバトントワリングを行いながらの入場が話題となった。 高校在学時に特典として「彼女が足を通したとされている」ルーズソックス付属の写真集をリリースしたことがある。 高校卒業後の1998年4月、話題作りのため、日本大学通信教育部文理学部に進学、現役女子高生レスラーから現役大学生レスラーとなり、同大学のレスリング部にも入部した。並行してタレント活動も行っていた。その後、SPWFに参戦していた野沢一茂の子供を妊娠していたことが判明してレスラーを休業してSPWFを離脱(のちに離婚)。 しばらくして2001年にヤンママレスラーとして、総合格闘技「スマックガール」のアマチュアマッチに出場。2戦2勝の戦績を残す。そして2003年8月9日、NEO女子プロレスの後楽園ホール大会で5年ぶりにプロレス復帰。以後、フリーとしてNEOにレギュラー参戦。2004年には仲村由佳と組んで板橋タッグ王座を獲得。 2005年1月29日の対田村欣子戦で眼窩底骨折の重傷を負う。この負傷が原因で2006年に現役を引退、6月29日に引退興行を行う。この日のみNEO所属選手として出場。引退後はNEOのリングアナウンサーとして、2010年末のNEOの活動休止までリングに上がっていた。その後はフリーとなり、2011年3月21日にはアイスリボン・後楽園ホール大会で3カ月ぶりにコール。しかしオファーらしいオファーはなく、NEO解散後2年間で正式な興行のリングアナを務めたのは2大会のみだった。 その後はリングアナから離れ、佐野直が経営する「スタンリークラブ」に立っていた。 2013年5月31日、アイスリボン所属としてリングアナウンサー活動を再開。道場マッチでは音響、映像出しも兼任している。同時にプロレスサークルのコーチも務めていたが、2016年に紫雷美央がスタッフとしての入団を機にコーチを引退、美央に引き継ぐ。 2016年10月27日、自身のブログにて再婚をしたことを報告。 現在はアイスリボンのリングアナウンサーとして活躍している。
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経歴・戦歴
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2016年 10月10日、プロレスリングWAVE後楽園ホール大会にて対日高郁人戦でデビューするが、ショーンキャプチャーで敗れる。 2018年 12月31日付でWAVEを退団。
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経歴・戦歴
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2005年 2月13日、東京・板橋グリーンホールにおいて、対高橋李佳戦でデビュー。 10月30日、東京・板橋グリーンホールにおいて、石井美紀と対戦。 11月5日、東京・板橋グリーンホールにおいて、さくらえみ、市井舞と組んで、井上京子、三田英津子、豊田真奈美組と対戦。 2006年 1月6日、東京・新木場1stRING(THE WOMAN)において、高橋李佳と対戦。敗れる。 1月8日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、萌え萌え対決!?で風香に三角絞めで敗れるも、試合後の萌え判定で3-0で勝利する。 1月28日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、風香と萌えタッグを組んでGAMIとの2対1のハンデマッチ戦を行う。最終的にGAMIが2人同時にフォール勝ち。風香をヨーロピアンクラッチにして、春日をノーザンライト・スープレックス・ホールド。 2月3日、新木場1stRING(THE WOMAN「萌えの中の萌えの中の萌え」)において、風香対春日萌花対優菜の3WAY戦。風香が勝利。 2月12日、東京・板橋グリーンホール「プロレス少女達の野望vol.1(アイアンマンヘビーメタル級選手権試合)」において、あいかと対戦。ジャーマン・スープレックスで58秒で。同大会、市井舞と組んで、さくらえみ、高橋李佳組と対戦。市井がさくらに敗れる。 3月5日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、井上京子とボディスラムマッチで対戦。敗れる。 4月23日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、チェリーと対戦。チェリトーンボムで敗れる。 5月4日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)昼」において、渋谷シュウと対戦。敗れる。同日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)夜」において、夏樹☆ヘッドと対戦。ダイビングヘッドで敗れる。 5月28日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、バンビと対戦。シャイニング・ウィザードで敗れる。 5月29日、東京・品川中小企業センター(ホットリボン)において、優菜と対戦。 6月4日、新木場1stRING「プロレス少女達の野望vol.4」において、市井舞と対戦。本人とともにメイド服姿で登場した実姉がセコンドを務めた。 6月18日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、中川ともかと対戦。変形鎌固めでギブアップ負け。 6月20日、東京・目黒・千本桜ホール(アイスリボン)において、伊藤薫と対戦。敗れる。 6月24日、「格闘美〜Future〜」において、市井舞、浦井百合と組んで、渋谷シュウ、中川ともか、チェリー組と対戦。チェリーのダブルクラインで敗れる。 7月2日、レディゴンまつりにおいて、NSP写真集イリミネーションマッチで、アップルみゆき、風香、優菜と組んで、渋谷シュウ、バンビ、市井舞、竹迫望美組と対戦。風香がハイキックで市井から勝利。 7月8日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Festa〜」において、松尾永遠と組んで、仲村由佳、風香組と対戦。仲村の踵落としで敗れる。 7月30日、「我闘姑娘シーズン2 プロレス少女達の野望vol.5」において対さくらえみ戦をお嬢様クラッチでシングル初勝利。同興行のメイン試合は第3,4試合の勝者組対第5,6試合の勝者組のタッグマッチが行なわれる。零、春日萌花組対市井舞、希月あおい組戦において、お嬢様クラッチによって市井舞から勝利する。 8月20日、WRESTLE EXPO2006において、ボリショイプロデュース・お台場スペシャル・バトルロイヤルに出場。 8月27日、北海道・札幌テイセンホールにおいて、尾崎魔弓と対戦。裏拳withチェーンで敗れる。 9月24日、東京・新木場1stRINGにおいて、ひかりと対戦。ジャックナイフ固めで勝利。同大会、零、高橋李佳と組んで、さくらえみ、石井美紀、希月あおい組と対戦。零が希月のクロスアーム式原爆固めで敗れる。 2008年 3月12日、プロレスリングWAVE専属として初試合。植松寿絵と組んで日向あずみ、新関真由香組と対戦も日向の体固めに屈する。 8月30日、品川女子プロレスに特別参戦。 12月14日、栗原あゆみ復帰興行に植松寿絵と組んで風香、輝優優組と対戦も、輝の片エビ固めの前に敗れる。 12月30日、長与千種プロデュース興行「デビル雅美引退試合」の8人タッグ出場。 2009年 8月29日、「第2回大井フェスタ&第55回大井どんたく」にて渋谷シュウと初代アジアパシフィック女子王座を争い、アストロシザースで初代王座獲得。 10月11日、「RINGSTARS秋まつり」風香、アップルみゆきとの3WAY戦。 12月23日、大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナにて大畠美咲と組み、紫雷美央&紫雷イオ組が持つTLW世界女子ヤングタッグ王座を奪取。 2011年 1月22日、センダイガールズプロレスリング初参戦で悲恋と対戦。これが(提供試合・プロモーター興行を除く)他団体参戦解禁となる。 2014年 10月6日、気象予報士試験に合格したことを発表。 2015年 3月20日、FM NACK5で5時間の深夜ワイド番組FANTASY RADIOの放送開始を発表。 2016年 2月7日、1月よりタッグを組んでいる希月あおいとのタッグチームをSO ON FLOWERと発表。また長浜浩江とのハッピーポシェットとして3人でも活躍中。 2017年 3月5日、水波綾の持つRegina di WAVE王座に挑戦するも敗北。同タイトルマッチは水波からの逆指名で実現した。 2018年 6月3日の札幌大会を最後にレギュラー参戦を終了。また、WAVE所属でも専属でもなかったとのこと。 7月14日、ガンバレ☆プロレスに初参戦。以降定期参戦。 2019年 8月11日、PURE-J後楽園ホール大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権に真琴と組んで挑戦。16分14秒春日がウラカンラナでライディーン鋼を抑え込み第24代王者となる。(対戦相手はKAZUKI・ライディーン鋼) 8月18日、PURE-J板橋グリーンホール大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権。13分33秒真琴がデスバレーボムから片エビ固めでAKARIを抑え込み初防衛。(対戦相手は米山香織・AKARI) 9月29日、PURE-J浅草花やしき大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権。18分12秒春日が逆打ち式丸め込みでLeonを抑え込み2度目の防衛。(対戦相手はLeon・高瀬みゆき) 12月29日、PURE-J浅草花やしき大会において、PURE-J認定無差別級選手権。15分18秒中森華子の鎮魂歌ドライバーで敗れる。(中森は5度目の防衛) 2020年 1月23日、ガンバレ☆プロレス東京・ARENA下北沢大会において、勝村周一朗・鷲田周平と改名を賭けた3WAYマッチに勝利。(勝村のニンジャチョークで鷲田がギブアップ、その勝村を春日が体固めで押さえ込む)勝村周一朗を「勝崎周之助」鷲田周平を「桜井鷲」自らを「春見沢萌彦」と改名し、「THE HALFEE(ジ・ハルフィー)を結成。 2月2日、ガンバレ☆プロレス王子Basement MON☆STAR大会において、王者 ガンぽちゃ軍(大家健・今成夢人・ミス・モンゴル)vs THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)のGWC認定6人タッグ選手権試合。18分43秒、桜井鷲が今成夢人に片エビ固めで抑え込まれ敗れる。(第22代王者組は初防衛に成功) 2月24日、PURE-J板橋グリーンホール大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権。16分10秒真琴が逆エッヂ直伝スピアから体固めで谷ももを抑え込み3度目の防衛。(対戦相手はライディーン鋼・谷もも) 6月28日、PURE-J板橋グリーンホール大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権。21分24秒春日がマリ卍から79.5MHzでギブアップを奪い4度目の防衛。(対戦相手は勝愛実・マリ卍) 8月10日、PURE-J後楽園ホール大会において、デイリースポーツ認定女子タッグ選手権。17分31秒中森が春日を片エビ固めで押さえ5度目の防衛失敗。(対戦相手は中森華子・山下りな 第25代王者となる。) 9月12日、ガンバレ☆プロレス板橋グリーンホール大会において、王者 ガンぽちゃ軍(大家健・今成夢人・ミス・モンゴル)vs THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)のGWC認定6人タッグ選手権試合。17分5秒、勝崎周之助が今成夢人よりPKからのエビ固めで勝利。第23代王者となる。 10月6日、ガンバレ☆プロレス後楽園ホール大会において、王者 THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)vs挑戦者 朱崇花・新納刃・冨永真一郎のGWC認定6人タッグ選手権試合。10分49秒、春見沢萌彦が冨永真一郎をチャカチャカで下し王者組が初防衛に成功。試合後春日が朱崇花が戴冠している「FMW認定インディペンデント・ワールド・世界ジュニアヘビー」のベルトに挑戦表明。 11月23日、ガンバレ☆プロレス板橋グリーンホール大会において、王者 朱崇花vs挑戦者 春日萌花の FMW認定インディペンデント・ワールド・世界ジュニアヘビー級選手権試合。16分15秒、朱崇花の変形キャプチュードバスターで敗れる。(朱崇花は2度目の防衛) 12月13日、PURE-J後楽園ホール大会において、PURE-J認定無差別級選手権。23分09秒Leonのエアレイドクラッシュで敗れる。(Leonは3度目の防衛) 2021年 1月17日、ガンバレ☆プロレス大阪市平野区民ホール大会において、まなせゆうなの希望により急遽 王者 THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)vs挑戦者ぽっちゃり女子東西連合軍(空牙・今成夢人・まなせゆうな)のGWC認定6人タッグ選手権試合。9分37秒、勝崎周之助がまなせゆうなから飛びつき腕ひしぎ逆十字固めで勝利。2度目の防衛成功。 2月7日、ガンバレ☆プロレス北沢タウンホール大会において、王者 THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)vs挑戦者 DREAMS HARU TRUE(石井慧介・岩崎孝樹・HARUKAZE)GWC認定6人タッグ選手権試合。17分05秒、桜井鷲が石井慧介から両腕極めドライバーで敗れ3度目の防衛失敗。(DREAMS HARU TRUEが第24代王者となる。) 3月27日、秋田県大館市で「御成座プロレス」に参戦。竹田誠志と組んで葛西純・松本都組(385都猿気違's(サンハチゴ・ ミャンキーズ))とソーシャルディスタンス式ストリートタッグマッチで対戦。勝利する。 5月29日、ガンバレ☆プロレス東京・王子Basement MON☆STAR大会において、王者 朱崇花・新納刃・冨永真一郎 vs 挑戦者 THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲)のGWC認定6人タッグ選手権試合。28分26秒、勝崎周之助が冨永真一郎からニンジャチョークで勝利。THE HALFEEが第26代王者組となる。(朱崇花組は3度目の防衛に失敗) 6月13日、TTTプロレス新宿FACE大会において、王者 THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲) vs 挑戦者 真GUTS軍(ガッツ石島・ツトム オースギ・バナナ千賀)のGWC認定6人タッグ選手権試合。15分15秒、桜井鷲がガッツ石島からのゴーストバスターで敗れ初防衛失敗。(真GUTS軍が第27代王者となる。) 6月27日、ガンバレ☆プロレス東京・板橋グリーンホール イレイザーヘッド2021大会において、勝崎・春日組(春勝蹴闘(しゅんかしゅうとう))vs 石井・HARUKAZE組(HARUKAZE興業)第一回ガンプロミックスト・タッグトーナメント決勝戦。18分25秒、春日がHARUKAZEを抑え込み初代王者となる。 8月14日、東京・王子Besement MON☆STAR大会において、勝村周一朗・春日萌花 vs タノムサク鳥羽・松本都 のガンプロミックスト・タッグトーナメント優勝のご褒美マッチ。12分56秒、春日が松本から片エビ固めで勝利。 9月25日、東京後楽園ホール大会において、THE HALFEE(春見沢萌彦・勝崎周之助・桜井鷲) vs ロッキー川村2・島谷常寛・青木いつ希組の桜井鷲休業前ラストマッチ。8分4秒、桜井が島谷に変形キャメルクラッチで敗れる。 2022年 1月8日、東京・北沢タウンホールにおいて、「春日萌花プロデュース興行~雨のちパラダイス2022~」を開催。自身は真琴・チェリーと組み、まなせゆうな・山下りな・倉垣翼組と対戦。17分17秒、まなせゆうなの片エビ固めで敗れる。 7月10日、ガンバレ☆プロレス東京・大田区総合体育館WRESTLE SEKIGAHARA大会において、渡瀬瑞基&春日萌花&冨永真一郎 vs Eruption(坂口征夫&赤井沙希&岡谷英樹)。15分22秒、渡瀬が坂口を片エビ固めで押さえ込み勝利する。
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経歴・戦歴
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1990年、全日本空手道連盟二段の実績を引っさげて吉永恵理子(後のバット吉永)の異種格闘技戦の相手として全日本女子プロレスのリングに初参戦。しかし、1Rで敗戦。 その後、プロレスラーを目指し平成2年組として全女に入団。新人王決定トーナメントで優勝を果たす。 1991年4月、バット吉永が保持するWWWA世界格闘技王座に挑戦。試合は敗れたものの、6Rの激闘を耐えた。 同年10月にプロテスト合格。 1992年3月2日、全日本ジュニア王座決定トーナメント決勝戦で李由紀と対戦するも敗れる。 4月、沼田三絵美と同王座を争いタイトル獲得。 同年8月引退。 2001年、総合格闘技「スマックガール」に参戦。しかし、星野育蒔に1RKO負け。 その後は主だったプロレス活動等は行っていない模様である。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:22 UTC 版)
ミキハウス柔道部を経て、藪下めぐみと坂井澄江を追う形で吉本女子プロレスJd'に入門。Jd'入門テスト時は29歳だったにもかかわらず年齢を1歳下にごまかして受験し、合格後、罪悪感を覚えて訂正(「女子プロレス新世代総登場」に記載) 1997年 10月22日、東京・後楽園ホールにおける対小杉夕子、KAZUKI戦でデビュー(パートナーは龍羅(後のドレイク森松))。 その後、ザ・ブラディーとのコンビ「ザ・シェイド・ブレイカーズ」でTWFタッグ王座を獲得するなど、Jd'の主力として活躍した。 2004年 4月にJDスターのオーナーの方針に反発してブラディーらと共に退団して「チームOK」を結成。 8月29日に開催された総合格闘技大会「Love Impact」にて、サンボ世界王者・武田美智子と対戦し引き分け。 2005年 6月12日、ザ・ブラディー、武藤裕代と組んで、カルロス天野、永島千佳世、植松寿絵組と対戦。武藤が天野に敗れる。 6月26日、AtoZ DOJO CUPトーナメント3位決定戦において、武藤裕代と組んで、堀田祐美子、華名組と対戦。堀田のタイガードライバーで敗れる。 8月23日、T-1グランプリにおいて、シェイド・ブレイカーズ対T-1マスク、T-2マスク組の試合で、イス攻撃がブラディーに誤爆しブラディーがT-1のタイガー・スープレックスに敗れる。 12月17日、「格闘美 〜Dreamer〜」において、阿部幸江の要求に応える形でTWF世界タッグ王座決定戦をGAMI、ファング鈴木組(最後っぺ)対ザ・ブラディー、阿部幸江組で戦う。 12月25日、NEO女子プロレス・板橋グリーンホール大会において、アイアンマンバトルロイヤルに参加。 12月27日、桜花由美の要求に応え最後っぺ対ザ・ブラディー、桜花由美組でTWF世界王座を賭けて戦う。 12月28日、東京・新木場1stRING「Tommy20周年記念イベント」において、ザ・ブラディーと組んで、阿部幸江、KAZUKI組と対戦。ファング組が敗れる。 12月31日、ザ・ブラディーと共に引退。引退試合はザ・ブラディー、ファング鈴木組対尾崎魔弓、ダイナマイト・関西組のLSDルール。 2006年 7月30日、愛知県名古屋市・久屋大通公園「第36回CBC NAGOYA夏祭りダイコク電機「ストリートファイト2006」OzアカデミーSUMMER WAR(7月29日・30日開催)」の豊田真奈美対闘牛・空の試合中、空にザ・ブラディーと共に強引に連れ出され豊田への攻撃に参加させられる。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:25 UTC 版)
2001年4月8日、アストレス1期生として東京・ディファ有明の対大森彩乃戦でデビュー。2002年3月にアストレスを卒業しリングを離れていたが、同年8月に選手活動を再開。翌2003年1月にアップルみゆきとの王座決定戦を制しJd'ジュニア王座を獲得。同年11月23日にJDスター女子プロレスを退団。しばらくフリーとして活動後2005年2月、アントニオ小猪木戦後に西口プロレスに入団、7月3日に賀川照子引退興行を行いプロレスラーとしては引退。NEO女子プロレスのリングアナウンサー、代表などを歴任し、現在、西口プロレスやYouTubeのプロレス番組のアシスタントとして活動している。 その他、各種キャラクターショーの司会などを勤めるが、プリキュアKidsの専任司会者として、2005年3月から2006年1月まで,2006年9月から12月まで,および2007年5月から、各地のステージに出演。
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経歴・戦歴
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2013年 2月13日、WAVE主催新人オーディション合格。 4月6日、入寮。 10月11日、プロテスト合格。 10月30日、WAVE後楽園ホール大会にて華名戦でデビューを果たすが、ワキ固めでギブアップ。WAVE旗揚げから6年で初の生え抜き新人デビューとなった。このときは本名だった。 11月4日、大阪府立体育会館第二競技場で開催されたGAMILIBRE・6にてWAVE vs OSAKA女子プロレスのWAVE軍の一員として2本目の6人タッグ(水波綾、春日萌花、卜部 VS 下野佐和子、ポリスウ〜メン、三崎グリ子)に出場も、ポリスウ〜メンの敬礼ムーンサルトプレスに屈する。 11月9日、新宿FACEで行われたコラボ興行「waveLous」にてGAMIと組んで桜花由美&春日萌花と対戦。タッグとはいえ初となる師匠との対戦は、GAMIが目突きからの首固めで春日をフォールし、直接ではないものの初勝利。 11月13日、WAVEのホーム新木場1stRINGで初試合。中川ともかと組み、渋谷シュウ&水波綾と対戦するが、水波のダイビング・ギロチンドロップを受けて敗戦。 11月20日、WAVE新木場大会、6人タッグトーナメントに山下りな(OSAKA女子)、藤ヶ崎矢子(JWP)との同期新人トリオでエントリー。当日抽選の結果、桜花由美&華名&志田光(アイスリボン)組との3本勝負となったが、1本目でフォールされ、2本目も山下が取られて初戦敗退。 11月27日、WAVE新木場大会、山下りなと組み、浜田文子&山縣優の現WAVEタッグ王者と当たるが、山下が文子のムーンサルトプレスを喰らい敗戦。 12月1日、初の他団体としてJWP浅草花やしき大会に参戦。春山香代子と対戦するが、フェイスバスターを喰らいフォールされる。 12月4日、WAVE新木場大会、GAMIと最初で最後のシングル。「女子プロムーブ」試そうとするも、セコンドの山下りなとともにマーライオンの洗礼を浴びせられ、目突きで敗れる。 12月15日、初のダブルヘッダー。昼はJWP後楽園大会で「JWP vs WAVEキャプテンフォール6人タッグマッチ」(コマンド・ボリショイ、春山香代子、藤ヶ崎矢子 vs GAMI、桜花由美、卜部)に出場、1本目で桜花が矢子をフォールするが、2本目でボリショイのセンセイ固め2に屈し、最後はGAMIが春山にフォールされ敗戦。 夜はWAVE新木場大会で水波綾と組み、下野佐和子&山下りなと対戦、初めて対角線に立った山下から首固めで初の直接勝利。WAVEにとっても記念すべき生え抜き初勝利。試合の序盤で肩を痛めるも、大した怪我ではなくAKINOによる応急処置の甲斐もあり大事には至らなかった。 12月22日、WAVEナスキーホール・梅田大会で志田光と組み、世羅りさ(アイスリボン)&山下りなと対戦、しかし山下の腕ひしぎ十字固めにギブアップ。 12月30日、後楽園ホールでの「GAMI引退記念‐GAMILIBRE・Lucky7‐『ほなさいなら』」にて行われた「ほぼ70人ぐらいバトルロイヤル」にGAMIを除き最初に入場、女子プロムーブを横取りしたり、山下りなとエルボー合戦を繰り広げるなどしたが、最終的に山下とともにヤッペーマンに丸め込まれ退場。 2014年 1月5日、WAVE新宿大会でリングネームを「夏すみれ」に改名し、山下りなと初シングル、しかしラリアットを喰らい敗れる。 1月22日、WAVE新木場大会で桜花由美&志田光と組み、大畠美咲&紫雷美央&藤本つかさ(アイスリボン)の「クローズ」と対戦、これが所属第1戦となった美央の紫閃光からの片エビ固めを喰らい敗れたが、試合後に「美央のスッピンがGAMIそっくり」と暴露し、それに美央は激怒、急遽大阪大会でシングルが決まった。 1月25日、WAVE大阪道頓堀アリーナ大会で紫雷美央とシングル、ロープに張り付けにされペットボトルの水を顔面にかけられるも口撃を繰り返す、最後はキックアウトされ首4の字固めでギブアップ。 1月26日、WAVE名古屋ダイアモンドホール大会で初の凱旋、華名と組み志田光&藤本つかさのマッスルビーナスと対戦、志田にボディースラムを放ってダイヤル固めを成功させるも、最後はファルコンアローで敗れる。 2月2日、WAVEの若手中心ブランド「YOUNG OH! OH! 9」レッスル武闘館大会にて桜花由美と組み、志田光&世羅りさと対戦するが、世羅のダイビング・ダブル・ニードロップで敗れる。 2月9日、JWP浅草花やしき大会、勝愛実とシングルで対戦するが、セカンドロープからのリバース・スプラッシュからの片エビ固めで敗れる 2月11日、新木場でダブルヘッダー。昼の覆面MANIAでマスクウーマンに変身(リングネームはそのまま)してフェアリー日本橋と組み、飯田美花&ラブ・アンド・ポーク2号と対戦も、フェアリーが飯田の無道で敗れる。 夜はWAVEで「飛翔5番勝負」初戦として大畠美咲と対戦も旋回式ダイビング・ボディープレスを喰らい敗れる。 2月19日、WAVE新木場大会にて山下りなと組み、トリプルテイルズ.S(華名&紫雷美央)と対戦も、山下が美央のバズソーキックを受けフォールされる。 3月2日、WAVE後楽園大会にて山下りなと組み、勝愛実&藤ヶ崎矢子組と対戦し、山下のデルフィンリナッチで矢子からフォール。 3月9日、地元の露橋スポーツセンターでアイスリボン初参戦。世羅りさと初シングルもエアーズロックで敗れる。しかし、この試合を観ていた大日本プロレスのグレート小鹿会長(夜同会場でのFREEDOMSに帯同)より「リングに佇む雰囲気がスターのもの」との評価を受けた。 3月19日、「飛翔5番勝負2」として春日萌花と対戦、技の応酬に耐えてドロップキックも出すも、最後はダイビング・ボディーアタックに沈んだ。 3月21日、大日本プロレス博多スターレーン大会で「WAVE vs アイスリボン」として桜花由美と組み、藤本つかさ&世羅りさと対戦するが、藤本のビーナスシュートで敗れる。 4月6日、WAVE新木場大会にて「飛翔5番勝負3」として紫雷美央と対戦、ドロップキックやエルボーを繰り出すも、紫閃光で敗れる。 4月16日、アイスリボン道場マッチ初参戦。松本都(崖のふち)と組み、チェリー(ユニオン)&内藤メアリ組と対戦、メアリにかけたみやここクラッチが切り返され敗れる。 4月20日、WAVE札幌テイセンホール大会にて「飛翔5番勝負4」として藤本つかさと対戦、ドロップキック封印を懸けて戦うもミサイルキックで敗れる。しかし、試合後に藤本から「ドロップキックを磨いて欲しい」「私が教えたい」とコメント。 4月23日、WAVE新木場大会にて「飛翔5番勝負最終戦」として志田光と対戦、魂のスリーカウントで敗れ、試合後に大畠美咲にリマッチを申し込む。 5月5日、WAVE後楽園大会で「飛翔5番勝負 追試」として大畠美咲と再戦、ジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れはしたが、大畠から「成長は見られた」とコメント。 5月6日、OSAKA女子プロレス初参戦。大阪市立西区民センター大会でポリスウ〜メンと組み、にゃんば〜&飯田美花組と対戦も、飯田のグラウンド卍固めで敗れる。 5月11日、WAVE大阪市立生野区民センター大会で「Catch the WAVE」初戦として世羅りさと対戦も、エアーズロック→片エビ固めで敗れ黒星スタート。 5月13日、WAVE新木場大会にてCatch the WAVEの2戦目として同期かつ同い年の小林香萌(WNC-REINA)と対戦するが、ダイビング・ボディーシザース・ドロップ→エビ固めで敗れ連敗。 5月18日、WAVE仙台大会のメインでWAVE(桜花由美&渋谷シュウ&夏) vs クローズで3本勝負、1本目は桜花が取るも2本目を藤本つかさからフォールされ、1-2で敗れる。 5月21日、WAVE新木場大会にて飯田美花と組み、プラスマイナス2014(大畠美咲&紫雷美央)と対戦するが、美央の紫閃光で敗れる。 5月24日、アイスリボン道場マッチで成宮真希と組み、紫雷美央&優華と対戦、「WAVEの白い天使」と紹介されて優華に感情むき出しにされるも美央のスッピンネタで応酬、最後は成宮がユルネバを優華に決めて勝利。 5月25日、WAVE名古屋大会にてCatch the WAVEの3戦目としてフェアリー日本橋と対戦、回転足折り固めで勝利、リーグ戦かつシングル初勝利を2度目(アイス含め3度目)の凱旋で挙げた。 5月29日、WAVE新木場大会にてヤングプライドWAVEとして山下りなと組み、世羅りさ&あきば栞の「ZABUNvsアイスリボン」に挑むが時間切れ引き分け。 6月5日、WAVEレッスル武闘館大会にて飯田美花と組み、春日萌花&藤本つかさ組と対戦、飯田が春日にヒザ十字固めを決めてギブアップを決めた。 6月11日、WAVE新木場大会にて山下りなと組み、渋谷シュウ&チェリーのクラシックギャルズと対戦、しかし、チェリートーンボムで敗れる。 6月15日、WAVE大阪大会にて紫雷美央と組み、渋谷シュウ&飯田美花組と対戦、美央の土蜘蛛で飯田からフォール。 6月22日、WAVE新木場大会にてCatch the WAVEの4戦目として山下りなと対戦、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチで丸めて勝利、年明けのリベンジを果たす。なお、最終戦はあきば栞棄権のためこれが実質最後の公式戦となり、最終的には勝ち点6。 6月25日、レッスル武闘館で行われたJWP主催「青春・無限大パワー!!」にて林結愛と組み、Sareee(ディアナ)&弓李(アイスリボン)組と対戦、林が弓李から膝十字固めで勝利。 6月27日、WAVEレッスル武闘館大会にて旧姓・広田さくらと組み、桜花由美&フェアリー日本橋組と対戦、広田がフェアリーにへなーらサンセットを決め勝利。公式戦の世羅りさ vs 小林香萌は時間切れ引き分けに終わったため4人が勝ち点6で並び優勝者決定戦へ。 7月6日、OSAKA女子プロレス淀川区民センター大会で山下りなと組み、勝愛実&ラビット美兎組と対戦、山下が勝にラリアットを決め勝利。 7月13日、WAVE新宿大会、「Catch the WAVE 2014」決勝進出決定戦でフェアリー日本橋と対戦し、首固めで決勝進出を決めた。 7月27日、WAVE後楽園大会、「Catch the WAVE 2014」決勝戦で小林香萌と対戦、コスチュームを紫雷美央デザインに一新して挑んだが、ラ・マヒストラルで敗れ初代小波女を逃した。 8月27日、WAVE新木場大会、誕生日を記念して桜花由美とシングルで対戦するが、ビッグブーツで敗れる。 10月1日、WAVE新木場大会で右ヒザ前十字靱帯完全断裂・半月板損傷のため10月29日後楽園大会を最後に長期欠場に入ることを発表した。 10月29日、WAVE後楽園大会にて「1周年記念試合」として桜花由美と組み、渋谷シュウ&春日萌花組と対戦、渋谷のto be continuedに屈する。 2015年 10月30日、WAVE後楽園大会にて復帰戦。 2016年 6月3日、(メキシコ、プエブラ)、5日(メキシコ、メキシコシティ)にて、開催された ルチャリブレ・ワールドカップ2016へ出場。アジャ・コング、宮崎有妃との3人で日本代表として、決勝戦まで勝ち進んだ。 2017年 8月31日、年内でのWAVE退団を発表。住居を大阪に移すことや欠場時期から行っていたデザインの仕事を行うことを発表。社長のGAMIは「円満退団ではない」と説明。 11月3日、ガンバレ☆プロレス新木場大会で会場敏リングアナに「戦慄の厚化粧」とコールされ激怒。 11月4日、スターダムの新木場大会に登場し、大江戸隊に加入することを発表。 2019年 12月15日、新木場1stRINGで初の自主興行「FOREVER」を開催。 2020年 10月4日、肩関節の反復性脱臼の治療のため長期欠場に入る。 2021年 スターダムからの公式な発表はないが、プロフィールは削除されている。 2022年 フリーランスサミット『NOMADS'』を開催することを発表。現在は、山下りな、雪妃真矢、高瀬みゆき、SAKI、優宇、安納サオリ、朱崇花が出演予定。夏当人は2年間プロレスをやっていないので練習してからとこの日に復帰することはないとした。
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経歴・戦歴
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「シュガー佐藤 (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
天才・たけしの元気が出るテレビ!!の女子プロ予備校出身であり、同番組企画の出身者には元気美佐恵・上林愛貴・市来貴代子がいる。なお、リングネームは同番組でたけしに付けられたもの。(苗字の「佐藤」を調味料の「砂糖」とかけたダジャレ) 1995年 4月15日、東京・後楽園ホールにおいて、対成田舞子戦でGAEA JAPANからデビュー。 1996年 8月、JWPの尾崎魔弓が中心となって結成されたOZアカデミーに参加。 2005年 4月10日、GAEA JAPAN解散によりフリーとなる。 6月26日、OZアカデミー興行で引退。 2007年 6月10日、OZアカデミー新宿大会で現役復帰を宣言。 8月18日、OZアカデミー後楽園大会で1日限定復帰。シュガー佐藤、永島千佳世 vs 里村明衣子、加藤園子のGAEA1期生によるタッグマッチが組まれた。
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経歴・戦歴
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1995年 4月15日、東京・後楽園ホールにおいて、対里村明衣子戦でGAEA JAPANからデビュー。腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ負け。 2001年 2月2日、東京・後楽園ホール戦を最後に長期欠場に突入。 2002年 長期欠場。 2003年 9月23日、後楽園ホールにおいて、広田さくらのセコンドに付いて、広田をかばい、納見佳容のプランチャーが足に当たり骨折。そのあと緊急手術。長期欠場。 2004年 長期欠場。 2005年 長期欠場。この間にGAEAが解散した為、フリーに転向。 2006年 10月1日、東京・新宿FACE(長与千種プロデュース「Marvelous Night Special 加藤園子 Restart Again!」)において、アジャ・コングと組んで、KAORU、里村明衣子組と対戦。里村のオーバーヘッドキックで敗れる。 11月17日、東京・新宿FACE「第21回Ozアカデミー興行~再会~」において、里村明衣子と組んで、植松寿絵、永島千佳世組と対戦。永島の裏足4の字固めでギブアップ負け。 2007年 4月7日、大阪・アゼリア大正において、三田英津子と組んで、輝優優、宮崎有妃組と対戦。三田が宮崎に敗れる。 5月20日、東京・OZアカデミー新宿FACE大会において、カルロス天野と組んで、永島千佳世、植松寿絵組と対戦。永島から首固めで復帰後初のフォール勝利。 2008年 OZアカデミー認定タッグ王座初代王者決定トーナメントに永島千佳世と組んで出場。7月13日決勝でカルロス天野&ダイナマイト・関西組に敗れる。 2009年 2月22日、アジャ・コング&松本浩代から第4代OZアカデミー認定タッグ王座を奪還。 8月2日、この日をもってOZアカデミー正式入団。 2014年 1月12日、新宿FACE大会にて、アキノミクスを推進しOZの選手とはタイトルマッチを一切行わないと言うAKINOとOZアカデミー認定無差別級選手権試合で対戦。途中肩を外すアクシデントをおこしAKINOに肩を入れてもらい試合を続行するも敗北。 6月4日、後楽園大会で、旧姓・広田さくらとの試合後、肩の手術のため約半年間の欠場を発表。 12月4日、後楽園大会で、1月11日の新宿大会で復帰することを発表。復帰戦の対戦相手にAKINOを指名する。 2015年 1月11日、新宿大会で復帰。 8月23日、横浜文化体育館大会で空位となっていたOZアカデミー認定無差別級王座決定戦に勝利し、同王座初戴冠。 2017年 4月15日、ポカスカジャン作詞作曲の「コノヤロー」でCDデビュー。
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経歴・戦歴
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1994年 9月15日、東京・後楽園ホールにおいて対金山薫戦で全日本女子プロレスからデビュー。全日本女子プロレス時代には、同期の中で最初にタイトルマッチが組まれるなど、将来のエース候補として期待されていた。 1997年 全女の経営難から離脱。 ネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)に移籍。 2000年 8月24日(現地時間)、アメリカ・アトランティックシティでニコル・バスを下し、NWA女子パシフィック&NEO認定シングルの二冠王座の初代王者となる。 10月13日の板橋産文ホール大会にて、40分6秒の激闘の末元気美佐恵を下し、2度目の二冠王座防衛に成功。 2004年 8月14日の後楽園ホール大会にて、「田村欣子31プレイ・チャレンジ・マッチ」と題して、豊田真奈美の30人掛けマッチ(1995年)を超える31人掛けマッチを行う。 12月19日の後楽園ホール大会にて、TWA女子王者の田村と二冠王者の元気による三冠統一戦が行われるが、60分時間切れ引き分けに終わる。 2005年 5月5日の後楽園ホール大会で、我闘姑娘の中学生レスラー・高橋李佳との対戦が実現。高橋にプロの洗礼を浴びせ、泣かせてしまう。 2006年 8月19日、東京・板橋グリーンホールにおいて、松尾永遠と組みミッドサマー・タッグトーナメントに優勝する。 2007年 7月16日、東京・後楽園ホールにおいて、さくらえみと組み、元気美佐恵、松尾永遠組の保持するNEO認定タッグに挑戦。さくらえみがラ・マヒストラルで元気美佐恵から勝利。田村欣子、さくらえみ組が、第5代NEO認定タッグ王者になる。 2008年 8月、NEOとアイスリボンが制作する映画「スリーカウント」(監督:窪田将治)の撮影に参加。その中での出演者から数名を選抜し、チーム「田村プロレス」を結成。「勝利が絶対」という田村流プロレス理論を叩き込む。 2009年 5月5日の後楽園ホール大会で、さくらえみを破りNEO統一二冠王者に返り咲く。 9月20日のNEO後楽園ホール大会で、NEO統一二冠王座初防衛戦。高橋奈苗を27分35秒、マウントクックからのエビ固めで破り、初防衛成功。 12月31日、NEO後楽園ホール大会において、栗原あゆみとのタッグ「☆タムクリ☆」で、高橋奈苗・華名組の保持するNEO認定タッグ王座に挑戦。21分32秒、栗原あゆみが華名へのダブルニーアタックからの押さえ込みで勝利。第12代NEO認定タッグ王者となる。なお、「☆タムクリ☆」は、NEO認定タッグへの4度目の挑戦で載冠を果たした。 2010年 2月14日、NEOラゾーナ川崎大会において、「☆タムクリ☆」でNEO認定タッグ王座の初防衛戦に挑む。挑戦者は、木村響子・中川ともか組。22分21秒、栗原がダブルニーアタックからのエビ固めで木村響子からスリーカウントを奪取。第12代王者としてNEO認定タッグ王座の初防衛に成功。 5月5日の後楽園ホール大会で「☆タムクリ☆」は松本浩代・大畠美咲組相手にNEO認定タッグ王座の2度目の防衛に成功。しかしメイン終了後に大晦日の後楽園大会での団体解散、ならびにタニー・マウス、宮崎有妃と共に現役引退することを発表。 12月31日、NEO最終興行となる後楽園大会で引退試合を兼ねて栗原とNEOシングル王座13度目の防衛戦。リストクラッチ式裏投げで敗れ王座のまま引退はならなかった。 2011年 3月21日、DVD発売を記念してアイスリボン後楽園大会でタニー・宮崎とともにサイン会を行う。 4月23日、アロマトリートメントサロンを開店。
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経歴・戦歴
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2006年 我闘姑娘のさくらえびきっずに憧れ、2月にさくらえみに電子メールで入門を直訴し、我闘姑娘に練習生として入団。 7月25日、第2回アイスリボン・千本桜ホール大会で、りほを相手にアイスリボン所属としてマットデビュー。 9月17日、NEO女子プロレス・後楽園ホール大会で元気美佐恵・りほ組相手にリングデビュー(パートナーは植松寿絵)。 2007年 2月18日、NEO女子プロレス・川崎市体育館大会で行われたイリミネーションマッチにおいて、オーバー・ザ・トップロープでタニー・マウスから初勝利を挙げる。 9月8日、Future Star北沢タウンホール大会で、みなみ飛香から初のピンフォール勝ちを収める。(パートナーは希月あおい) 2008年 2月1日、アイスリボン・市谷大会で、三田英津子をパートナーにNEOマシンガンズ(タニー・マウス&宮崎有妃)の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し、勝利。初タイトルを獲得した。 10月18日、アイスリボン・新木場1stRING大会で自ら提唱し作製したICE×60チャンピオンベルトを披露。同年11月15日 新木場大会、12月23日 北沢大会で行われた初代王者決定トーナメントに出場するが、決勝で聖菜に敗退。 2009年 7月29日、初のイメージDVD「ミラクルハンター」が発売される。 8月23日、アイスリボン後楽園ホール大会において、ライジングスタースープレックスホールドで市来貴代子を破り、第3代ICE×60王者となる。 11月1日、NEO女子プロレス・後楽園ホール大会、三田英津子引退興行でラストシングルマッチの対戦相手を務めた(当初は三田の元付き人野崎渚の予定だったが負傷欠場のため変更された)。 12月28日、2009年日刊バトル大賞女子プロレス部門敢闘賞を受賞。 2010年 5月3日、アイスリボン後楽園ホール大会においてスクリーン上で「マイナスのコスプレ」と宣言し、胸元が開いたワンピース水着型コスチュームで登場。飯伏幸太と組み、澤宗紀&バンビと対戦、しかしバンビのスタンディング・シャイニングウィザードからの片エビ固めで敗れる。 9月23日、アイスリボン後楽園ホール大会において仙女との対抗戦でキャプテンフォール10人タッグマッチにおけるキャプテンとして戦い、最後は花月との一騎討ちの末に敗れる。 10月27日、アイスリボン道場マッチにて牧場みのりと組み、さくらえみ・高橋奈苗組の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するも敗退。 12月26日、アイスリボン後楽園ホール大会、WWEを目指すためにと自身が熱望したTAJIRIとのシングルマッチを実現。完敗するもTAJIRIから高評価を受け、2011年1月29日SMASH新宿FACE大会(ダブルヘッダーの夜興行)にて元WWEディーヴァのセリーナと対戦決定。 2011年 2月6日、アイスリボン今池ガスホール大会にてりほをパートナーに志田光&藤本つかさの持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦。最後は志田のスリーカウントを受け敗戦。 4月15日、19時女子プロレス大阪大会(大阪プロレスが会場と2試合を提供)にてつくしが持つIW19選手権に挑戦するも敗れた。 5月11日、アイスリボン道場大会の座談会にて、「基礎体力が少し足りない」とSMASH側から指摘されたとの理由でさくらえみからSMASHの合同練習への参加を禁じられていることを告白。腕立て伏せ100回というノルマを巡り、さくら及びさくらに同調した都宮ちいとの遺恨が生じる。 7月22日、19時女子プロレスにて都宮ちいの持つIW19王座に挑戦するも、19分時間切れ引き分けで奪取に失敗。 8月5日、19時女子プロレスにて同月21日のアイスリボン後楽園大会を最後にアイスリボンを退団、SMASHへの移籍を発表。 8月7日、アイスリボン道場大会にて藤本つかさの持つICE×60王座に挑戦するも敗れる。 8月13日、アイスリボン道場大会にてさくらえみと組み、星ハム子・宮城もち組の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し勝利。第19代王者となる。 8月21日、アイスリボン後楽園ホール大会にてさくらえみと対戦し敗れる。同日付けでアイスリボンを退団しSMASHへ移籍。 2012年 4月5日、TAJIRI以下元SMASH所属全選手、レフェリー、練習生とともに、新団体「Wrestling New Classic」に移籍。 6月24日、朱里との試合中に手首を負傷。長期欠場に入る。このため、予定されていた自主興行は延期となった。 8月30日、WNC後楽園大会で復帰。1年ぶりの復帰戦となった同期デビューの野崎渚と対戦も敗れる。このカードはシリーズに3連戦として組まれ3連敗。 11月9日、華名と合同で「まこかなプロ」開催。第1試合にて華名とタッグを組み、元同門の志田光&星ハム子組と対戦。セミで尾崎魔弓と初シングルも敗れる。 11月27日、WAVE・AAA合同後楽園大会、春日萌花とのタッグで次期WAVE認定タッグ王座挑戦者決定5WAY戦を制す。 12月16日、WAVE新木場大会、大畠美咲&藤本つかさ組のWAVEタッグ王座に挑戦。しかし奪取ならず。 2013年 3月31日、WNC新宿大会で朱里を降しWNC女子王座奪取。 4月25日、WNC後楽園大会でリン・バイロンに敗れWNC女子王座陥落。 4月29日、スターダム両国国技館大会に参戦。 7月14日、2年ぶりとなる古巣アイスリボン参戦。希月あおいとシングル。 8月20日、「私立・プロレス学園」を立ち上げ、新人の小林香萌を生徒第1号とする。 8月24日、REINA東部フレンドホール大会、REINA世界タッグ王座決定トーナメントに松本都との元アイスリボンタッグでエントリーするが、Leon&ライディーン鋼組の前に敗れる。 2014年 1月9日、WNC-REINA所属になる。 4月27日、REINA新木場大会にて行われたREINA世界タッグ王座決定トーナメントに小林香萌と組んでエントリー。1回戦のアレックス・リー&クレージー・マリー戦、2回戦のLeon&フェアリー日本橋(OSAKA女子)戦をいずれもスピアーで勝ちあがり、決勝の雫有希&亜利弥’戦で勝利してタイトル獲得となった。 6月29日、REINA新木場大会、再び小林香萌と組み、今度は約3年ぶりとなるインターナショナル・リボンタッグ王座を懸けて成宮真希&世羅りさ組(.STAP)に挑むが、敗れる。 8月12日、我闘雲舞初参戦。5年半ぶりとなる市ヶ谷でWNC旗揚げ戦以来2年ぶりに里歩とタッグを組み、師匠さくらえみ(パートナーは「ことり」)と3年ぶりに対角線に立った。里歩がそうまとうで「ことり」から勝利。 8月20日、REINA新木場大会、亜利弥’と組み、堀田祐美子&ラ・コマンダンテ組の持つREINAタッグ王座に挑戦、コマンダンテからスクールボーイでフォールを奪いタッグ王座奪取。 12月26日、REINA後楽園大会で華名軍に強制的に加入させられる。 2015年 2月8日、OZアカデミー新宿大会で尾崎魔弓からの指名で尾崎とシングルを行う。正危軍加入を要請されるも拒否する。 2月22日、我闘雲舞板橋大会に参戦。セミファイナルでさくらえみをアラベスクで丸め込み勝利する。 5月23日、アイスリボンでプロレスに就職を宣言した優華とシングルを行いスピアーで勝利。試合後4月から高校に通っていることを話す。 2016年 3月25日、REINA後楽園大会で藤本つかさからREINA世界女子王座を奪取する。 2017年 7月1日、7月2日から、頚椎椎間板ヘルニアにより長期欠場する事を発表。 10月25日、REINA後楽園ホール大会にて復帰。 2018年 3月10日、REINAの活動休止とともにフリーに。 12月11日、我闘雲舞新木場1stRing大会にて里歩とのタッグでアジアドリームタッグ王座を戴冠。 2019年 8月11日、PURE-J後楽園ホール大会にて春日萌花とのタッグでデイリースポーツ認定女子タッグ王座を戴冠。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 23:56 UTC 版)
2001年8月19日、第8回全日本総合格闘技大会の総合格闘技無差別級トーナメントに出場し4位となった。 9月、闘龍比祭に出場し3位となった。 2002年、ジャッキー・リン&チェリー戦でプロレスデビュー(パートナーは佐野直)。 2004年真陰流トーナメント出場、準決勝で桜木裕司に1R2分KO負け。 10月13日、北沢タウンホールにおける「マッスル」に自己実現のために初参加。 2005年12月16日、リアルジャパンプロレスの掣圏真陰流トーナメントに出場。細江俊裕(截空道総本部)に1R2分42秒でTKO負け。 2006年1月28日、格闘技大会「W-カプセル」に出場。高森啓吾と総合格闘技ルールで対戦。1R17秒鉄槌連打によるKO負け。 2007年9月5日、マッスル15においてMr.マジックとのコンビで、2人の年収を合わせて命名された「2000万マネーズ」を結成する。 2019年2月16日、『マッスルマニア2019 in 両国~俺たちのセカンドキャリア~』両国国技館大会でヤス・ウラノ&大石真翔&大家健を相手に引退試合(パートナーは趙雲子龍&グレート小鹿)。ほぼ試合に出られずに終了したため、急きょ青木真也を相手に再試合を行った。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:27 UTC 版)
小3の時、心の変化に気づき周囲との違い感じつつも男性として生きてきたが、16歳の時に限界を感じて病院で検査を受けた結果、性同一性障害と診断された。しかし、プロレスラーの夢は捨てきれず、憧れていた浜田文子が所属するプロレスリングWAVEに入門。 2015年 8月10日、後楽園ホールにて山縣優相手にデビュー、ドロップキック5連発を見せるも、最後はミサイルキックに沈んだ。同期には橋本千紘がいる。 8月27日、新木場1stRINGにて桜花由美と組み、華名&山下りな組と対戦し、桜花のスパインバスターからムーンサルトプレスで初の自力勝利。 11月22日、2014年まで通っていた仙台育英学園高等学校がある宮城県でのSENDAI WAVE 〜KEEP SMILE :) 4〜で初凱旋。 2017年 WAVE10周年記念大会でメインに大抜擢され桜花由美から勝利。シューティングスタープレスを初公開。 2018年 ZERO1で活動中のVOODOO-MURDERSに加入し定期参戦。ZERO1主催の天下一Jr.に出場する。 7月3日、DDTプロレスリング新木場1stRING大会にて、佐々木大輔&遠藤哲哉と組み、彰人&勝俣瞬馬&赤井沙希組と対戦。 8月19日、WAVE後楽園ホール大会にて彩羽匠の保持するRegina di WAVE王座に挑戦し勝利。自身初の王座戴冠となる。 9月2日、W-1横浜文化体育館大会にて木村花とのシングルに敗戦後、木村よりタッグ結成を呼びかけられるも応じず。 9月16日、WAVE後楽園ホール大会にて、木村とRegina di WAVE王座をかけて再戦し、これを制す。試合後、逆に朱崇花が呼びかける形で木村とタッグ結成。後にタッグチーム名がFloÜrish(フロウリッシュ)となる。 12月末日付にてプロレスリングWAVEを退団。以降はフリーランスとしてDDTプロレスリング、SEAdLINNNG、WRESTLE-1、魔界などに参戦。 2021年 AEWが開催するWOMEN'S WORLD CHAMPIONSHIPにエントリー 10月9日、大田区総合体育館大会にて東京女子プロレス初参戦。試合で組んだ上福ゆきとのタッグ名を「VENYU(ベニーユ)」とした。
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経歴・戦歴
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1977年 3月に行われた全日本女子プロレスの第1回オーディションで、約2000人の応募者の中からトップ合格。同期に横田利美(のちのジャガー横田)がいる。6月28日、東京・大田区体育館において、対ビクトリア富士美戦でデビュー。10月、引退した阿蘇しのぶに替わって池下ユミのパートナーに抜擢され、二代目ブラック・ペアとして活動。 1978年 3月に冨高千賀子のパートナーに予定されていた選手の海外遠征が取りやめになり、代わりに漆原が冨高と共に海外遠征に出発。それぞれの姓を欧米人の名前風に捩ったルーシー加山&トミー青山のクイーン・エンジェルス誕生となる。8月9日にはナンシー久美&ビクトリア富士美のゴールデン・ペアを破り、WWWA世界タッグ王座を獲得。 1979年 3月にディスコ歌謡「ローリング・ラブ」でレコードデビュー。4月6日に池下とマミ熊野の三代目ブラック・ペアに敗れ、WWWA世界タッグ王座を失う。 1980年 パートナーのトミー青山の右膝負傷でナンシー久美と新たにタッグを結成し、2月5日に三代目ブラックペアからWWWA世界タッグ王座を獲得。2月21日にはトミーが返上したオールパシフィック王座の王座決定戦に臨むも、池下に敗れて獲得ならず。シングル王座には最後まで縁がなかった。12月17日には横田利美&堀あゆみ組に敗れ、WWWA世界タッグ王座から陥落。 1981年 体調を崩し、トップ戦線から徐々に後退。引退セレモニー等を行うことなく、同年4月に現役を引退する。引退後には、スナック経営を経て介護の仕事に就き、デイサービスの施設長を務めている。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/29 19:58 UTC 版)
2004年 2月28日、埼玉・春日部インディーズアリーナにおいて、対さくらえみ戦でデビュー。 10月31日、我闘姑娘の旗揚げ戦の準備中に両足首を脱臼骨折。以後長期欠場。 2005年 欠場から復帰することなく、3月末を以て我闘姑娘を退団、引退。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/27 23:32 UTC 版)
元女子プロレスラーの吉葉礼子を母、全日本女子プロレス創業者松永高司を伯父に持つため、幼少期より女子プロレスに関わることが多く、中学生の頃よりセコンドに入っていた。 1979年にオーディションを受けるも不合格。しかし、その後ダンプ松本の誘いを受け、1985年8月28日に大阪城ホール大会でのダンプVS長与千種の髪切りマッチで「ダンプの影武者」としてリングデビュー。ダンプからは「かほるちゃん」と呼ばれていて現在でも可愛がられている。 そのままレスラーとなり、一時は覆面を被り「ダイナマイト・キング」を名乗った。 1987年にはダンプ松本と組んでタッグリーグ・ザ・ベストにもエントリーしたが、翌1988年12月引退。 その後は日本初の女性リングアナウンサーとなり、やがて芸能マネージャーに転じる。 現在は後輩レスラーである井上貴子の個人マネージャーを務める傍ら、2007年から、東急武蔵小山駅近くで飲食店「かおちゃん家deめしくぃ亭」も経営している。 2014年3月22日、大田区総合体育館で行われた長与千種プロデュース「That's女子プロレス」にて極悪同盟のセコンドとして久しぶりに登場。
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経歴・戦歴
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高校卒業後、全日本女子プロレスの新人オーディションを受けるも不合格、その後も受け続けるも4度目の不合格で挫折。1995年、ザ・ブラディーに促される形で吉本女子プロレスJd'を受け合格、1期生として入門。 1996年4月14日、六本木ヴェルファーレ大会において、対小山亜矢戦でデビュー。 1999年12月16日、「貧乳」(「アベちゃんwithブリトラ」名義)でCDデビューを果たした。当時のバックダンサーは西千明と松尾永遠だった。 怪我で欠場を続けるなどしばらく低迷するが、2001年2月24日のディファ有明大会にて行われた「メタルガレージ(天井付き金網)」マッチでファング鈴木から劇的な勝利を収めてから急浮上、年末にはKAZUKIとのコンビ「WANTED!?」でTWFタッグ王座を獲得するなど、Jd'の中心選手として活躍。 2003年5月に突如退団を表明、堀田祐美子率いるAtoZに移籍する。 2006年5月3日のAtoZ活動停止後はフリーとして中島安里紗とのユニット「Hysteric Babe」で活動していたが、中島と共にコマンド・ボリショイに誘われ8月6日付けでJWP女子プロレスに入団。先にJWPに入団していたKAZUKIと「WANTED!?」を復活させる。 2014年6月21日、8月17日のJWP後楽園ホールを持っての引退を発表。それに加え、寿引退をするための花婿も募集。引退ロードでは中島・堀田とのシングルや、KAZUKIと組み春倉と対戦。REINAでは亜利弥'とのシングルが予定されていたが、体調不良のためトークバトルに変更される。18年以上の長きに渡る現役生活に終止符を打った。 後楽園ホール大会で、まずKAZUKIと組んでの藪下めぐみ&ジャガー横田とのタッグマッチ、薮下がKAZUKIを秒殺してしまうが、再試合でジャガーのラ・マヒストラルで敗れる。続けてKAZUKIとのシングルマッチでは、デス・バイ・ロデリックで両ヒザ弾を浴びてマットに沈み引退となった。現在は一般社会人となっている一方でプロレスの観戦も定期的に行っている。。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 17:47 UTC 版)
2006年 7月9日、宮城・仙台サンプラザホールにおいて、対ダイナマイト・関西戦でデビュー。右ハイキックでTKO負け。 9月29日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、カルロス天野と対戦。ダイビング・ラリアットで敗れる。 11月11日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、永島千佳世と対戦。ウラカン・ラナを切り返されて敗れる。 12月3日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、吉田万里子と対戦。クモ絡みでレフェリーストップで敗れる。 2007年 9月8日、リングネームをDASH・チサコに改名する。 2011年 3月、東日本大震災に伴う一時的な措置としてJWPに特別参戦を開始。 2014年 6月8日、JWP板橋大会に昼夜で開催される1dayトーナメントに出場。春山香代子、ラビット美兎、KAZUKIを倒し優勝。 7月13日、JWP認定無差別級選手権王者中島安里紗と対戦するが敗れる。 8月24日から開催されるSTARDOM 5★STAR GP2014に参戦。 2015年 4月11日、みちのくプロレスで活躍中のムーの太陽に入信。師匠里村よりもマスターを尊敬していることを明かし里村の反対を押し切りオーディションに登場。また入信前からバラモン兄弟の大ファンであった。 近年はハードコア路線でも活躍している。彼女が場外に出ると専用のBGMが会場内に流れ、リングに戻ると止まる。 2016年 4月10日より開幕のプロレスリングWAVEが主催するCatch the WAVE2016にマンダリンオレンジブロックで出場しブロック1位となる。決勝トーナメントの1回戦で同期の水波綾と対戦し敗れはしたが初出場ながらベスト8の大健闘であった。 2017年 12月17日、PURE-J女子プロレス後楽園ホールにて中森華子が持つPURE-J認定無差別級王座に挑戦。見事勝利し2代目王者に輝く。キャリアとして初のシングル王座獲得となった。 2019年 3月21日DDTプロレスリング後楽園ホール大会において、竹下幸之介&彰人&飯野雄貴組が保持するKO-D6人タッグ王座に挑戦し勝利。(パートナーは里村明衣子&橋本千紘)。 女性初のKO-D6人タッグ王者となる。 4月、松本浩代の新タッグチーム「令和アルテマパワーズ」を結成。 10月13日、令和アルテマパワーズとしてセンダイガールズワールドタッグチームチャンピオンシップ獲得。 2020年 11月29日、後楽園ホール大会で開催された戦場トーナメントにおいて、決勝戦で橋本千紘を下し優勝。 2021年 里村が海外進出のため仙女へはスポット参戦となり、里村不在中は団体の指揮を執っている。 6月13日、大田区総合体育館にて行なわれたGAEA JAPAN旗揚げ25周年記念興行『GAEAISM』において岩田美香、橋本千紘と組み、GAEA JAPANの至宝であるAAAWシングル王座とAAAWタッグ王座のAAAW王座と、仙女の至宝であるセンダイガールズワールドチャンピオンシップのシングル・タッグの両王座を懸けてMarvelousの桃野美桜、門倉凛、星月芽依と対戦。最後は橋本と桃野の一騎打ちとなり、橋本が桃野を下し、センダイガールズワールド王座を死守するとともにAAAW王座の権利を獲得した。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 11:58 UTC 版)
井上貴子がプロデュースするアイドルレスラープロジェクト「VoLume II」の2期生で、同期のMIZUKIとともに「ブリバト♡」(ブリリアントバトルガールズの略)として活動中。1期生オーディションには100通以上の応募があったものの、合格者8名全員がデビュー前に脱落。より審査を厳格化して開催した2期生オーディションで応募70通弱の中から合格した2名がSAKIとMIZUKIだった。プロレスと平行して秋葉原で週1回の定期LIVEを行うなど、ライブアイドルとしても活動していた。 2011年 秋に「VoLume II」の2期生オーディションを受け、募集要項の上限年齢だった23歳で合格。 2012年 前年の秋から一緒に練習してきた1期生が脱落。残った同期のMIZUKIとともにデビューに向けトレーニングを続ける。12月29日、LLPW-X赤坂BLITZ大会でMIZUKIとともにデビュー。貴子は当初、SAKIvsMIZUKIのシングルマッチを考えていたが、社長神取忍の提案により、神取&貴子組vsブリバトでのデビュー戦となった。試合は4分37秒、貴子のツームストン・パイルドライバーでMIZUKIが敗戦。またプロレスと同時にCDデビューした。 2013年 4月13日、「石岡女子プロレスフェスティバル」にてMIZUKIと初シングル。ボディスラムからの逆エビ固めで初勝利。8月31日にはブリバトとして我闘雲舞に初参戦。以降、定期参戦するなど、練習ではさくらえみから指導を受けるようになる。 2015年 本格的にウエイトトレーニングを開始し、パワーファイターとして頭角を現し始める。SAKIがパワーファイター路線に突き進んだ事で、軽量級でスピードタイプのMIZUKIとの色分けが明確化され、結果的に「ブリバト♡」がタッグチームとして急成長する、きっかけとなった。 2016年 1月9日、アイスリボン横浜ラジアントホール大会にて「ベストフレンズ」(藤本つかさ&中島安里紗)が保持するインターナショナル・リボンタッグ王座で、「ブリバト♡」結成4年目でタッグタイトル初挑戦。17分22秒、藤本のビーナスシュートでSAKIが敗れ、初タイトルならず。 3月24日、我闘雲舞新木場1stRING大会にて新たに創設されたアジアドリームタッグ王座を賭け、ブリバトvsさくらえみ&マサ高梨戦が行われる。25分23秒、アクアマリンでMIZUKIがさくらから勝利し、アジアドリームタッグ初代王者となった。 11月28日、11月末をもってMIZUKIと共にLLPW-Xを退団することが発表される。2016年下半期より試合数が減っており、所属としては10月9日の川口ストリートジャズフェスティバルでのイベントプロレス(vsアイガー)が最後の試合となった。 12月14日、名称を本名の沙紀にする。 2017年 1月8日、プロレスリングWAVE新宿FACE大会のバトルロイヤルにシークレット選手として登場。およそ3ヶ月ぶりの試合となる。以降もWAVEに参戦。 2月25日市ヶ谷チョコレート広場大会、さくらえみ&「ことり」戦(パートナーは帯広さやか)で我闘雲舞に再登場。 4月19日から6月4日まで Catch the WAVE 2017 に参加、2勝4敗1分の成績を残す(2勝は、優勝した山下りなと、宮城もちから)。 6月5日、我闘雲舞・板橋大会で瑞希(MIZUKI改め)と1年ぶりのタッグ結成。6月25日、花鳥風月・東京タワースタジオ大会では桐原季子のデビュー戦の相手を務める。 12月24日よりアクトレスガールズ所属となる。移籍まもなくは前座で新人選手の教育係といったポジションだったが、2月25日新木場大会で安納サオリとタッグマッチで激突。感情的につっかかった。 2018年 9月25日に開幕するBeginning初の王者決定戦、アクトレスガールズシングルチャンピオン決定トーナメントに出場。1回戦で青野未来をぶつかり合いの末撃破。10月9日に行われた2回戦ではナガタロックで有田ひめかに勝利。11月15日、後楽園ホールで行われた決勝戦では惜しくも安納サオリに敗れた。 2019年 1月20日、Color’s旗揚げ戦では瑞希と久々にタッグを結成。茉莉&清水ひかり組に勝利。Color’s旗揚げのため道場のない若手のため、1週間リングを借り練習させていたことを告白した。同年3月に再びSAKIへと改名。 2021年 12月31日、アクトレスガールズのプロレス活動終了およびBeginning、Color’s解散に伴い、アクトレスガールズを卒業。プロレスラーとしての活動は継続する。2022年2月12日にSAKI、清水ひかり、網倉理奈、櫻井裕子の4名で新生COLOR'Sとして旗揚げ。旗揚げ戦では清水ひかりと組み、堀田祐美子、川畑梨瑚のT-HEARTS組と戦い川畑から勝利を得た。 2022年 4月15日『後楽園ホール60周年還暦祭』に野崎渚、彩羽匠と組みメインイベント6人タッグマッチで出場。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 01:56 UTC 版)
1歳から芸能活動を開始し、14歳からアイドルふらぷろ生として2年間活動。その後浅井星光の元でアクション、の基礎を3年間学んだのちRHYTHM COLLECTIONに所属しアクション俳優に転向。 暴力無双で共演した坂口拓の行うリアルアクション道に触れ格闘技に目覚める。 8歳から続けている空手道では第6回および第7回剛柔会空手道世界選手権大会で優勝を果たしている。 Actwres girl'Zが行っている舞台「アクトリング」に役者としてキャストに加わっていた縁で、Actwres girl'Z代表の坂口敬二に田村潔司を紹介される。2021年3月よりトレーニングをはじめ、7月1日GLEAT旗揚げ戦「GLEAT Ver.1」でデビューが決まる。 2021年 7月1日、GLEAT旗揚げ戦「GLEAT Ver.1」TDCホール大会に参戦し、LIDET UWFルールでセンダイガールズプロレスリング所属の橋本千紘戦でデビュー。ブラジリアンキックをクリーンヒットさせる場面があったが、橋本の猛攻を受け、最後はアンクルホールドでギブアップ負けとなった。 10月9日、GLEAT「LIDET UWF Ver.1」新宿FACE大会にて、LIDET UWFルールでGLEATの宮城倫子と対戦。宮城から徐々にロストポイントを減らされ、ダウンを奪う場面があったが、最後はチョークスリーパーでギブアップ負け。デビューしてから2連敗となった。
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経歴・戦歴
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「カリビアン・MOON」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2006年 12月3日、東京・新木場1stRING「格闘美~Dreamer06~」において、対浦井百合戦でデビュー。ムーンサルトプレスで勝利。 12月10日、東京・新木場1stRING「格闘美~Dreamer06~」において、カリビアン・KIMと組んで、渋谷シュウ、チェリー組と対戦。カリビアン・インパクトで勝利。 2007年 1月14日、東京・新木場1stRING「格闘美~MASSIVE07~」において、カリビアン・KIMと組んで、渋谷シュウ、チェリー組と対戦。カリビアン・インパクトで渋谷から勝利。
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経歴・戦歴
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「Leon (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2000年 3月15日、アルシオンの後楽園ホール興行において、対藤田愛戦でプロレスデビュー。 2003年 アルシオンを吸収したAtoZにリングネーム玲央奈(れおな)として所属。 2005年 1月にAtoZを退団。そしてフリーランスで活動を開始し、またマスクウーマンとなりリングネームも闘獣牙Leon(とうじゅうきレオン)に改名した。 4月24日、M's Style一周年記念興行「Mab 〜夢を支配〜」のワンデートーナメントで優勝。 11月よりM's Style所属となった。 2006年 1月15日、M's Style「アストレイア 〜希望の女神I〜」において、浜田文子との対戦中に自らマスクを外し、素顔となり戦うも敗れてしまう。 7月2日、新宿FACE(レディゴンまつり)において、アルシオンメモリアルマッチで素顔の高瀬玲奈として、対AKINO、大向美智子、江本敦子組と戦い、江本から勝利する。パートナーは二上美紀子(GAMI)、アジャ・コング。試合後、誕生日を祝ってもらうが、大向のケーキ投げで金具により頬から流血してしまう。 10月8日にM's Styleが解散となりフリーに。 2007年 1月14日の東京キネマ倶楽部大会で、以前から定期参戦していたJWP女子プロレスへの入団を表明した。 2010年 1月、「読みづらい」という理由から、リングネームを「闘獣牙Leon」から「Leon」に改名。
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経歴・戦歴
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ジャパン女子プロレスに入団後、1986年8月17日後楽園ホールにてデビュー戦。vsモンスター・リッパー、オーケー・カルホーン(パートナーはナンシー久美)。 デビュー時のリングネームは、ジャパン女子プロレスが旗揚げした時に地球に接近した、ハレー彗星にちなんで『ハレー斉藤』であったが、その後、ダイナマイト・関西との抗争を機に、オートバイメーカーのハーレーダビッドソンのような、迫力あるレスラーを目指すため『ハーレー斉藤』と改名する。 1992年のLLPW旗揚げに参加。時折、覆面レスラー『天界二十八部衆カルラ』として試合を行っていた。 2010年に立野記代引退試合出場後、子宮筋腫と診断され長期欠場。手術後はプロレスを続けるのが不可能と医師から通告されたため、そのまま引退を余儀なくされ、2012年12月29日のLLPW-X赤坂BLITZ大会で引退試合を行う。 引退試合はジャパン女子プロレスOGによる6人タッグと発表され、同期の神取忍&尾崎魔弓と組み、後輩である遠藤美月&GAMI&コマンド・ボリショイ組と対戦。フライングニールキックからのフィッシャーマン・バスターでGAMIからフォールを奪い有終の美を飾った。セレモニーでは先に引退していた同期のイーグル沢井や復帰を目指していたダイナマイト・関西らが花束を持って駆けつけた。 引退後は親友の立野と現役時代から続けていた飲食店経営に専念する。 2016年に入り食道がんを患い闘病を続けてきたが、同年12月15日死去。48歳没。
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経歴・戦歴
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2008年 7月5日 東京・市ヶ谷アイスボックスにおいて、対しもうま和美戦でデビュー。 2011年 8月31日、病気療養のため、長期欠場をしていたが本人の希望により、同日付けで引退となった。
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経歴・戦歴
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2006年 10月7日、東京・新木場1stRING「格闘美~Dreamer06~」において、対渋谷シュウ、浦井百合組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは、カリビアン・KIM。カリビアン・インパクトで浦井から勝利。 10月28日、東京・新木場1stRING「格闘美~Dreamer06~」において、チェリーと対戦。勝利。 12月3日、東京・新木場1stRING「格闘美~Dreamer06~」において、風香と対戦。敗れる。
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経歴・戦歴
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「さくらえび☆きっず」のメンバーを経る。 2004年 10月31日、新木場1stRING大会において、対さくらえみ戦でデビュー。
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経歴・戦歴
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「ECO (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2004年 4月29日、東京キネマ倶楽部において、対AKINO、宮崎有妃組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは春山香代子。 2007年 4月15日、後楽園ホール大会で、ECO対コマンド・ボリショイ対闘獣牙Leonのマスカラ・コントラ・マスカラ・3WAYマッチが行われ、ECOが敗戦。ECOがマスクを脱ぎ、正体が青野敬子であることが明かされた。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/30 17:43 UTC 版)
1994年 8月31日、全日本女子プロレス大阪府立体育会館第2競技場において対渡辺美佐恵戦でデビュー。 1997年 1月、全日本女子を退団。後にネオ・レディースに入団。 5月、ラス・カチョーラス・オリエンタレス加入を直訴して直後に開催された6人タッグリーグ戦より正式に加入。 2002年 9月29日、ラス・カチョーラス・オリエンタレスのデビュー15周年興行で引退セレモニーが行われ、8年間の現役生活を終えた。
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経歴・戦歴
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2003年 12月14日、栃木・小山市文化センター小ホールにおいて、対シャーク土屋戦でデビュー。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/30 14:51 UTC 版)
「風香 (総合格闘家)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2004年 2月29日、東京・後楽園ホール興行において、対KAZUKI、斗猛矢組にてプロレスデビュー。KAZUKIに敗れる。デビュー戦のパートナーは救世忍者乱丸であった。 3月28日、東京・後楽園ホールにおいて、木村ネネ、乱丸と組んで、TSUNAMI、亜沙美、KAZUKI組と対戦。木村が亜沙美のダブルリストアーム・サルトで敗れる。 4月18日、大阪・NGKスタジオにおいて、秋山恵と組んで、クロウ、ファング組と対戦。クロウに敗れる。 4月29日、東京・後楽園ホールにおいて、アリエル、秋山恵、桜花由美と組んで、ラシャス、クロウ、ファング組とハンデキャップマッチで対戦。桜花がラシャスから勝利。 5月23日、東京・後楽園ホールにおいて、さくらえみと対戦。敗れる。 7月19日、東京・後楽園ホールにおいて、ドレイク森松と対戦。敗れる。 2005年 1月23日、「チャレンジャー1A」において、木村ネネと対戦。ブレーンバスターで敗れる。 2月11日、「EX格闘美」において、Baby-M、風香、木村ネネ組対ダイナマイト・関西の3対1変則マッチで、最後はダイビングフットスタンプで敗れる。 5月8日、「格闘美〜Jupiter〜」において、復帰戦(コスチュームをピンクに)でGAMIと対戦。ポキでギブアップ負け。 5月21日、「格闘美〜Jupiter〜」において、GAMIと組んで、闘牛・空、木村ネネ組と対戦。GAMIが木村から腕ひしぎ十字固めでギブアップ勝ち。 6月12日、大阪・NGKスタジオ(GAMI LIBRE〜関西フェスタ〜)において、実兄の柿本大地と組んで、ダイナマイト・関西、橋本友彦組と対戦。 6月26日、「格闘美〜Jupiter〜」において、対渋谷シュウと対戦。Fクラッシュでシングル初勝利。 7月9日、「格闘美〜Festa〜」において、GAMIと組んで、大向美智子、桜花由美組と対戦。外道クラッチで桜花から勝利する。同大会、全員参加バトルロイヤルにも出場。 7月17日、「格闘美〜Festa〜」特別企画において、メイド服のコスプレを披露する。同大会、木村響子と対戦。ビッグブーツで敗れる。 8月17日、SMACK GIRL東京・国立代々木競技場第2体育館大会にて総合初挑戦。川畑千秋と対戦し見込み一本で敗れる。 8月28日、「格闘美〜Festa〜」において、桜花由美と対戦。サクラドロップで敗れる。同大会、バトルロイヤルにも出場。 11月5日、「格闘美〜Dreamer〜」において、渋谷シュウと組んで、Hikaru、前村早紀組と対戦。渋谷がHikaruのスパインボムで敗れる。 11月29日、東京・後楽園ホール(SMACK GIRL)において、黒田エミと対戦。腕ひしぎ足絡みで総合初勝利。 12月10日、「格闘美〜Dreamer〜」において、阿部幸江の指名によりパートナーとしてGAMI、ファング鈴木組(最後っぺ)と対戦。GAMIからフォール負けしてしまう。 12月17日、「格闘美〜Dreamer〜」において、優菜と対戦。フィッシャーマンズ・スープレックス・ホールドで勝利。 12月27日、「格闘美〜Dreamer〜」において、シングル勝ち抜き4対4マッチに参加。高橋奈苗、阿部幸江、渋谷シュウとチームを組んで、前村早紀、西尾美香、木村響子、華名チームと対戦。風香チームの勝利。 2006年 1月3日、東京・後楽園ホール(ONLY ONE 敗者復活戦)において、対Hikaru対渋谷シュウの3WAY戦に参加。Hikaruが渋谷から勝利。 1月8日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、萌え萌え対決!?で春日萌花から三角絞めで勝利するも、試合後の萌え判定で3-0で敗れる。 1月28日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、春日萌花と萌えタッグを組んでGAMIとの2対1のハンデマッチ戦を行なう。最終的にGAMIが2人同時にフォール勝ち。風香をヨーロピアンクラッチにして、春日をノーザンライト・スープレックス・ホールド。 2月3日、新木場1stRING(THE WOMAN「萌えの中の萌えの中の萌え」)において、風香対春日萌花対優菜の3WAY戦で勝利。 2月5日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、栗原あゆみと組んで、渋谷シュウ、バンビ組と対戦。渋谷のノーザンライト・スープレックス・ホールドで敗れる。 2月11日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、大向美智子と対戦。右ストレートで敗れる。 2月26日、アストレス卒業試合として、渋谷シュウ、マッスル坂井組と対戦。パートナーは実兄の柿本大地。 3月12日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、AKINOと対戦。腕ひしぎ十字固めでギブアップ負け。コスチュームを黒にした。 3月25日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、前村早紀、Hikaruと組んで、闘獣牙Leon、闘牛・空、栗原あゆみ組と対戦。Hikaruが空からLanakila-Hで勝利。 4月2日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、バンビと対戦。ダイビング・セントーンで敗れる。 4月15日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、チェリーと対戦。飛びつき腕ひしぎ逆十字でギブアップ勝ち。 5月4日、「格闘美〜Future〜」において、高橋奈苗、Hikaru、前村早紀と組んで、AKINO、闘獣牙Leon、闘牛・空、GAMI組と対戦。空の垂直落下式ブレーンバスターで敗れる。 5月13日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、夏樹☆ヘッドと対戦。時間切れ引き分け。同日、高橋奈苗、Hikaru、渋谷シュウと組んで、AKINO、闘牛・空、栗原あゆみ、GAMI組と対戦。高橋が空からシャイニング膝アッパーで勝利。 5月28日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、中川ともかと対戦。ハイキックで勝利。 6月2日、神奈川・相模原 HK LOUNGEにおいて、バトルロイヤルに参加。同大会、Hikaruと対戦。敗れる。 6月18日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、渋谷シュウと対戦。Fクラッシュで勝利。 6月24日、「格闘美〜Future〜(League Princess決勝トーナメント)」において、準決勝で栗原あゆみと対戦。ドールFで勝利。決勝で夏樹☆ヘッドと対戦。ドールFで勝利。初代POP王者になる。同日、東京・後楽園ホール「UD:FIESTA」において、ドラゴン・ミックスチャー・スクランブル・タッグトーナメントを風香、柿本大地、飯伏幸太、諸橋晴也組(チームDDT)で参加し、優勝する。 7月2日、レディゴンまつりにおいて、アップルみゆきから勝利し、POK防衛。同大会、NSP写真集イリミネーションマッチで、アップルみゆき、春日萌花、優菜と組んで、渋谷シュウ、バンビ、市井舞、竹迫望美組と対戦。ハイキックで市井から勝利。全試合終了後、この日が誕生日だった高瀬玲奈を祝って、大向美智子が高瀬にケーキ投げをした(ちなみに高瀬は金具が顔面に刺さり出血)。しかし、勢いが強く流れケーキに当たり、それに気付いたGAMIによって拭いてもらう。 7月8日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜」において、仲村由佳と組んで、松尾永遠、春日萌花組と対戦。仲村が春日から踵落としで勝利。 7月15日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜」において、渋谷シュウと組んで、バンビ、TOMOみちのく組と対戦。バンビのダイビング・セントーンで敗れる。 7月23日、新木場1stRING「格闘美〜LIGHT〜」において、高橋奈苗と組んで、木村響子、渋谷シュウ組と対戦。高橋が渋谷から勝利。同日、「格闘美〜Festa〜」において、POP王座を賭けてバンビと対戦。初防衛に成功。 8月6日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜/フェスタdeフェスタ」において、風香対渋谷シュウ対栗原あゆみの3WAY戦で戦い、渋谷のスモールパッケージホールドで敗れる。同日、6人参加バトルロイヤルにも出場し、勝利する。 8月13日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜/ビヤガーデンフェスタ」において、THE MAC対闘牛・空のMACのセコンドとして付く。空のセコンドの男色ディーノのセクハラ攻撃にあい、タオル投入で試合はノーコンテスト。 8月20日、新木場1stRING「格闘美〜Festa〜最終戦/打ち上げフェスタ」において、桜花由美デビュー5周年記念プロデュース全員桜花??タッグマッチで、全員が桜花の過去のコスチュームを着て、当時の入場テーマ曲で入場し試合を行なった。風花(風香)、桜向美智子(大向美智子)組対GA美(GAMI)、渋谷由美(渋谷シュウ)組で戦う。最後は桜向が渋谷からエンジェルウイングロックによってギブアップ勝ち。 9月15日、後楽園ホール大会(SMACK GIRL)において10か月ぶりに総合の試合に臨み、これまた13か月ぶりの試合となった舞と対戦。試合序盤で鼻血を出しながらも判定勝ちし、総合での戦績を2勝1敗とした。 9月17日、新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、バンビと組んで、元気美佐恵、浦井百合組と対戦。Fクラッシュで浦井から勝利。 10月7日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、チェリーと組んで、市井舞、佐藤綾子組と対戦。市井の彗星キックで敗れる。 10月14日、宮城・石巻市総合体育館「格闘美〜IN石巻〜」において、栗原あゆみと組んで、堀田祐美子、大向美智子組と対戦。大向のカカト落としで敗れる。 10月22日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、市井舞と対戦。ドールFで勝利。POP2度目の防衛に成功。 10月28日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、浦井百合と組んで、元気美佐恵、松尾永遠組と対戦。浦井が元気に敗れる。 11月5日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、浦井百合と対戦。ハイキックで勝利。POP3度目の防衛に成功。 11月8日、東京・新木場1stRING「NOSAWA GENOME〜無茶ワールドプロレスリング〜」において、鈴木みのると対戦。敗れる。 11月12日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、チェリーと組んで、渋谷シュウ、松本浩代組と対戦。ハイキックで松本から勝利。 11月25日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、元気美佐恵と組んで、宮崎有妃、松本浩代組と対戦。試合中、宮崎に恥ずかし固めをされる。元気のローリング・ラリアットで松本から勝利。同大会、チェリー、渋谷シュウ、浦井百合と組んで、カリビアン・KIM、カリビアン・RUM、MORIBE、零組と対戦。カリビアン・インパクトで渋谷が敗れる。 12月3日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、カリビアン・RUMと対戦。ドールFで勝利。POP4度目の防衛に成功。 12月10日、東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、倉垣翼と組んで、大向美智子、浦井百合組と対戦。倉垣がラリアットで浦井から勝利。 12月31日、後楽園ホール「第4回ジュニア・オールスター戦〜椎名由香引退試合〜」において、夏樹☆たいよう(挑戦者・プロレスリングSUN)と対戦。敗れる。 2007年 3月21日、東京・新木場1stRING「MASSIVE07最終戦」において、浜田文子と対戦。序盤でローキックや腕ひしぎ逆十字等を見せるも、中盤以降繰り出す技はすべて通用せず、キレた浜田の張り手、ヒップアタックにより屈辱的に破れる。試合後、起き上がれない風香に浜田は後ろ足で蹴って退場、泣きじゃくる風香に観客はとまどい、後味の悪い試合となった。試合後、浜田は「10年近くやっているけどキレたのは2回目。プロレスは受けがすべて。これ以上言うことはない」と発言。風香は「もうやりたくない」と泣きじゃくった。 9月20日、初の自主興行「風香祭」を実施。 2008年 5月11日、メキシコシティー・アレナメヒコ「DRAGOMANIA III」(闘龍門)においてサオリと組んで、HIROKA、下田美馬と対戦。メキシコマット初登場で場外へのプランチャを初披露した。サオリがHIROKAに敗れる。 2010年 2月13日、シュートボクシング興行で朱里を相手に格闘技引退試合を行ない、0-2の判定負け。 3月19日、パッション・レッド自主興行にて、1日限定でパッション・レッド加入。 3月28日、「風香祭ファイナル」で高橋奈苗と引退試合を行い、ナナラッカで敗れる。引退セレモニーではウェディングドレス姿で登場し、SPEEDからの映像メッセージが流されると号泣した。 8月29日、Girls S-cup 2010で一夜限りの復帰を果たし、高橋奈苗とSBスペシャルエキシビションマッチを行なった。また、「風香プロデュース〜女子キッズスペシャルマッチ」が2試合行なわれた。
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経歴・戦歴
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2003年 5月5日 - 東京・後楽園ホールにおいて、対タニー・マウス、宮崎有妃組(NEOマシンガンズ)戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは、下田美馬、仲村由佳、松尾永遠(2対4の変則マッチ)。当時11歳の小学校6年生で、史上最年少プロレスラーデビューを飾った。 11月3日 - 東京・後楽園ホールにおいて、DJニラとバーリ・トゥード戦で対戦。圧勝。 2004年 3月14日 - 川崎市体育館大会において引退試合を行った。日向あずみ、仲村由佳と組み、渡辺えりか、米山香織、井上京子組と対戦し勝利。
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経歴・戦歴
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1987年 11月23日、東京・後楽園ホールにおいて、対エデン馬渕戦でデビュー。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:54 UTC 版)
1987年7月31日、ユニーサンテラス戸塚店駐車場で行われた市川千秋とのシングルマッチでプレデビュー。同年8月5日、全日本女子プロレスの後楽園ホール大会でプロデビュー。相手は同期入門の下田美馬であった。その後同期の山田敏代とタッグチーム『ドリームオルカ』を結成し、全日本タッグチャンピオンにも輝くが伸び悩み、パートナーの山田や同期の豊田真奈美に差をつけられてしまう。 1991年、パートナーを同期の豊田真奈美に代え、“ミントシャワーズ”を結成。「TIME TO GO」でポニーキャニオンよりCDデビュー。ミントシャワーズは同年のタッグリーグ・ザ・ベストにも出場したが戦績は芳しくなく、自然消滅。 1992年に北斗晶と共にメキシコに遠征して現地で猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)を結成。同年凱旋帰国し、それまでの消極的なファイトスタイルから脱却する。その後、下田美馬も猛武闘賊入り。三田と下田はタッグを組む機会が多くなり、勝率こそ良くないものの、正式なペアとしてファンから認知されるようになる。 1994年4月に横浜アリーナで開催されたオールスター戦で、他団体のキューティー鈴木、尾崎魔弓が保持するJWPタッグ選手権に挑戦。必殺のデスバレーボム2連発で王座を奪取。また、その数日後には沖縄で堀田祐美子、井上貴子が保持するUWA世界タッグ選手権を奪取して、一挙にタッグ2冠王となった。年に一度のシングル総当りリーグ戦、ジャパン・グランプリではこれまでほとんど勝ったことのない同期、山田敏代、豊田真奈美のふたりにいずれもデスバレーボムで勝利。優勝戦線まであと一歩、という好成績を残す。同年11月に行われた東京ドーム大会ではUWA世界タッグ王座を賭けLLPWの紅夜叉、長嶋美智子と激突。晴れ舞台でデスバレーボムを炸裂させ、V4に成功した。 1995年、師匠である北斗晶の現役復帰に伴い、停滞していた下田との猛武闘賊をいったん解消。上昇気流に乗る下田とは対照的に、長いスランプに突入する。 1997年、年初に膝の手術で入院。3月横浜アリーナ大会で、下田との猛武闘賊を正式復活させる。パイプ椅子を振り回す徹底したヒール路線を断行し、新機軸を打ち出す。6月の北海道興行中、豊田・山田との挑戦者決定戦に勝利し、渡辺智子、前川久美子の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦。ハサミで渡辺の腕に裂傷を負わせる狂乱ファイトを展開し、王座を強奪する。8月の日本武道館大会ではメインイベントでリターンマッチが開催されたが、見事返り討ちに。下田とともに経営難にあえぐ全日本女子プロレスを9月で離脱。所属選手として最後の戦いは伊藤薫、渡辺智子との金網デスマッチ。その後フリーランスとして各女子団体に参戦。大人気を博す。 1998年、ネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)の旗揚げに参加。しかし1年後の1999年には再度フリーランスとなった。以降は猛武闘賊として古巣全女やアルシオン、GAEA JAPAN、個人としてはJWP女子プロレス、IWA・JAPANに参戦。 2005年、NEO女子プロレスに所属する。9月、井上京子とのタッグでNEO認定タッグ王座を獲得。 2007年5月22日の夜、スクーターで走行中に一時停止違反の車との接触事故に遭い救急車で運ばれ、右肩脱臼により全治1か月の負傷を負った。 2009年11月1日のNEO女子プロレス後楽園ホール大会の引退試合シングル戦では三田を師と慕う真琴と対戦し勝利(当初は元付き人野崎渚を予定していたが長期欠場となったため変更)。下田美馬と組み対戦したタッグ戦では井上京子・高橋奈苗組と試合を行い井上から3カウントを獲られた。満員の後楽園ホール、この試合をもって22年のプロレスラー人生に終止符を打った。引退セレモニーには中西百重ら数多くの後輩が来場し、師匠であった北斗晶も駆けつけ三田に花束を贈った。 2012年8月5日にラゾーナ川崎プラザソルでのディアナ「下田美馬リアルデビュー25周年記念大会」に来場し、久々にファンの前に姿を見せた。 2014年10月12日に新国立劇場で開催された、第5回明るすぎる劇団・東州定期公演にて、演目「アレー人」に、ブル中野、山田敏代らと、本人役として出演した。 2014年12月末、ブル中野が経営する『中野のぶるちゃん』年末会で、三田の現役時代からのファンで中野のぶるちゃん常連客の一般男性と入籍した事を報告した。2015年4月4日に挙式披露宴を行い大先輩ブル中野や師匠の北斗晶、同期で親友の山田敏代、下田美馬、豊田真奈美、後輩の井上京子、吉田万里子、沼田三絵美、チャパリータASARI、納見佳容、旧姓広田さくらなども出席した。
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経歴・戦歴
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1995年 1月8日、東京・後楽園ホールにおいて、対小林智美戦で本名でデビュー、10分時間切れドロー。後にJWP四天王と呼ばれる日向あずみ(当時久住智子)、輝優優(同宮口知子)、カルロス天野(同天野理恵子)、美咲華菜(同本谷香名子)と同期であった。しかし、数ヶ月で引退。 1998年 10月21日、後楽園ホールにおいて再デビュー。新人で後にタッグ「春倉」を組む春山香代子からフォール。 1999年 リングネームを「倉垣翼」とする。 2002年 11月、JWP退団。以降はフリーとしてリングネームを「倉垣ツバサ」に改め、シャーク土屋と「猛毒隊」を結成。JWPの他にKAIENTAI-DOJOなどに参戦。メキシコにも遠征した。 2003年 8月、猛毒隊解散。JWPに復帰する。 2006年 2月23日、東京・新宿FACE(第2回T-1興行)において、豊田真奈美、堀田祐美子と組んで、尾崎魔弓、アメージング・コング、藪下めぐみ組と対戦。堀田が藪下からピラミッド・ドライバーで勝利。 2010年 10月24日、東京・シアター1010大会において、男子レスラーの石川修司と対戦。14分58秒、スプラッシュマウンテンを受け敗北。この試合は米山香織がJWP所属選手に影響を与えていた「米山革命」が起因となっており、JWP全体で女子プロレスの活性化を図る動きが盛んになっていた。 2013年 8月22日、自身の15周年興行となる10月14日新宿FACE大会をもってJWPを退団し、今後はフリーとして活動していくことを発表。 10月14日、所属最後の試合として春山とシングル。 2014年 OZアカデミー、仙女、YMZ、世界プロレス協会などに参戦中。またYMZに関してはレギュラーメンバーである。 7月20日、退団後初めてJWPに参戦。阿部幸江の引退ロードとして春山香代子とのタッグ春倉でザ☆WANTED!?と対戦。 8月10日、スターダム参戦。YMZレギュラーメンバーの米山香織・初日の出仮面のトモダチメイニアでアーティスト・オブ・スターダム王座に挑戦し勝利。 10月13日、OZアカデミーでAKINOの持つOZアカデミー無差別級王座に挑戦して勝利。AKINOの長期政権を破りフリー転向後初のシングルのベルトを奪取する。 2015年 春山香代子の引退に伴い春山引退時までJWPに参戦。また春山の引退試合の対戦相手にもなる。同試合後もJWPには定期参戦している。
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経歴・戦歴
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1989年にジャパン女子プロレス入門、翌1990年11月1日、大阪府立体育会館第二競技場大会での小屋百合子戦でデビュー。 1992年にジャパン女子が解散すると、JWP女子プロレスの旗揚げに参加。同期の福岡晶とライバル関係を築くが、首を負傷したため1993年2月11日、福岡とのシングルマッチで引退。 1995年結婚。 2009年11月2日、同期のGAMIの20周年記念興行『GAMILIBRE5〜GAMI CHRONICLE〜』(プロレスリングWAVE)のメインイベントで一夜限りの現役復帰。
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経歴・戦歴
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1998年 1月23日、神奈川・川崎市体育館において、対渡辺えりか戦でデビュー。 7月12日、第3回蒼星杯(ブルースターカップ)巴戦優勝。 2007年 8月12日、板橋グリーンホールにて、倉垣翼とのタッグ「春倉」としてJWP認定タッグ王座を獲得。 2008年 4月29日、後楽園ホールにて、日向あずみを破り、JWP認定無差別級王座を獲得。その後、2010年4月18日、高橋奈苗に敗れるまで、8回の防衛に成功(12月24日に米山香織によって破られるまでJWP無差別級王座連続防衛記録であった)。 2010年 12月23日、後楽園ホールにて、「春倉」として阿部幸江&アジャ・コング組を破り、JWP認定タッグ王座を獲得。 2011年 春倉で「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2011」参戦。優勝を果たす。 2012年 4月22日、後楽園ホールにて、倉垣翼を破り、JWP認定無差別級王者に返り咲く。 10月28日、東京キネマ倶楽部にて、さくらえみに敗れ、JWP認定無差別級王者を明け渡す。 2015年 アイスリボンの希月あおいとのタッグ、「オレンジハッピーズ」として、「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2015」に参戦し、自身4年振り2度目の優勝を果たす。 4月5日、後楽園ホールにて、自身最後の挑戦と明言したタイトルマッチにおいて中島安里紗を破り、自身3度目のJWP認定無差別級王座戴冠。 7月11日、新宿FACEにて、コマンド・ボリショイに敗れ、JWP認定無差別級王者を明け渡す。また、その場で12月27日の後楽園ホール大会をもって引退することを発表。 12月27日、JWP女子プロレス 後楽園ホール大会にて、倉垣翼との対戦を最後に引退。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/03 05:41 UTC 版)
高校時代は柔道の東北大会で優勝するなど活躍、実業団柔道を経て1993年にJWP女子プロレスに入門。1994年1月9日の後楽園ホール大会において、対福岡晶戦でデビュー。キャンディー奥津とJWPジュニア王座を巡りライバル闘争を展開する一方で、福岡・奥津とユニット「ひーちゃん's」を結成。また、天野理恵子と共に、当時草創期だった女子サンボに参戦するなど多岐に渡り活躍したが、1997年3月9日、結婚のため後楽園ホール大会での対久住智子戦で引退する。 だが1998年7月5日、フリーとして吉本女子プロレスJd'・後楽園ホール大会にて復帰。その後はJd'や古巣JWP、アルシオン、大日本プロレス、みちのくプロレスなどで活躍。アルシオンでは復活したライバル奥津が変身した「タイガードリーム」の向こうを張って「女虎ハンター」として登場するが、その抗争も奥津の体調不良で長続きせず。 2004年あたりから徐々にフェードアウト、セミリタイヤ状態に入る。 2012年8月にディアナに入社、現在は退社。 2017年4月2日、JWP女子プロレス最終興行にOGとしてセレモニーに参加。
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経歴・戦歴
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2004年 4月2日、東京・お台場メディアージュにおいて、零対市井舞戦でレフェリーとしてデビュー。 2005年 8月28日、東京・板橋グリーンホールにおいて、対高橋李佳、あいか組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーはきのこ。 2006年 9月24日、東京・新木場1stRINGにおいて、聖菜と対戦。フェイスロックで勝利。同大会、さくらえみ、希月あおいと組んで、零、高橋李佳、春日萌花組と対戦。希月のクロスアーム式原爆固めで零が敗れる。 2007年 3月18日、東京・板橋グリーンホールにおいて、日向あずみ(JWP)と対戦。原爆固めで敗れる。 2008年 2月24日、Future Star北沢タウンホール大会、パートナーに我闘姑娘時代の同期である市井舞を迎えての、対さくらえみ・希月あおい戦で勝利。春日萌花・高橋李佳等、引退選手を含めた我闘姑娘時代のメンバーに見送られ、卒業した。 引退後 非常勤スタッフとして引き続きアイスリボンの運営に携わり、主に北沢や板橋など、道場(レッスル武闘館)マッチ以外では売店業務の他、セコンドに付く事もある。 2009年9月21日板橋大会では、全試合終了後のバトルロイヤルに乱入。現役時代と変わらない動きを披露した。 2012年11月4日、我闘雲舞板橋大会で、さくらえみの要請に応じてスタッフとして参加。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/01 00:51 UTC 版)
2006年 9月9日、千本桜ホールにおいて、真琴戦でデビュー。その場飛びムーンサルトプレスで勝利。 2007年 1月27日、新木場1stRINGにおける我闘姑娘でリングデビュー。牧場みのりに変形羽根折り固めで勝利。 9月8日、北沢タウンホールにおける牧場みのり戦を最後に引退。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/17 09:52 UTC 版)
2002年 11月24日、東京・新宿アイランドホールにおいて、対桜花由美戦でデビュー。 2003年 5月4日の北沢タウンホール大会を最後にJd'を退団。以後は舞台女優として活躍した。
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経歴・戦歴
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プロレスラーになる前は自衛隊に所属していたという異色の持ち主で、後にプロレスに目覚めてGAEA JAPANのプロテストを受けて見事に合格し、プロレスラーとしての第1歩を歩み始める。 1995年 7月29日、東京・後楽園ホールにおいて、対永島千佳世戦でデビュー。 1999年 引退。4年間に渡るプロレス活動にピリオドを打った。
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経歴・戦歴
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1985年 6月6日、北海道・帯広市総合体育館において、対堀田祐美子、浅生恭子組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは宇野久子。 1986年 7月18日、6人タッグながら初めてメインを務め、クラッシュギャルズと対戦した。 7月22日、同期入門選手11人で行われた佐藤真紀メモリアル・トーナメントの決勝で惜しくも石黒泰子に敗れ準優勝。 8月9日、先輩からリングアウト勝ちながら初勝利をあげた。対戦相手は永友香奈子。 1987年 6月28日、空位となっていた全日本タッグ王座をドリル仲前とのコンビで獲得。 8月5日、若手選手のみでの興行「未来闘争 IN 後楽園 〜プレリュード〜」を開催。同期入門選手7人で行われたトーナメントで優勝。 1988年 1月7日、ダンプ松本に造反したメンバーでヒールマスク集団ザ・ダイナマイトを結成。リングネームをダイナマイト・ベアに改名。 2月4日、ザ・ダイナマイトから脱退、素顔に戻りリングネームを岩本久美子に戻す。ダイナマイト・ベアというリングネームは豊田記代が引き継いだ。 2月25日、ブル中野率いる獄門党に加入し、空位となっていたWWWA世界タッグ王座をブル中野とのコンビで獲得。 1989年 8月24日、バイソン木村とともにジ・アウトサイダースを結成。リングネームを岩本久美子からグリズリー岩本に改名。 12月9日、アジャ・コングとのコンビで再度、WWWA世界タッグ王座を獲得。 1990年 10月、全日本女子プロレスを退団。 1998年 元プロレスラーのグリズリー岩本と明かした上で、SMクラブのSM嬢麗奈女王として雑誌に登場。公称24歳。 2004年 8月21日、キャットファイトのリングで復帰し、現在も活躍中である。
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経歴・戦歴
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1989年 全日本女子プロレスの平成元年組として入門。 12月6日、栃木・真岡市民体育館において、対久保木寿江戦でデビュー。 1992年 1月5日の後楽園ホール大会を最後に引退。 2017年 9月29日の「全女Again」で久しぶりに公の場に姿を見せた。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/25 18:03 UTC 版)
2003年12月14日、栃木・小山市文化センター小ホールにおいて、対シャーク土屋戦でデビュー。 2004年8月29日、総合格闘技参戦も、篠原光にV1アームロックを決められ敗戦。 イーグルプロモーション退団後は「UGPマスク」として活動してきたが、2010年8月23日の「T-1スペシャル~二見祭り~」でマスクを脱いだ。現在はインディー団体を転戦している。 2018年10月23日、プロレスラーであるナカタ・ユウタとの結婚を発表。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 08:38 UTC 版)
2004年にGAEA JAPANに入団。同年11月3日の後楽園ホール大会でカルロス天野相手にデビュー。しかし当のGAEAはこの時点で解散が決定しており、翌2005年4月10日の団体最終戦(後楽園ホール)での対ダイナマイト・関西戦を最後に一度引退。 その後2年間、地元名古屋のスポーツトレーナーの専門学校に通学したのち、2007年3月にセンダイガールズプロレスリングへ入団。同年7月22日の仙台サンプラザ大会で金成知佐子相手に再デビュー戦を行った。 9月8日、リングネームを現在の水波綾に改名する。 2008年1月、ニューイヤー1dayトーナメント優勝。 2月、カルロス天野の持つOZアカデミー認定無差別級王座に挑戦。敗れはしたが、GAEAでのデビュー戦の相手でもある天野から称賛された。 4月~6月、仙女主催第一回じゃじゃ馬トーナメント準優勝。 12月、デビル雅美引退記念1dayタッグトーナメントで優勝(パートナーはデビル雅美) 2009年1月、ニューイヤー1dayトーナメント準優勝。 2月~4月、仙女主催第二回じゃじゃ馬トーナメント準優勝。 5月~8月、プロレスリングWAVE主催「Catch the WAVE2009」にエントリー、ヤングブロック優勝者決定戦で栗原あゆみに敗れ決勝トーナメントを逃す。 12月20日、JWP認定ジュニア王座&POP選手権試合、王者・大畠美咲に挑戦し勝利。初タイトルを獲得。 2010年11月13日、勇気彩と組み、田村欣子&栗原あゆみの「タムクリ」が持つNEO認定タッグ王座に挑戦し勝利。第13代王座を獲得。 2012年2月5日、プロレスリングWAVEへ移籍。仙女には不定期参戦。 2月12日、WAVE新木場大会で移籍後初戦として、GAEAの大先輩植松寿絵と対戦。 4月~7月、プロレスリングWAVE主催「Catch the WAVE2012」準優勝。 2013年7月1日、WAVE寮長に就任。 2014年ひざの手術のため長期欠場。 1月5日、絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時のプロレスサークルのレフェリーとして出演。 8月24日、7周年記念パーティーにおける所属選手バトルロイヤルに姿を現すも、リングイン直前で自身に扮したGAEAの先輩旧姓・広田さくらに交代。 10月30日、とんねるずのみなさんのおかげでしたに芸人にドロップキックを決めるADとして登場。 2015年2月11日、後楽園ホール大会の桜花由美戦で復帰が決定。 10月2日、大畠美咲とのタッグAvid Rivalを始動。 2016年4月10日より開幕のCatch the WAVE2016にクロムイエローブロックで出場しブロック1位となる。その後決勝まで進出し、藤本つかさにダイビングギロチンドロップを決めて勝利。波女となる。 11月27日、NEXTトーナメント決勝で桜花由美を相手に勝利。 12月29日、後楽園ホール大会で山縣優の持つRegina di WAVE王座へ挑戦し勝利。Regina戴冠は初となる。 2017年2月1日、水曜日のダウンタウンに出演。 2019年5月29日、AEWMGMグランドガーデンアリーナ大会に参戦。 10月退団を発表。11月WAVE新木場大会を最後に退団した。年内を以って引退する意思を会社に伝えていたが、AEWに参戦したことで気持ちが変わり、活動の場を広げるためフリーランスとしての活動を決意した。
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経歴・戦歴
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1994年11月3日、全日本女子プロレス・いすゞ自動車大和工場体育館興行において、対藤本由美戦でプロレスデビュー。 デビュー当初は本名で試合を行っていたが、後にネズミをモチーフにしたキャラクターレスラー『タニー・マウス』に改名し、コミカルなファイトを見せる(なおリングネームの命名者は、当時全日本女子プロレス社員で、後にプロレス記者に転向した田中正明)。 全日本女子プロレスの経営難により、他の選手と共に1997年に離脱。同年にネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)へ移籍し、旗揚げに参加する。 NEO女子プロレスでは宮崎有妃とのタッグチーム『NEOマシンガンズ』で活躍。チーム名はタニーのお気に入りの漫画である「キン肉マン」のタッグチーム「マシンガンズ」が由来。 2010年5月5日、所属するNEO女子プロレスが同年12月31日に解散となることが発表され、同時に自身もその日をもってプロレスラーを引退することを表明し、16年間の現役生活を終えている。 現役中から専門学校に通い、2012年に鍼灸師資格を取得。その後は田村欣子が経営するアロマトリートメントサロン「AOコーナー田村欣子」に勤務している。
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経歴・戦歴
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2013年 8月、入団。 11月2日、大女道頓堀アリーナ大会にて下野佐和子とエキシビション。 11月4日、大阪府立体育会館第二競技場で開催されたGAMILIBRE・6にて華名戦でデビューするが、腕ひしぎ逆十字固めで敗れる。大女がZABUNグループ入りして初の生え抜き新人デビュー。 11月9日、新宿FACEで行われたコラボ興行「waveLous」にて東京初試合。飯田美花と組み、渋谷シュウ&水波綾と対戦するが、水波のダイビング・ギロチンドロップを浴びフォールされる。 11月13日、WAVE新木場1stRING大会で下野佐和子と初タッグを組み、春日萌花&飯田美花と対戦し、下野のダイビング・雷電ドロップが決まり、直接ではないものの初勝利。 11月20日、WAVE新木場大会、6人タッグトーナメントに卜部夏紀、藤ヶ崎矢子(JWP)との同期新人トリオでエントリー。当日抽選の結果、桜花由美&華名&志田光(アイスリボン)組との3本勝負となったが、1本目で卜部がフォールされ、2本目も自身が取られて初戦敗退。 11月27日、WAVE新木場大会、卜部夏紀と組み、浜田文子&山縣優の現WAVEタッグ王者と当たるが、文子のムーンサルトプレスを喰らい敗戦。 12月1日、デビュー後初となる大女として道頓堀アリーナ大会で山縣優と対戦するが、フェースロックにギブアップ。メイン後のボーナストラックとしてフェアリー日本橋とタッグで対戦(パートナーはGAMI、フェアリーのパートナーは下野佐和子)、フェアリーの秘伝でんでんクラッチで敗れる。 12月4日、WAVE新木場大会、GAMIと最初で最後のシングルも、目突きで敗れ、卜部夏紀のセコンドに付くとリングに上げられてマーライオンの洗礼を浴びせられる。 12月15日、WAVE新木場大会で下野佐和子と組み、水波綾&卜部夏紀と対戦、初めて卜部と対角線に立ったが、その卜部に首固めで敗れる。 12月22日、WAVEナスキーホール・梅田大会で世羅りさ(アイスリボン)と組み、志田光&卜部夏紀と対戦、腕ひしぎ十字固めで卜部からギブアップを奪い初の直接勝利。 12月30日、後楽園ホールでの「GAMI引退記念‐GAMILIBRE・Lucky7‐『ほなさいなら』」にて行われた「ほぼ70人ぐらいバトルロイヤル」に卜部夏紀に続いて入場、卜部とエルボー合戦を繰り広げるなどしたが、最終的に卜部とともにヤッペーマンに丸め込まれ退場。 2014年 1月5日、WAVE新宿大会で卜部夏紀から改名した夏すみれと初シングル、ラリアットで沈めシングル初勝利。 1月12日、初のZABUNグループ外興行として福山市のレッスルゲートフジグラン神辺大会にて、ベッチャーHOGOと組み、下野佐和子&田中祐樹(ISHI-DO)と対戦。下野と初めて対角線に立つが、HOGOが田中のフロッグスプラッシュからの片エビ固めで敗れる 1月13日、道頓堀プロレス初参戦。「ニューイヤーフォース2014」道頓堀アリーナ大会にて内田祥一&TORUと組み、救世忍者乱丸&冨宅飛駈&ダイナ御堂と対戦、内田が乱丸をダイビングヘッドバットでフォールしようとしたところを横取りして勝利。横取りという形とはいえ初めて先輩からのフォールとなった。 1月19日、大女道頓堀アリーナ大会にて「山下りなの突進5番勝負」の初戦として米山香織と対戦するが、ダイビング千豚♪に屈する。 1月22日、WAVE新木場大会で「突進5番勝負・2」として水波綾と対戦するが、イチジクで敗れ連敗。 1月25日、WAVE大阪道頓堀大会で「突進5番勝負・3」として春山香代子(JWP)と対戦するが、ラリアットで敗れる。 1月26日、WAVE名古屋ダイアモンドホール大会で「突進5番勝負・4」として花月(仙女)と対戦、ブロックバスターで敗れる。 2月2日、WAVEの若手中心ブランド「YOUNG OH! OH! 9」レッスル武闘館大会にて勝愛実(JWP)と対戦するが、リバーススプラッシュで敗れる。 2月11日、新木場での昼の覆面MANIAで大畠美咲と組み、SUNSET☆JK&マスクドひろよんと対戦するも、ひろよんのフェイスバスターで敗れる。夜は同所のWAVEで「突進5番勝負・5」として木村響子と対戦も胴締めスリーパーで締め落とされた。 2月15日、道頓堀プロレスにて太陽塔仮面、救世忍者乱丸と3WAYで、横取りフォールで太陽塔仮面から勝利。 2月19日、WAVE新木場大会にて夏すみれと組み、トリプルテイルズ.S(華名&紫雷美央)と対戦も、美央のバズソーキックで敗れる。 2月23日、JWP初参戦。大阪道頓堀大会で木村響子と組み、中島安里紗(JWP)&下野佐和子組と対戦も、中島のジャーマン・スープレックスホールドで敗れる。 3月1日、道頓堀プロレスにてスペル・デルフィンと初タッグで太陽塔仮面&救世忍者乱丸組と対戦、デルフィンのスイングDDTから横取りでデルフィンリナッチを披露し太陽塔仮面からフォール。 3月2日、WAVE後楽園大会にて夏すみれと組み、勝愛実&藤ヶ崎矢子組と対戦し、デルフィンリナッチで矢子からフォール。 3月9日、「Joshi 4 Hope」で花月とシングル。しかし、えびす落としみたいな技で敗れる。 3月19日、WAVE新木場大会にて「V☆パラ100回記念・チャレンジWAVE」と銘打たれたメインイベントで下野佐和子、最後のWAVEとなった夕陽(ZERO1野良犬道場)と組み、桜花由美&浜田文子&山縣優のチャンピオントリオと対戦するが、下野が桜花のビッグブーツに屈した。 3月20日、JWPレッスル武闘館大会「青春・無限大パワー」で再び夕陽と組み、勝愛実&下野佐和子組と対戦するが、勝のオレンジブロッサムホールドで敗れる 3月21日、大女4周年記念大会の第1試合でポリスウ〜メンとシングルをラリアットで敗れ、緊急試合 6人タッグマッチにも加わり(下野佐和子&花月&山下 vs 米山香織&木村響子&ポリスウ〜メン)、下野がポリスをフォール。 3月22日、大田区総合体育館で開かれた長与千種プロデュース「That's 女子プロレス」に参戦。下野佐和子&松本浩代と組み、大畠美咲&紫雷美央&藤本つかさ(アイスリボン)の「クローズ」と対戦するが、大畠のダイビング・ボディプレスに屈する。 4月6日、WAVE新木場大会、飯田美花と組み、下野佐和子&世羅りさ組と対戦するが、飯田が下野のえびす落としで破れる。 4月13日、道頓堀プロレス大阪府立体育会館第2競技場大会にて下野佐和子&フェアリー日本橋との大女トリオでダイナマイト・関西&救世忍者乱丸&ハイビスカスみぃ組と対戦も、フェアリーが関西のラリアットを喰らい敗れる。 4月20日、WAVE札幌テイセンホール大会にて飯田美花と対戦、しかし無道を受けタップアウト。 4月23日、WAVE新木場大会にて桜花由美&春日萌花と組み、紫雷美央&藤本つかさ&あきば栞のアイスリボントリオと対戦、時間切れ引き分け。 5月5日、WAVE後楽園大会で(浜田文子&チェリー&中川ともか&小林香萌&あきば栞 vs 救世忍者乱丸&ハイビスカスみぃ&華名&山下&ポリスウ〜メン)に挑み、3本勝負と時間無制限の再戦を全敗。 5月6日、OSAKA女子プロレス大阪市立西区民センター大会でDASH・チサコと対戦も、ホルモンスプラッシュ→片エビ固めで敗れる。 5月11日、WAVE大阪市立生野区民センター大会で「Catch the WAVE」初戦としてあきば栞と対戦し、バックドロップ→片エビ固めで初戦を飾る。 5月13日、WAVE新木場大会で「Catch the WAVE」2戦目としてフェアリー日本橋と対戦、ステッキを封印した相手の秘伝でんでんクラッチで敗れる。 5月25日、WAVE名古屋大会にてチェリー&華名と組み、浜田文子&山縣優&救世忍者乱丸と対戦、乱丸をラリアットで秒殺するも、再試合、再々試合に持ち込まれたが、最後はやはり乱丸をラリアットで沈めた。 5月29日、WAVE新木場大会にてヤングプライドWAVEとして夏すみれと組み、世羅りさ&あきば栞の「ZABUNvsアイスリボン」に挑むが時間切れ引き分け。 6月5日、WAVEレッスル武闘館大会にてメインとして世羅りさと公式戦として対戦も時間切れ引き分け。 6月11日、WAVE新木場大会にて夏すみれと組み、渋谷シュウ&チェリーのクラシックギャルズと対戦、しかし、夏がチェリートーンボムでフォールされる。 6月15日、WAVE大阪大会にて公式戦として小林香萌と対戦し、ラリアットで勝利。 6月22日昼はWAVE新木場大会にてCatch the WAVE最終戦として夏すみれと対戦もジャパニーズ・レッグロール・クラッチで丸め込まれ5点で公式戦を終え優勝が消えた。 夜は元WNC篠瀬三十七主宰「ASUKA PROJECT」初参戦、中川ともかとシングルで対戦。 6月25日、レッスル武闘館で行われたJWP主催「青春・無限大パワー!!」にてライディーン鋼とシングルで対戦するが、フロッグスプラッシュで敗れる。 6月27日、WAVEレッスル武闘館大会にて春日萌花と組み、クラシックギャルズと対戦、しかしチェリーの春夜恋で敗れる。 7月6日、OSAKA女子プロレス淀川区民センター大会で夏すみれと組み、勝愛実&ラビット美兎組と対戦、勝にラリアットを決め勝利。 7月13日、WAVE新宿大会、渋谷シュウと組み、春日萌花&大畠美咲組と対戦したが、渋谷が春日の変形逆さ押さえ込み。 7月27日、WAVE後楽園大会、下野佐和子との同級生タッグで春日萌花&フェアリー日本橋組と対戦、下野のケンタッキーボムをフェアリーに喰らわせ勝利。 8月13日、アイスリボン道場マッチ初参戦。同じ九州出身の成宮真希とシングルで対戦するが、ユルネバで敗れる。 9月14日、OSAKA女子プロレス鹿児島大会で初の凱旋、まず第1試合でこれがWAVE移籍初試合となった小林香萌と組み、にゃんば〜&ポリスウ〜メンとのタッグマッチでにゃんば〜をバックドロップでフォール、続いてセミファイナルで志田光と組み、華名&夏すみれと対戦するが、華名の飛びつき腕固めでギブアップしてしまう。 2015年 5月、開催のCATCH THE WAVE2015にプロデューサー推薦枠として初出場。 2016年 3月7日、現役復帰した世志琥に対戦を要求。SEAdLINNNGなどにも参戦しておりシングルこそ実現していないがタッグではたびたび対戦をしている。 2017年 7月2日、WAVE後楽園大会で水波のレジーナのベルトを奪取。太田区大会の世志琥戦に、レジーナのベルトをかけられることが発表。 8月12日、念願の世志琥と太田区大会で対戦。防衛。 10月9日、後楽園大会で大畠美咲戦で防衛に失敗。 10月29日、OZアカデミー横浜大会でダイナマイト・関西のスプラッシュマウンテンを継承。 2019年 3月31日、OSAKA女子プロレスを退団。 4月よりアイスリボンにレギュラー参戦。 2020年 12月31日、2020年の輝く!日本インディー大賞のニーカマー賞を受賞。 2021年 4月1日、東京女子プロレスに初参戦し乃蒼ヒカリとハードコアマッチで対戦し勝利。 6月13日、世羅りさプロデュース興行第6弾『激核闘清2~ハードコアミックスドタッグ1DAYトーナメント~弐』において葛西純をパートナーとしてハードコアミクスドタッグ優勝。 6月27日、アイスリボン後楽園大会にて世羅りさからFantastICE王座を奪取し第2代王者となる。
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経歴・戦歴
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中学までは柔道で活躍。 高校はレスリング部が創設されたばかりの安部学院高等学校に進学。在学中、1993年全日本女子オープントーナメント47kg級3位となる。世界チャンピオンの吉村祥子や上林美穂との対戦経験もある。 1995年 4月15日、東京・後楽園ホールにおいて、対植松寿絵戦でGAEA JAPANからデビュー。時間切れ引き分け。 1996年 当時JWP所属だった尾崎魔弓率いるOZアカデミーに加入。 2005年 4月3日、シュガー佐藤と組んでクラッシュ2000の最後の相手となる。 11月11日、東京・新宿FACE「長与千種興行(Marvels Night)」において、ガングロ女子高生チカに扮して、おかあさんに扮したデビル雅美と対戦。回転エビ固めで勝利。 2006年 1月22日、東京・新宿FACE「第13回OZアカデミー興行 〜笑う角には尾図来たる〜」において、前川久美子と対戦。カカト落としで敗れる。同大会、尾崎魔弓、カルロス天野と組んで、豊田真奈美、里村明衣子、高橋奈苗組と対戦。一回転フットスタンプで高橋から勝利。 2月23日、第2回T-1興行において、米山香織と戦うが、逆に丸め込まれて敗れる。試合後、握手を求めるフリをして、ジャーマンで投げ捨て、蹴りを入れて退場する。 3月26日、東京・新宿FACE「第15回OZアカデミー興行 〜鬼がでるか蛇がでるか〜」において、高橋奈苗と対戦。NAWASHIMAで勝利。同大会、尾崎魔弓、ダイナマイト・関西と組んで、米山香織、アップルみゆき、栗原あゆみ組と対戦。関西がスプラッシュマウンテンで栗原から勝利。 5月27日、東京・新宿FACE「OZアカデミー感謝祭」において、カルロス天野と組んで、タニー・マウス、宮崎有妃組と対戦。天野が宮崎のジャックナイフ式エビ固めで敗れる。同大会、15選手参加バトルロイヤル出場。 8月12日、東京・新宿FACE「第19回OZアカデミー10周年記念興行(〜Ozだけ〜!!!)」において、初戦のダイナマイト・関西戦で、スプラッシュマウンテンをウラカン・ラナで返し、41秒で。2戦目の対尾崎魔弓戦はオザキックの前に敗れる。3戦目の対カルロス天野戦を一回転フットスタンプで勝利する。最終的に2勝1敗で優勝する。 8月6日、東京・新宿FACE「豊田真奈美自主興行」において、カルロス天野、倉垣翼、日向あずみと組んで、伊藤薫、渡辺智子、吉田万里子、豊田真奈美と対戦。日向が豊田から雁之助クラッチで勝利。 8月19日、東京・板橋グリーンホール「ミッドサマー・タッグトーナメント」において、カルロス天野と組んで、田村欣子、松尾永遠組に敗れ、準優勝。 9月10日、東京・新宿FACE「第20回OZアカデミー興行 〜The heat late summer〜」において、カルロス天野と組んで、MAZADA、NOSAWA論外組と対戦。永島組が反則勝ち。同大会、尾崎魔弓と組んで、アジャ・コング、浜田文子組と対戦。尾崎がアジャの裏拳で敗れる。 9月17日、東京・後楽園ホールにおいて、田村欣子の持つタイトルに挑戦するが、敗れる。 9月29日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、奥田朱理と対戦。ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。 11月11日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、金成知佐子と対戦。勝利。 11月17日、東京・新宿FACE「第21回OZアカデミー興行 〜再会〜」において、アジャ・コングと対戦。頭部からの流血によりレフェリーストップで敗れる。同大会、植松寿絵と組んで、里村明衣子、加藤園子組と対戦。裏足4の字固めで加藤からギブアップ勝ち。 2013年 9月15日、横浜文体で尾崎魔弓と一騎討ちを行い坊主頭となる。正危軍を離脱。 2014年 2月9日、かねてから痛めていたひざを負傷し長期欠場。 2015年 3月1日、志田光とのシングルで復帰。尾崎を標的にしている志田と二人で結託する。 8月23日、フリー転向のため退団。所属最終戦は浜田文子とシングルで勝利、試合後に文子が持つRegina di WAVE王座挑戦を表明。 9月23日、プロレスリングWAVE博多大会で行われたRegina di WAVE王座戦で浜田文子と対戦し浜田を流血に追い込むが敗北。試合後にはベルトで浜田を殴りつけて退場する。 現在はWAVEに加え、同期里村明衣子が主宰するセンダイガールズプロレスリングや師匠長与千種が主宰するマーベラスに参戦中。11月にはワールド女子プロレス・ディアナにも参戦しヒールユニットCRYSISで活動中。
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経歴・戦歴
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2006年 JDスター女子プロレスに入門。 12月10日、新木場1stRING大会の対松本浩代戦でデビュー。 2007年 4月30日、LEAGUE PRINCESS公式戦で大木香相手に初勝利。 7月16日にJDスターが活動停止。翌7月17日付でエスオベーションに移籍。 2009年 2月 - 4月、センダイガールズ主催「第2回じゃじゃ馬トーナメント」ベスト4。 5月31日、息吹・後楽園ホール大会。松本浩代からJWP認定ジュニア王座&POP王座を奪取。初タイトルを獲得した。 11月8日、さくらえみの保持するICE×60王座に挑戦するも敗退。 2010年 9月23日、米山香織の保持するJWP認定無差別級王座に挑戦するも敗退。 同年限りでエスオベーションを離脱してフリーになった。 2011年 1月19日、WAVE新木場大会にて現在のトレードマークであるバラ鞭を初めて使用する。 3月6日、「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2011」にLeonとのタッグ「獅子の穴」で決勝に進出するも春倉に敗れ準優勝。 3月20日、初の獅子の穴主催興行が行われLeonの保持するハイスピード王座に挑戦するも敗退。 3月26日、シカゴで行われたSHIMMER37(昼)で松本浩代との「3S」で、カナディアンニンジャズ(ポーシャ・ペレス&ニコル・マヒューズ)の持つSHIMMERタッグ王座に挑戦し、王座奪取に成功。SHIMMER38(夜)で初防衛。 3月27日、SHIMMER39(昼)でタッグ王座2度目の防衛に成功するが、SHIMMER39(夜)でデイジー・ヘイズ&中川ともか組に敗れ王座陥落。 6月12日、中川ともか&松本浩代の保持するOZアカデミー認定タッグ王座に吉田万里子とのコンビで挑戦するも敗退。 7月24日、「Catch the WAVE」の優勝者決定トーナメントに進出し、準決勝で植松寿絵から金星をあげるも決勝では華名に敗れ準優勝。 9月11日、ヘイリー・ヘイトレッド&米山香織の保持するTLW世界女子タッグ王座に中森華子とのコンビで挑戦するも敗退。 10月7日、A☆YU☆MIの保持するX-LAW女子王座に挑戦するも敗退。 10月10日、世界○○級王座決定バトルロイヤルを制し大畠がコスプレだったため、世界コスプレ級王座の初代王座となる。 12月11日、華名&栗原あゆみの保持するWAVE認定タッグ王座に紫雷美央とのコンビで挑戦するも敗退。 2012年 1月7日、仙台リボンで凱旋。 8月26日、この日付でZABUN所属となる。 11月16日、藤本つかさと組んで「DUAL SHOCK WAVE2012」優勝。 11月27日、後楽園ホールにてハタナカヨウコ(GAMI&中川ともか)が持つWAVEタッグに挑戦して王座奪取。 12月16日、WAVEシングル王座「Regina di WAVE」トーナメント出場権を獲得。 2013年 2月17日、Regina di WAVE1回戦、桜花由美と対戦、しかし敗れる。 7月15日 「Catch the WAVE」決勝トーナメント決勝戦で中島安里紗に勝利し、第五代「波女」になる。 8月、ZABUN人事部長に昇格。 11月29日、WNC初参戦。紫雷美央と組み真琴&松本都と対戦して勝利。 12月15日、WAVEの人気投票企画「ZAN1」で2年連続1位となり、Regina挑戦権を得る。 2014年 2月9日、DDTプロレスリングの男性限定興行「野郎Z」に参戦し、アントーニオ本多、諸橋晴也と「アイ・恥ずかしいっと3WAYマッチ」に挑む。胸の谷間に諸橋が持ち込んだ魚肉ソーセージを添えられるも、ローブローで反撃し、さらにムチを諸橋、アントンに振るい、諸橋を恥ずかし固めを決めて「恥ずかしい」と言わせ勝利。 5月18日、WAVE仙台大会にて凱旋。 2015年 ZABUN専属制度廃止に伴い、プロレスリングWAVE&OSAKA女子プロレス兼任所属となる。 2017年 10月9日、後楽園大会でレジーナ山下りな戦のベルトに挑戦。奪取。 2018年 5月、大石真翔との結婚を発表。 12月29日、後楽園ホール大会で現役引退。
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経歴・戦歴
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2001年 11月25日、千葉・東京ベイNKホールにおいて、対PIKO、PIKA組にてBaby-Aのリングネームでアルシオンからデビュー。デビュー戦のパートナーはチャパリータASARIであった。 2002年 5月11日、千葉・NKホールにおいて、レディ・ペンタゴンとマスカラ・コントラ・マスカラで対戦。勝利。 7月21日、東京・後楽園ホールにおいて、コマンド・ボリショイと対戦。敗れる。 8月25日、東京流通センターアールンホールにおいて、noki-Aと対戦。敗れる。 9月12日、東京・後楽園ホールにおいて、救世忍者乱丸と対戦。敗れる。 10月7日、東京・後楽園ホールにおいて、ポリスウ〜マンと対戦。敗れる。 11月4日、東京・後楽園ホールにおいて、ラ・マルクリアーダと対戦。敗れる。 2003年 3月3日、伊勢崎市民体育館において、タイガーハニーと対戦。敗れる。 4月29日、東京・後楽園ホールにおいて、天界二十八部衆カルラと対戦。敗れる。 2004年 3月28日、東京・後楽園ホールにおいて、賀川照子と組んで、MARU、斎藤啓子組と対戦。賀川がMARUに敗れる。 4月4日、東京・ディファ有明において、倉垣翼と対戦。敗れる。 6月8日、東京・北沢タウンホールにおいて、吉田万里子、大向美智子と組んで、魔界魔女1号、魔界魔女2号、魔界魔女3号組と対戦。Baby組が勝利。 2005年 2月11日、「EX格闘美」において、Baby-M、風香、木村ネネ組対ダイナマイト・関西の3対1変則マッチで、最後はスプラッシュ・マウンテンで敗れる。 5月20日、東京・新木場1stRINGにおいて、アジャ・コングと組んで栗原あゆみ、木村響子組と対戦。アジャが栗原に勝つ。 5月21日、バトルスフィア東京(666-Triplesix-Vol.8怨霊十執念記念興行)において、バトルロイヤルに出場。 7月9日、格闘美~Festa~において、全員参加バトルロイヤルに出場。 7月10日、東京・新木場1stRING(M's Style「Mab~夢を支配Ⅳ~」)において、アジャ・コングと対戦。アジャは5カウント、Babyは2カウント取れば勝ちという変則マッチを戦うが、負ける。 7月17日、格闘美~Festa~特別企画において、チャイナ服のコスプレを披露。同大会、救世忍者乱丸、闘牛・空と組んで、MARU、斎藤啓子、渋谷シュウ組と対戦。空がMARUからタックルで勝利。 8月7日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅴ~」のワンデータッグトーナメントにダイナマイト・関西と組み出場。1回戦の相手の植松寿絵、輝優優組の場外リングアウトによって負けてしまう。 8月26日、後楽園ホール(LLPW 華激ルネッサンス2005)において、立野記代25周年記念27人参加バトルロイヤルに出場。最後、Baby-M、ジャンボ堀、立野記代の3選手が残り、Babyが堀を丸め込んでフォール勝ちしたが、立野に丸め返されて負ける。 8月28日、格闘美~Festa~において、全員参加バトルロイヤルに出場。 10月23日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅶ~」において、GAMIと組んで、闘牛・空、闘獣牙Leon組と対戦。ベビトーン・ボムで空から勝利。 11月20日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅷ~」において、大向美智子と組んで、GAMI、遠藤美月組と対戦。遠藤に敗れる。 12月6日、後楽園ホール(LLPW 華激レジェンド2005)において、ジャガー横田と組んで、ハーレー斉藤、井上貴子組と対戦。ハーレーのフィッシャーマンズバスターで敗れる。 12月23日、後楽園ホールにおいて、Baby-M、MIKAMI組対GAMI、ディック東郷組のカードでBaby-MがGAMIからフォール勝ちして引退する。現役生活は4年間であった。 2006年 9月12日、東京・新木場1stRING(未来メモリアル~For The Future~)において、受け付けを担当した。
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経歴・戦歴
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1992年に平成4年組として全日本女子プロレスに入門。同年11月19日、東京・葛飾区総合スポーツセンター大会の対沼田三絵美、長谷川智香子組戦でデビュー(パートナーは神谷美織)。その後膝を負傷し欠場。 対抗戦真っ盛りの翌1993年7月、復帰するにあたりJWP女子プロレスへの入団を希望し、全女・松永高司会長とJWP・山本雅俊代表の話し合いによってJWP女子プロレスへの円満移籍が叶う。JWP女子プロレス所属選手としてのデビュー戦は同9月23日の対キューティー鈴木戦。 怪我などにより引退した選手が他団体にて再デビューする事例はいくつかあったものの(全女でデビューし引退→LLPWにて再デビューした大向美智子や長嶋美智子、全女でデビューし引退→JWPにて再デビューした外山寿美代など)、能智のようなキャリア1年未満の選手の他団体への移籍については前例がなく、松永会長へ幾度も移籍の嘆願をした能智の筋を通そうとする姿勢や松永会長と山本代表・全女とJWPの信頼関係があったからこそ実現できたことだ、とJWP・山本代表は後述している。 団体対抗戦時代の若手の登竜門であった全日本ジュニア王座、JWP若手選手の登竜門であったJWP認定ジュニア王座に数回挑戦をしているが、当時のJWPでは同期のキャンディー奥津や1年後輩の矢樹広弓・2年後輩の日向あずみなど、若くして才能を開花させていた選手たちが多かったこともあり、ベルト戴冠には至らず同期選手や後輩選手たちの後塵を拝することが多かった。1995年からは、本名の外山寿美代から改名した「さぶろう」との「さぶちゃんふさちゃん」コンビで独自路線を築いた。1996年12月8日の全女・両国国技館大会では全女時代のかつての同期・チャパリータASARIの持つWWWA世界スーパーライト級王座に挑戦し善戦するも敗北。同年12月28日、JWP後楽園ホール大会でさぶろうと共に引退した。現在は結婚をして主婦業に専念している。 1999年3月28日に後楽園ホールで行われた福岡晶引退興行に子連れで姿を現し、挨拶をする。またリング上で「さぶろう」とも再会し、久々に「さぶちゃんふさちゃん」コンビが顔を揃えた。
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経歴・戦歴
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2002年 12月29日の後楽園ホール大会でのデビュー戦が決まっていたが、数日前の練習で後頭部を打ちデビューが延期となる。 2003年 9月11日の後楽園ホール大会において、対ザ・ブラディー戦で念願のデビュー。ファング鈴木の乱入でブラディーがダメージを負った事が幸いし、フロントネックロックで勝利を収める。 2005年 8月28日の新木場1stRING大会で、ファング鈴木相手にアストレス卒業試合を行う。 2006年 - 現在 『覆面MANIA』に参戦中。近年ではよく似た覆面レスラーのバンクーバー・キャットが現れるほか、秋山名義でも覆面を被って試合をしている。
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経歴・戦歴
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1990年1月7日から同年12月30日までフジテレビ系列で全51話が放映された、東映不思議コメディーシリーズ第11作の『美少女仮面ポワトリン』に出演していた元子役であった。 小さい頃から体操をやっていたためバク転を得意とし、上記の番組の出演の際も華麗なるバク転をたびたび披露していた。 「仮面ライダーBLACK RX」変身ベルトや「地球戦隊ファイブマン」DXアースカノンなどのCMにも出演していた。 日本大学芸術学部映画学科の卒業生で佐藤隆太が同期。 FMW→WMFで登場したガルーダ(元FMW所属の森田友和)に対抗して、冬木弘道が登場させたWEW版ガルーダとして2002年8月23日にデビュー。 デビュー戦で浜田文子に負け、マスクを脱ぐ。その後UZとリングネームを改名。 WEWの消滅後、冬木軍プロモーションでリングアナに転向、そのままアパッチプロレス軍のリングアナを経て、一時リング上から姿を消す。 2005年5月5日の「マッスル4」に鶴見亜門が連れて来た覆面レスラー「ミスターマジック」として参戦、以後マッスルシリーズのレギュラーメンバーとして現在も参戦中。 マッスルに参戦する傍ら、2006年にスタートしたUWAI STATIONにリングアナウンサーとして参加。 UWAI STATIONでの下島車掌としての登場以来、他団体でもリングアナウンサーとして見ることがあった(DDT、ウルティモ・ドラゴン20周年記念興行、I.W.A.JAPAN、アパッチプロレス軍)。 2010年に解散したグレートプロレスにもUZとして定期参戦した。 自身の結婚披露宴では披露宴会場にリングを持ち込み、ザ・グレート・サスケを相手に自ら試合をしている。
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経歴・戦歴
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1987年 11月23日、東京・後楽園ホールにおいて、対ムーン章子戦でデビュー。 1992年 LLPW旗揚げに参加。社長秘書を務める。 LLPW対全女との一環としてアジャコングとの一戦を交えた。試合前には「半田美希を甘く見ないで下さい」と大口をたたいていたが、終わってみるとアジャコングの一方的な攻めで7分弱で終わった。キックをもらった時も一発で、「オエって感じで、全部が全部きいちゃてて、顔面に入った一発で記憶がなくなった。」といい、良い勉強になりましたと反省していた。 1995年 ヒールに転向するが、引退。 引退後は結婚・離婚を経て、会社員として勤務しつつ2児の母として子育てに奮起している。
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経歴・戦歴
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1985年に高校を卒業後、半年間OLを経験した後、全日本女子プロレスのオーディションを受け合格。同期にアジャ・コング・KAORU・神谷美織・工藤めぐみ・コンバット豊田・高橋美華らがおり、俗に『61年組』と呼ばれている。 1986年9月10日、茨城・古河市立体育館において、対大橋順子戦でデビュー戦を行い、その後、ダンプ松本率いる『極悪同盟』に加入、ヒールレスラーとなった。 ダンプ引退後、ブル中野が結成した『獄門党』に参加、1年先輩(同じ高校・同じ部活の1年後輩)であるグリズリー岩本と共にタッグチーム『アウトサイダース』を結成し、タッグチームとしても活躍する。 その後、ユニバーサル・プロレスの旗揚げに全日本女子プロレスがリングの貸し出しや選手の派遣等で協力した際、全女から派遣され試合を行ったことで、それまで女子プロレスを見たことが無かった男性ファンから注目を浴びるようになる。 同じくユニバーサルに出場したことで、男性ファンから人気が出ていたアジャと組みブル&グリズリーとの獄門党対決を行い勝利するが、これを機に獄門党を離脱。アジャと組み、ブル中野&井上京子との髪切りマッチで敗れ、リング上で坊主頭になったこともあった。自身とアジャの他、同期の神谷と高橋も共に『ジャングル・ジャック』に加入。WWWA世界タッグ王座やオールパシフィック王座に輝くが、1992年にアジャとのジャパングランプリ公式戦で負傷したことをきっかけに長期欠場した後、引退する。 その後、全女が東京ドームで興行を行った際、OGとしてのエキシビジョンマッチに出場した後、ジャガー横田・ライオネス飛鳥と共に『雷神隊(ライディーン・アレイ)』を結成し、本格的にカムバックするが低迷。『吉本女子プロレスJd'(現:JDスター女子プロレス)』が旗揚げされるに伴い、全女の了承を得た上で移籍。黎明期にはエースとして活躍するが、やがて2度目の引退を決意する。ジャガー相手に引退試合を行う予定だったが、引退直前の試合で負傷し試合が不可能となり、セレモニーのみで引退している(一度目の引退でもセレモニーのみで試合は行っていない)。 現役引退後に結婚。ヒールレスラーとして愛用した凶器はトンファーである。
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経歴・戦歴
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全日本女子プロレスの「平成15年組」としてデビューするも2ヶ月でフェードアウトしたが、2016年にリングネームを「デボラK」に改めて現役復帰。2021年6月からワールド女子プロレス・ディアナに参戦するようになり、2022年1月1日付で所属選手となった。
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経歴・戦歴
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「コマンド・ボリショイ」の記事における「経歴・戦歴」の解説
1991年 11月25日、鳥取産業体育館において、対福岡晶、星野玲子組戦でジャパン女子プロレスでボリショイ・キッドとしてデビュー。デビュー戦のパートナーは北村真実(レオ北村)。 1992年 ジャパン女子解散を受け、JWP女子プロレス旗揚げに参加。 6月29日、東京・後楽園ホールにおいて、対小林美津恵、桑原三佳組戦でコマンド・ボリショイとしてデビュー。デビュー戦のパートナーはキューティー鈴木。 1996年 尾崎魔弓との「ドレスアップワイルドファイト」で尾崎のラフファイトで夥しく流血させられたうえマスクを剥ぎ取られる。更に「顔、見ろーっ!顔ーっ!」と絶叫する尾崎に羽交い締めにされて観客に向けて素顔を晒された。素顔を晒したまま試合を続けるも結局失神KOされるという屈辱にまみれ、翌週のプロレス雑誌では正面から晒される素顔が写った写真を載せられ、かつてジャパン女子プロレスに所属していた選手の名前を出され、完全に正体を暴かれる。 2006年 2月23日、第2回T-1興行において、T-1マスクとして栗原あゆみと戦い勝利する。 5月27日、東京・新宿FACE「Ozアカデミー感謝祭」において、15選手参加バトルロイヤルでボリショイ・キッドで出場し、優勝する。 7月23日、東京・新木場1stRING「格闘美 〜Festa〜」において、ボリショイ・キッドとして、優菜と対戦。ラ・マヒストラルで勝利。 8月20日、WRESTLE EXPO 2006において、ボリショイプロデュース・お台場スペシャル・バトルロイヤルに出場。 2010年 8月27日、「19時女子プロレス」でICE×60王座を奪取。 2011年 1月16日、闘聾門JAPAN所属の矢神葵とのタッグで「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2011」に参戦。 11月、胸椎黄色靭帯骨化症の為、欠場。 2013年 JWPが選手会運営に移行して10年になったのを機にJWP全所属選手とシングルを連戦する「ボリショイ・ディケイド」を決行。シングルタイトル保持者との対戦ではそのタイトルに挑戦する。 2014年 5月4日、タッグ王者であった十文字姉妹が仙台幸子の負傷欠場により王座を返上したため、木村響子をパートナーにこの年のタッグリーグ・ザ・ベスト覇者である春兎(つくし&ラビット美兎と対戦。勝利し、自身6度目のJWP認定タッグ王座戴冠を果たす。 2015年 5月31日、NPCJ主催のボディビルコンテスト、「Blaze OPEN」武蔵野大会に里村明衣子と共に出場。出場全選手中3位に入賞。 7月11日、新宿FACE大会にて、春山香代子を破り、2000年以来15年振り2度目のJWP認定無差別級王座を戴冠。 2017年 JWPから全選手を引き連れて独立。PURE-Jを旗揚げ。 2018年 8月21日、進行性の難病である黄色靭帯骨化症の症状が悪化したため、2019年4月21日の後楽園ホールで引退する事を表明。 2019年 4月21日、PURE-J「ボリショイ引退興行~ありがとう!」4.21後楽園ホール大会で引退。当日はバトルロイヤルの他、引退試合として尾崎魔弓、米山香織、中森華子の3人とのシングルス(それぞれ5分間1本勝負。いずれも時間切れ引き分け)を行った。
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経歴・戦歴
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2003年 11月24日、神奈川・川崎市体育館において、対賀川照子戦でデビュー。 2006年 3月25日の新木場1st RING大会で引退セレモニーをおこなう。 2009年 9月6日のBEGINNING 新木場1st Ring大会で小林華子相手にエキシビションマッチ(キックボクシングルール)。 12月13日のBEGINNING新宿FACE大会でプロレス復帰。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 14:46 UTC 版)
2010年 11月14日、名古屋スポルティーバアリーナにおいて、エキシビションマッチでプレデビュー。 11月21日、大阪府立体育会館第2競技場において、対戦相手は当日発表された田村欣子戦でデビュー完敗。 田村がメインでNEO二冠王座防衛戦を控えていたにも関わらず相手を引き受けたのは、全日本女子プロレスでデビューして以来、それまでデビュー戦の相手を一度もしたことがなく、選手名鑑に「デビュー戦 対田村欣子」と載りたかったためだったと田村本人がコメントしている。 12月12日、昼に新宿FACEで開かれた栗原あゆみ5周年興行と夜のNEO板橋大会に参戦。新人では異例のダブルヘッダー。 12月26日、板橋大会で野崎渚と対戦。6分3秒スリーパーホールドで敗戦。 12月31日、後楽園ホールでのNEO最終興行に出場。第1試合で学年こそ1年下だがキャリアでは先輩となる花月と対戦し7分34秒体固めで敗戦。 2011年 1月8日、アイスリボン初参戦。道場マッチで、NEO解散後最初の試合(対星ハム子)に出場したが敗れた。コールはたまたま代理で音響を担当していた甲田哲也元NEO社長が行った。 1月14日、19時女子プロレス初参戦。真琴、都宮ちい組と対戦し、初勝利(パートナーは藤本つかさ)。 1月23日、OSAKA女子プロレス初参戦。紫雷美央の片エビ固めに屈する。 2月13日、プロレスリングWAVE初参戦。栗原あゆみと初シングルも逆エビ固めで敗戦。試合後、栗原に弟子入りを志願。 2月26日、直前練習で右肩を負傷したため、アイスリボン道場マッチを欠場。 3月19日、アイスリボン道場大会で復帰戦。石橋葵と元NEO同士で初タッグ(NEOゲノム)。 3月21日、昼のアイスリボン後楽園大会にNEOゲノムで参戦し、内藤メアリ&新田猫子組と対戦し、初の自力勝利。夜は板橋グリーンホールでJWP(「獅子の穴」主催興行)初参戦。栗原とのタッグで中森華子&森居知子組と対戦もフォール負け。 3月26日、アイスリボン道場マッチで宮城もちと対戦。津軽固めを決めてシングル初勝利。 5月23日、REINA女子プロレス団体化後初参戦。ロキシー・コットンと対戦も体固めで敗れる。 6月23日、アパッチプロレス軍初参戦。中森華子と対戦もフィッシャーマンズ・スープレックスで敗れる。 7月31日、WAVE名古屋大会で右目眼窩底骨折。欠場に入る。 11月6日、「麺プロ3」で復帰戦、GAMIとシングル。 12月25日、下野佐和子の保持するJWP認定ジュニア王座&POP王座に挑戦するも敗退。 2012年 5月6日、栗原あゆみと「栗ご飯1周年興行」を開催。 5月31日、「獅子の穴」に加入。 10月6日、アイスリボンにて6月に復帰したNOZOMIと元NEOタッグ。 11月4日、栗ご飯に栗原の師匠AKINOも加わり「秋の栗ご飯興行」を開催。 11月11日、みちのくプロレス青森大会に参戦も、右膝前十字靭帯断裂のため長期欠場に入る。 11月17日、後楽園ホールでのWAVE・AAA合同興行で欠場挨拶。手術に踏み切ることも表明した。 12月5日、WAVE新木場大会において、1月の平日にレッスル武闘館にて「飯田エイド」開催が発表される。 2013年 7月21日、新宿FACEでの「夏だけど秋の栗ご飯FINAL in AKINOデビュー15周年」にて復帰。 8月4日、栗原あゆみ引退興行の第1試合で栗原と最後のシングルを行い、メインにて「秋の栗ご飯」トリオ。 8月5日、ZABUN所属になる。 8月15日、新木場1stRINGで開催のWAVE興行「夏フェスタ‘13~渚のシンドバット~」で、WAVE入団を発表。ただし当面は治療及びリハビリのため欠場。 10月30日、WAVE後楽園大会にてGAMI引退記念5人掛けのひとりとして本格復帰。 12月15日、2013年ZAN1総合順位で6位を獲得 2014年 2月2日、WAVEの若手中心ブランド「YOUNG OH! OH! 9」レッスル武闘館大会にて小林香萌(WNC-REINA)とシングルでヒザ十字固めを決めギブアップを奪い、人気投票で1位に選ばれた。 7月24日、WAVE7周年記念興行新宿FACEにてヤンキー二丁拳銃、Las Aventurerasとの3WAY戦を制し第11代DUAL SHOCK WAVEチャンピオンになる。(パートナー、旧姓・広田さくら) 8月31日、志田光の保持するRegina di WAVE~WAVE認定シングル選手権~に挑戦するも敗退。 12月28日、2014年ZAN1総合順位で5位を獲得 2015年 7月20日、Catch the WAVEリーグ戦の結果、飯田美花、志田光、桜花由美、華名の4選手が並び、優勝決定トーナメントを開催。志田光をくだし、決勝進出も、桜花由美に敗れ、2位となる 12月27日、2015年ZAN1総合順位で3位を獲得 2016年 6月2日、Catch the WAVEリーグ戦、レガッタブルーブロックでブロック優勝。決勝トーナメント1回戦で山下りなに敗れる 12月29日、2016年ZAN1総合順位で2位を獲得 2017年 4月19日、Catch the WAVEリーグ戦には不参加 8月27日、頸椎損傷の為、8月27日大阪大会より欠場 11月26日、後楽園ホール大会で復帰 12月17日、2018年5月4日WAVE後楽園大会での引退を発表 2018年 1月7日、2017年ZAN1の1位に輝き、桜花由美のレジーナ王座に挑戦も敗退 2月3日、スペイン・バルセロナでRCWに参戦 3月13日、モデルとして『アイドル×レスラー展』に参加 4月22日、YOUNG新木場大会にて、引退前の5人掛けに挑むも2人目の弓季戦で肩を脱臼 5月4日、後楽園ホール、飯田美花&桜花由美&長浜浩江 vs 山下りな&小林香萌&夏すみれ戦にて、引退
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:33 UTC 版)
短大在学中、九州産業大学プロレス研究会にてトマホークT.Tを捩ったトマホークM.Mのリングネームで活動。 2014年 7月、センダイガールズ入門。同団体の練習生は4年ぶりだった。きっかけは博多スターレーン担当者から里村明衣子代表への電話。 9月15日、大阪大会で公開プロテストを受けて合格。里村は「(当日参戦した)コグマ・はづき蓮王(いずれもスターダム)のライバルに育てる」と宣言。 11月24日、博多スターレーンにて木村響子戦でデビュー、逆エビ固めで敗れる。 2015年 3月11日、新宿FACE大会で田中盟子を相手にシングルを行い逆エビ固めでプロ初勝利。 7月31日、プロレスリングWAVE主催の興行YOUNG OH! OH!に参戦。これが初他団体への参戦となる。真利杏(スポルティーバ)と組み、小林香萌&長浜浩江組と対戦も、真利杏が小林に敗れる。 9月17日、記者会見で同年10月11日開催の仙台サンプラザホール大会からリングネームを“カサンドラ宮城”に改名することが発表された。命名の経緯は、2015年9月放映の『サンドのぼんやり〜ぬTV』(TBCテレビほか)・「乙女限定・お悩み相談しナイト」の回でサンドウィッチマンと、仙台で活動中の占い師・白鳳占子さんに「ヒールになりたい」旨を相談して魔王の妃を意味する「カサンドラ」の名前を命名された。他にも候補としては長州力、トヨタカローラ宮城、リュウ宮城(“りゅうぐうじょう”と読ませる)など、多数の候補があった。後日の放送ではキャッチコピーも考えることになり、里村のアイデアで“宮城の悪妃”というキャッチコピーがつけられた。さらに一人称が某(それがし)に変わった。 10月11日、宮城倫子ラストネーム戦 シングルマッチを長浜浩江と行い引き分けに終わる。第5試合ではカサンドラ宮城デビュー戦を行いアジャ・コングとタッグを組みワールド女子プロレス・ディアナのSareee&田中盟子と対戦し田中にバックドロップを決めて勝利。同デビュー戦はインタビューも含めてサンドのぼんやり〜ぬTVでも一部放映された。 2016年 10月16日、デビューシングル「不不不、、、」を発売。同曲の歌詞の一部をサンドのぼんやり〜ぬTVにてサンドウィッチマンも考案。仙台サンプラザホール大会にて披露。 2018年 12月28日に、翌年1月末をもって退団しフリーとなることが発表された。 2019年 2月1日、リングネームをアンドラス宮城に改名。退団後はスターダム、KAIENTAI DOJO、ガンバレ☆プロレスに参戦。スターダムでは大江戸隊に所属。 5月5日付でスターダムに入団。 2020年 2月12日、プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUT新木場大会に乱入。自ら失業したと発表した。スターダムからの公式な発表はないが、公式プロフィールも削除されている。また公式ツイッターも一旦削除後に新しく開設され、「フリーランスのプロレスラー」と記されている。 スターダム退団後は、JUST TAP OUT、プロレスリングWAVEの他、アクトレスガールズに素顔である「宮城倫子」として参戦している。 2021年 5月26日、GLEAT新宿大会、GLEAT X(当日発表)で宮城倫子で登場。GLEAT初参戦となる。 6月27日、センダイガールズプロレスリング新潟大会に響とともに乱入。センダイガールズ参戦NGを解禁求めるも、岩田美香から蹴散らされ響とともに退場させられた。 7月1日、GLEAT旗揚げ戦「GLEAT Ver.1」TDCホール大会に参戦し、井上京子と対戦。またGLEAT初の女性所属選手として入団がアナウンスされた。 7月11日、センダイガールズプロレスリング後楽園ホール大会にて約4年ぶりに仙女参戦、響とタッグを組み岩田美香&愛美組と対戦、場外戦駆使し響の勝利をアシストした。 8月4日、GLEAT「G PROWRESTLING Ver.1」大阪アゼリア大正ホール大会において、アクトレスガールズの入江彩乃と対戦し勝利、GLEAT入団後初勝利となった。 10月9日、GLEAT「LIDET UWF Ver.1」新宿FACE大会にて、LIDET UWFルールで福田茉耶と対戦。初のUWFルールとなり福田からダウンを奪われるも、順調にロストポイントを稼ぎ、最後はチョークスリーパーでギブアップ勝ちを収める。 10月21日、センダイガールズプロレスリング宮城大会にて、響とタッグを組み岩田美香&愛海組を下し、センダイガールズワールドタッグ王座を奪取した。 2022年 3月5日、GLEAT「LIDET UWF Ver.2」新宿FACE大会にて、LIDET UWFルールでマドレーヌと対戦するが、チョークスリーパーで敗れる。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:28 UTC 版)
1978年12月2日、全日本女子プロレス常陸太田市民体育館大会において、対平田二三代戦でデビュー。入門後すぐ足首を複雑骨折したため、デビューは同期にくらべ大幅に遅れた。同期には、デビル雅美がいる。 1979年 一年後輩の新人に混ざって新人王決定トーナメントに参加して優勝。 1980年 ピーター・フォーク主演のアメリカ映画「カリフォルニア・ドールズ」にミミ萩原と共に出演。 1980年12月、当時破竹の上昇気流に乗る横田利美とのタッグチームで第72代WWWA世界タッグ王座を獲得するが、シングル指向の横田の意向もあり、すぐに返上。 1981年2月、横浜文化体育館でナンシー久美と組んで第73代WWWA世界タッグ王者となる。2度の防衛後、11月に沖縄県奥武山体育館でミミ・大森ゆかり組に敗れ王座を明け渡す。 1982年1月、千葉公園体育館で空位のオールパシフィック王座をワイルド香月と争い、勝利。第7代王者となる。2度の防衛後王座を返上し、ミミとのコンビでWWWA世界タッグ王座に挑戦するが、当時の王者チーム、デビル雅美&タランチェラ組の牙城を崩せず。 1983年〜1984年新たに大森とタッグチーム「ダイナマイト・ギャルズ」を結成し、デビル&タランチェラ組の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦。王者組の反則暴走がエスカレートし、ベルトは協会預かりに。同メンバーで、異例の3番勝負による決着が宣言される。大阪・川崎と会場を移しながら1-1のイーブンで迎えた6月14日札幌の決戦も、引き分け裁定。急遽3日後の6月17日旭川大会で4戦目が行われたが、タランチェラの両膝負傷による不本意なTKO勝ちであったが、第76代王者として返り咲いた。 8月後楽園ホールでライオネス飛鳥&長与千種の「クラッシュ・ギャルズ」の挑戦を受け勝利するも、少女ファンのブーイングを浴びる。強力なライバル出現で、闘いのモチベーションは急上昇。1984年1月にクラッシュの再挑戦、6月にダンプ松本&クレーン・ユウ組の挑戦を退け、最強王者ぶりをいかんなく発揮。8月に後楽園ホールでクラッシュに敗れるまで、7度の王座防衛に成功した。 1984年 ミミ萩原に次ぎヌード写真集「チャンピオン・ハイウェイ」を出版。撮影はマイク岡田。 1985年 持病の腰痛が悪化し、リング上で精彩を欠くようになる。8月、夢だった日本武道館大会では新人選手に混ざり、第一試合に出場。その後元力士との結婚を理由に引退を発表し、12月大田区体育館で引退試合&セレモニーを行う。 1998年8月14日に川崎市体育館で行われたOGマッチ「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」に現役時代から現在まで交流がある親友のダンプ松本、大森ゆかりと共に発起人として参加する。 2005年8月、後楽園ホールで行われたLLPWの「立野記代25周年記念バトルロイヤル」にOGとして参加し、大森と合体攻撃を見せた。 その後、フリーとして現役復帰。LLPWなどで不定期に試合を行っている。2007年には孫が誕生し、日本人初のおばあちゃんレスラーになっている。
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経歴・戦歴
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1985年 7月23日、全日本女子プロレス・横須賀市総合体育館において、対仲前芽久美戦でデビュー。 11月10日、新人王トーナメントの2回戦で坂本あけみに敗れ1回戦はシードながら初戦で姿を消す。 12月25日、クラッシュギャルズ主演のミュージカル「ダイナマイト・キッド」に出演する(12月30日まで)。 1986年 1月26日、坂本あけみの負傷欠場に伴い極悪同盟に加入。開催中の全日本タッグ選手権初代王座決定リーグ戦にも残り試合を仲前芽久美のパートナーとして出場することとなる。 1月30日、永友香奈子とのシングルマッチでピンフォールを奪い先輩レスラーからは初めての白星を挙げる。 2月12日、全日本タッグ選手権初代王座決定リーグ戦で小松美加、永友香奈子組と対戦。小松美加からフォールを奪い勝利。 5月26日、6人タッグながら初めてメインに出場しダンプ松本、ブル中野と組みライオネス飛鳥、立野記代、永堀一恵組と対戦する。 5月29日、宇野久子(北斗晶)の保持する全日本ジュニア王座に挑戦し王座を奪取。 7月3日、シングルマッチでコンドル斎藤と対戦しピンフォールを奪い勝利する。 7月22日、同期入門選手11人で行われた佐藤真紀メモリアル・トーナメントの決勝で岩本久美子を破り優勝。 7月24日、全日本ジュニア王座の防衛戦が行われ鈴木美香(みなみ鈴香)を破り初防衛に成功。 8月21日、小松美加、永友香奈子組の保持する全日本タッグ王座にコンドル斎藤と組み挑戦するも引き分けで王座奪取ならず。また、同日から開幕されるタッグリーグ・ザ・ベスト'86にダンプ松本のパートナーとして出場することとなる。 9月25日、全日本ジュニア王座の防衛戦で宇野久子(北斗晶)の挑戦を退け2度目の防衛に成功。 10月25日、6人タッグマッチが行われトレーシー・リチャード、影かほると組み小倉由美、永堀一恵、堀田祐美子組と対戦。小倉由美からフォールを奪い自軍を勝利に導く。 11月7日、全日本ジュニア王座の防衛戦で堀田祐美子を破り3度目の防衛に成功。 12月6日、極悪同盟の一員として参加していたチーム対抗公式リーグ戦の優勝決定戦に出場しニューヨーカーズを破り優勝。 1987年 1月3日、全日本女子プロレスの恒例行事となっていた新年マラソン大会に出場(順位は参加27人中16位)。 1月4日、極悪同盟からの脱退と全日本ジュニア王座の返上を表明。 2月26日、ブル中野の保持する全日本シングル王座に挑戦するも敗北。 3月13日、三原山噴火見舞いチャリティー興行が開催され若手選手8人で行われたワン・デイ・トーナメントのシングルの部で優勝。 3月21日、ジャパングランプリ'87が開幕。公式リーグ戦の初戦でダンプ松本と対戦し敗北。 4月25日、ジャパングランプリの公式リーグ戦でブル中野を破り全日本シングル戦の雪辱を果たした。 8月20日、タッグリーグ・ザ・ベスト'87が開幕され小松美加のパートナーとして出場する。 8月27日、フジテレビ系クイズ番組クイズ・ドレミファドン!で女子プロレス大会が開催され開催中のタッグリーグと同じく小松美加とのペアで出演した。 9月9日、全日本女子プロレスのソフトボールチーム・転倒無視が結成されライトのレギュラーとして参加する。 10月1日、石黒泰子公認のファンクラブが発足。翌月引退を表明したため、まもなく活動停止となった。 12月26日、東京・後楽園ホールにて平田八千代を相手に引退試合を行い現役を引退。
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経歴・戦歴
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1991年10月4日、東京・後楽園ホールの全日本女子プロレス興行における、対寺川真由美戦でデビュー。当時はブル中野の付き人をしていた。 プロレスに生かすために習い始めたテコンドーに本格的に取り組み、2001年の世界テコンドー選手権大会に特別推薦枠で出場した。 2006年3月26日、東京・後楽園ホールにおいて、対高橋奈苗戦で引退。 全日本女子プロレスがなくなったこと、誰でも女子プロレスができる時代になったことなどを引退理由としている。
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経歴・戦歴
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プロレス入り前 小学生時代に日本に移住するが、言葉も分からない慣れぬ土地で、一人部屋でテレビを見ているばかりの生活を送る。そんな時、テレビに映しだされた全日本女子プロレス中継に出ていた長与千種に魅せられ、プロレスラーを志す。 1986年 全日本女子プロレスに入門。 9月25日、埼玉・大宮スケートセンターにおいて、対平田八千代戦でデビュー。 1988年 12月11日、豊田真奈美を下し全日本ジュニア王座獲得。 1989年 3月4日、神谷美織とのタッグで全日本タッグ獲得。 8月24日、全日本シングル王座獲得により三冠達成。 10月6日のタッグリーグ・ザ・ベスト'89最終戦を最後に、肩の怪我や腰痛のため、全女を退団。 1990年 4月5日、FMWに工藤めぐみ、コンバット豊田と共に乱入という形でカムバックし、ヒールのトップとして活躍、後にベビーフェイスに転向した工藤と抗争を展開し、決着戦では壮絶なKO負けを喫した。女子部活性化への土台を築いた一人とされる。 カムバック後、全女時代に患った腰痛が再発し、プロレスを続けることが困難になり、12月22日、姫路市でのFMW女子初の単独興行「YAMATONADESHIKO」での対コンバット豊田戦を最後に引退。 その後は完全にプロレス界から離れ、一般人と家庭を築いている。
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経歴・戦歴
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1996年4月29日、GAEA JAPAN後楽園ホール大会での対松本麻衣子戦でデビュー。 1997年と1998年行われたジュニアオールスター戦に2年連続で出場するなど、期待の若手選手として活躍した。現在はプロレスを引退している。 ガイアジャパンで先輩だった加藤園子のオフィシャルブログ2017年3月23日に更新されたブログ上に、加藤が出場する試合の応援の為、会場に駆け付けた石井の姿が写真付きで紹介されている。
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経歴・戦歴
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2005年 5月1日 東京・板橋グリーンホールにおいて、対なつみ知香の引退試合となる1分掛けハンディマッチの中の1人としてデビュー。同大会にて入団記念特別試合として更に春日萌花戦を行い、初勝利。 2006年 6月4日 東京・新木場1stRINGにおいて、高橋李佳と対戦。サソリ固めで敗れる。 8月20日 東京・臨海副都心イベントスペース青海A地区特設リングでのWRESTLE EXPO 2006において、米山香織と組んで、渋谷シュウ、栗原あゆみ組と対戦。栗原のミサイルキックで敗れる。 9月10日 東京・新木場1stRINGでの息吹第9回大会において、伊藤薫と組み、椎名由香、渋谷シュウ組と対戦。15分の時間切れ引き分け。息吹初参戦。 9月18日 東京・後楽園ホールでのJWP女子プロレスにおいて、さくらえみと組み、春山香代子、阿部幸江組と対戦。オレンジ★ブロッサムで敗れる。 9月24日 東京・新木場1stRINGにおいて、零と対戦。敗れる。同大会、さくらえみ、石井美紀と組み、零、高橋李佳、春日萌花組と対戦。零からクロスアーム式原爆固めで勝利。 10月1日 東京・赤塚公会堂でのJWPにおいて、KAZUKIと対戦。K-クラッシャーからの片エビ固めで敗れる。 11月1日 東京・新木場1stRINGでのユニオンプロレス「水曜☆パラダイス」において、チェリーと対戦。チェリートーンボムで敗れる。 11月3日 東京・後楽園ホールでのNEO女子プロレス「STAND OUT06」において、渋谷シュウと組み、椎名由香、さくらえみ組と対戦。椎名のジャンピングラリアットで敗れる。 11月5日 東京・新木場1stRING「格闘美〜Dreamer06〜」において、渋谷シュウ、カリビアン・KIMと3WAY戦。 11月26日 東京キネマ倶楽部でのJWP「HEAT UP!」JWP認定ジュニア王座決定トーナメントにおいて、浦井百合と対戦。旋回式ダイビング・ボディ・プレスから片エビ固めで勝利、準決勝戦進出が決定。 12月10日 東京・赤塚公会堂でのNEO「Another Sweet Field」において椎名由香と組み、元気美佐恵、春山香代子組と対戦。元気ののど輪落としからの片エビ固めで敗れる。 12月12日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「HEAT UP!」JWP認定ジュニア王座決定トーナメントにおいて、勇気彩と対戦。ジャンピングラリアットからの片エビ固めで勝利、決勝戦進出が決定。 12月17日 東京・新宿FACEでの息吹第11回大会においてNAOと組み、椎名由香、吉田万里子組と対戦。椎名のジャンピングラリアットからのSTSで敗れる。 12月25日 東京・後楽園ホールでのJWP「JWP CLIMAX-2006」第13代JWP認定ジュニア王座決定トーナメント決勝戦において、中島安里紗と対戦。キューティースペシャルで敗れる。 12月31日 東京・後楽園ホールでのNEO「第4回ジュニア・オールスター戦」において、メインイベントのタッグマッチに、木村響子と組み、市井舞、佐藤綾子と対戦。佐藤のジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れる。 2007年 1月14日 東京・後楽園ホールでのプロレスリングSUN「COLORS」において、夏樹☆たいようと組み、渋谷シュウ、栗原あゆみ組と対戦。夏樹がたいようちゃん☆ボムからのエビ固めで栗原から勝利。 1月27日 東京・新木場1stRINGでの我闘姑娘「萌える!お嬢様伝説バトルプリンセスLive Vol.1」において、春日萌花と対戦。クロスアーム・スープレックスホールドで勝利。 1月28日 東京・新木場1stRINGでの息吹第12回大会において、さくらえみと組み、闘獣牙Leon、佐藤綾子組と対戦。Leonのマッドスプラッシュからの片エビ固めで敗れる。 2月3日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「バトルライン川崎」において、豊田真奈美と組み、タニー・マウス、松尾永遠組と対戦。松尾のハイキックからの片エビ固めで敗れる。 2月18日 神奈川・川崎市体育館でのNEO「NEO WORLD 2007」において、『NEOマシンガンズ軍vsさくらリボン軍 7vs7全面対抗戦』に出場。さくらリボン軍が勝てば、NEO甲田社長とさくらえみ即結婚式スペシャル ツインリング(ひとつはアイスリボン用マット)採用時間差バトルロイヤル・ルール。NEOマシンガンズ軍は、タニー・マウス、宮崎有妃、闘牛・空、チェ・リー、趙雲子龍、豊田真奈美、希月あおい。さくらリボン軍は、さくらえみ、春山香代子、米山香織、真琴、りほ、山本"KID"優樹、黒田哲広。さくらリボン軍が真琴の一人残りで勝利。 3月1日付けでアイスリボンに移籍 3月3日 東京都立荒川商業高等学校総合ビジネス科を卒業。 3月10日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「HIGH SPEED」において、三田英津子、春山香代子と組み、元気美佐恵、松尾永遠、さくらえみ組と対戦。元気の回転ラリアットからの片エビ固めで敗れる。 3月18日、東京・新木場1stRINGでの息吹第13回大会において、さくらえみと組み、NAO、輝優優組と対戦。NAOの変形ドラゴン・スリーパーで敗れる。 3月21日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「HIGH SPEED」において、真琴、石井美紀とともに田村欣子との『3min×3バトル』(田村が3分一本勝負を3人と対戦)に出場。チェーンリストで敗れる。(真琴はエルボーからの体固めで敗れる、石井は時間切れ引き分け) 4月4日 東京・市ヶ谷アイスボックスでの「NEOリボン〜STARTING OVER〜」において、野崎渚と組み、初代インターナショナル・リボンタッグ王座決定トーナメントに参戦。1回戦、タニー・マウス、宮崎有妃組と対戦。野崎がタニーにNEOマッスルスパークで敗れる。 4月8日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「sparkle」において、春山香代子と組み、ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメントに参戦。1回戦、山縣優、チェリー組と対戦。春山がチェリーにダイビング・ギロチンドロップから体固めで勝利、2回戦進出。 4月14日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「HIGH SPEED」において、さくらえみと組み、田村欣子、石井美紀組と対戦。さくらの石井へのスマッシュマウスからの片エビ固めで勝利。 4月15日 東京・後楽園ホールでのJWP「MANIA-X 2007」において、ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメント2回戦で、高橋奈苗、夏樹☆たいよう組と対戦。春山が夏樹のたいようちゃん☆ボムでまさかのフォール負け。準決勝進出ならず。 4月27日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・20において、牧場みのりと組み、元気美佐恵、真琴組と対戦。ダブルリストアームサルトで真琴から勝利。 4月28日 神奈川・横浜赤レンガ倉庫でのFuture Star Vol.1において、日向あずみと対戦。ダイビング延髄ニーからの体固めで敗れる。 4月29日 神奈川・横浜赤レンガ倉庫でのNEO「超☆女子プロレス主義(イズム)in赤レンガ07」において、野崎渚と対戦。ダブルリスト・アームサルトで勝利。 5月3日 東京・後楽園ホールでのNEO「MAY HISTORY 07」において、栗原あゆみと対戦。裏投げからの片エビ固めで敗れる。 5月4日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・21において、野崎渚と組み、田村欣子、さくらえみ組と対戦。チェーンリストで敗れる。 5月5日、東京・後楽園ホールでの息吹第14回大会において、NAOと組み、さくらえみ、成国晶子組と対戦。さくらのシュークリームで敗れる。 5月5日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「最後の勝者」において、野崎渚と組み、さくらえみ、みなみ飛香組と対戦。みなみからダブルリスト・アームサルトで勝利。 5月11日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・22において、米山香織と組み、堀田祐美子、真琴組と対戦。米山が片エビ固めで真琴から勝利。 5月13日 東京キネマ倶楽部でのJWP「Power up!!」において、阿部幸江と対戦。ビクトリーAで敗れる。 5月18日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・23において、三田英津子と対戦。回転エビ固めで敗れる。 5月19日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「Power up!!」において、春山香代子と組み、日向あずみ、中島安里紗組と対戦。中島からクロスアームスープレックス・ホールドで勝利。 5月25日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・24において、チェリーと対戦。春夜恋で敗れる。 5月27日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「FINAL ANSWER 07」において、さくらえみと組み、タニー・マウス、宮崎有妃組と対戦。タニーのダイビング・タニバットからの片エビ固めで敗れる。 6月1日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・25において、石井美紀と組み、米山香織、中島安里紗組と対戦。米山のダブルリストアームサルトで石井が敗れる。 6月8日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・26において、真琴と組み、みなみ飛香、聖菜組と対戦(30分3本勝負)。1本目は聖菜のジャーマン・スープレックスホールドで真琴が敗れ、2本目はダブルリストアームサルトでみなみから勝利、3本目はみなみのブロックバスターホールドで真琴が敗れ、1-2で敗れる。 6月10日 東京キネマ倶楽部でのJWP「Power up!!」において、春山香代子と組み、倉垣翼、渋谷シュウと対戦。倉垣のラリアットから片エビ固めで敗れる。 6月17日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・28において、石井美紀と組み、伊藤薫、森居知子組と対戦。ラリアートからの片エビ固めで敗れる。 6月22日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・29において、真琴と組み、阿部幸江、中島安里紗組と対戦。阿部のビクトリーAで敗れる。 6月23日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「Power up!!」において、コマンド・ボリショイと組み、蹴射斗、中島安里紗組と対戦。中島のキューティースペシャルで敗れる。 6月24日、東京・新木場1stRINGでの息吹第15回大会evening sessionにおいて、NAOと組み、植松寿絵、輝優優組と対戦。NAOが植松のハイアングル植松からの体固めで敗れる。 6月29日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・30において、みなみ飛香と組み、植松寿絵、真琴組と対戦。ダブルリストアームサルトで真琴から勝利。 6月30日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「Think Hard、Win More」において、植松寿絵と対戦。ソラリーナで敗れる。 7月1日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・31において、真琴と組み、春山香代子、中島安里紗組と対戦。ダイビング・ボディ・プレスで敗れる。 7月6日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・32において、チェリーと対戦。さくらんボムで敗れる。 7月8日 東京キネマ倶楽部でのJWP「春倉初プロデュース大会バリバリ最強no.1」において、渋谷シュウと対戦。ダイビングセントーンからの体固めで敗れる。 7月16日 東京・後楽園ホールでのNEO「SUMMER STAMPEDE 07」において、野崎渚と組み、栗原あゆみ、渋谷シュウ組と対戦。野崎が栗原のミサイルキックからの体固めで敗れる。 7月20日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・33において、中島安里紗と組み、田村欣子、さくらえみ組と対戦。さくらのラ・マヒストラルで敗れる。 7月22日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「Power up!!」において、野崎渚と組み、中島安里紗、紫雷イオ組と対戦。紫雷からクロスアーム式ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。 7月27日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・34において、中島安里紗と対戦。片エビ固めで敗れる。 8月3日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・35において、タニー・マウスと対戦。ヨーロピアンクラッチで敗れる。 8月5日 大日本プロレス神奈川・六角橋商店街大会「商店街ツアー07 in六角橋商店街」において、李日韓(BJW)、石井美紀、真琴と組み、さくらえみ、みなみ飛香、聖菜、りほ組と対戦。日韓がさくらのラ・マヒストラルで敗れる。 8月5日 東京・板橋グリーンホールでのJWP「Power up!!」において、中島安里紗の持つJWP認定ジュニア&POPの2冠に挑戦。中島のジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れる。 8月12日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「ミッドサマー・タイフーン07」において、野崎渚と組み、米山香織、闘獣牙Leon組と対戦。野崎がLeonのマッドスプラッシュからの片エビ固めで敗れる。 8月17日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・36において、さくらえみと対戦。アイスドライバーからの片エビ固めで敗れる。 8月19日 東京・BumB東京スポーツ文化館マルチスタジオでのアイスリボン・37〜in夢の島において、石井美紀と組み、タニー・マウス、宮崎有妃組の持つインターナショナル・リボンタッグ選手権に挑戦。タニーのローリングタニバットからの片エビ固めで石井が敗れる。 8月24日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・38において、真琴と組み、堀田祐美子、みなみ飛香組と対戦。みなみのヨーロピアンクラッチで敗れる。 8月25日 愛知・日本ガイシスポーツプラザ第3競技場でのNEO「SUMMER STAMPEDE IN NAGOYA」において、野崎渚と対戦。旋回式ボディ・プレスからの片エビ固めで勝利。 9月8日 東京・北沢タウンホールでのFuture Star Vol.2において、真琴と組み、植松寿絵、みなみ飛香組と対戦。真琴がダブルアーム・スープレックス・ホールドでみなみから勝利。 9月16日 東京キネマ倶楽部でのJWP「Flash point」において、コマンド・ボリショイと対戦。センセイ固めで敗れるも、同年末JWP主催の「第5回ジュニア・オールスター戦」への出場を認められる。 9月17日 東京・後楽園ホールでのNEO「BEAT UP 07」において、野崎渚、みなみ飛香と組み、三田英津子、石井美紀、真琴組と対戦。みなみが真琴のダブルアーム・スープレックス・ホールドで敗れる。 9月23日、東京・新木場1stRINGでの息吹第17回大会において、渋谷シュウと組み、木村響子、チェリー組と対戦。木村のビッグブーツからの片エビ固めで敗れる。 9月24日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「VICTORIOUS」において、野崎渚と組み、植松寿絵、輝優優組と対戦。野崎が植松のダイビング・ボディ・プレスからの体固めで敗れる。 10月6日 神奈川・諏訪神社境内特設リングでの大日本プロレス「第2回商店街プロレスin若松」において、聖菜と組み、さくらえみ、みなみ飛香組と対戦。2階からのにゃんにゃんプレスからの片エビ固めで敗れる。 10月7日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・44において、石井美紀と組み、中川ともか、松本浩代組と対戦。中川の唸れ剛腕で石井が敗れる。 10月14日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「VICTORIOUS」において、松尾永遠と対戦。ジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れる。 10月20日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・51において、牧場みのりと組み、松本浩代、りほ組と対戦。スクールボーイで松本から勝利。 10月26日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・46において、松本浩代と対戦。15分引き分け。 11月2日 東京・新木場1stRINGでのFuture Star Vol.3において、松本浩代と組み、勇気彩、牧場みのり組と対戦。旋回式ダイビング・ボディ・プレスからの片エビ固めで牧場から勝利。 11月4日 東京・後楽園ホールでのNEO「STAND OUT 07」において、野崎渚、植松寿絵と組み、豊田真奈美、チェリー、石井美紀組と対戦。植松の石井へのノーザンライト・スープレックス・ホールドで勝利。 11月11日、東京・新木場1stRINGでの息吹第18回大会において、木村響子と組み、大畠美咲、松本浩代組と対戦。木村が大畠のエビ固めで敗れる。 11月23日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・49において、真琴と対戦。ダブルリストアームサルトで勝利。 11月25日 東京キネマ倶楽部でのNEO「LIVE IN KINEMA」において、野崎渚と組み、松本浩代、大畠美咲組と対戦。野崎が松本のバックドロップからの片エビ固めで敗れる。 12月9日 東京・板橋グリーンホールでのNEO「NEO STORM 07」において、タニー・マウスと対戦。回転足折り固めで敗れる。 12月15日 千葉・君津市アクアマリンスタジオでのさくら祭り第一部において、市井舞と組み、勇気彩、牧場みのり組と対戦。旋回式ダイビング・ボディ・プレスからの片エビ固めで牧場から勝利。 12月15日 千葉・君津市アクアマリンスタジオでのNEO&アイスリボン共催さくらえみ地元凱旋興行「女子プロレス君津大会さくら祭り」において、植松寿絵、野崎渚と組み、米山香織、春山香代子、倉垣翼組と対戦。倉垣のラリアットからの片エビ固めで敗れる。 12月21日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・52において、春山香代子と組み、松本浩代、真琴組と対戦。ダブルリストアームサルトで真琴から勝利。 12月24日、東京・新木場1stRINGでの息吹第19回大会において、中川ともかと組み、アップルみゆき、チェリー組と対戦。中川がアップルのアップルバスターからの片エビ固めで敗れる。 12月31日 東京・後楽園ホールでのJWP「第5回ジュニア・オールスター戦」において、メインイベントの6人タッグマッチに、勇気彩、ティラノサウルス奥田と組み、中島安里紗、松本浩代、小林華子と対戦。中島のキューティースペシャルで奥田が敗れる。 12月31日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・53において、石井美紀と対戦。片エビ固めで敗れる。 2008年 1月5日 東京・新木場1stRINGでのFuture Star Vol.5において、真琴と組み、さくらえみ、市井舞組と対戦。市井のダイビング・ボディ・プレスからの片エビ固めで真琴が敗れる。 1月6日 東京・後楽園ホールでのNEO「BE HAPPY AGAIN 〜アレから10周年〜」において、野崎渚と組み、中島安里紗、大木アスカ組と対戦。野崎が大木からジャックナイフ式エビ固めで勝利。同大会でNEO10周年記念30選手参加時間差バトルロイヤルにも出場。 1月13日 大阪・デルフィン・アリーナ道頓堀でのNEO「NEO with 08」において、中川ともかと組み、タニー・マウス、真琴組と対戦。真琴からダブルリスト・アームサルトで勝利。これをもって、当面の他団体参戦を見合わせ。 1月14日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・55において、牧場みのりと対戦。大外刈りからのエビ固めで敗れる。 1月29日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・59において、さくらえみと組み、松本浩代、華名組と対戦。東海道落としからの片エビ固めで敗れる。このとき華名・松本から「タコ焼き」呼ばわりされる。 2月1日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・60において、松本浩代、りほとの3WAYマッチ。松本にりほ共々丸め込まれ敗れる。松本からは1月29日に続いて「タコ焼き」呼ばわりされる。 2月10日 神奈川・横浜マッスルファクトリー(大日本プロレス鴨居道場)での「NEO大日本リボンの3者3様」において、りほと組み、さくらえみ、聖菜組と対戦。聖菜からジャックナイフ式エビ固めで勝利。 2月12日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・62において、松本浩代、りほとの3WAYマッチ。松本にりほ共々丸め込まれ敗れる。 2月15日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・63において、真琴と組み、市井舞、中島安里紗組と対戦。市井の彗星キックからの片エビ固めで真琴が敗れる。 2月24日 東京・北沢タウンホールでのFuture Star Vol.6において、さくらえみと組み、市井舞、石井美紀組と対戦。石井のモテキックからのエビ固めでさくらが敗れる。石井美紀引退試合。 2月29日 東京・市ヶ谷アイスボックスでのアイスリボン・68において、りほと対戦。スクールボーイで勝利。 3月5日 前十字靭帯断裂についての靱帯再腱手術のため、長期欠場を発表。 この間、リングアナウンサーとして団体に帯同。 11月15日 アイスリボン・19・新木場1stRING大会において復帰。 2009年 3月24日・28日昼の部・31日と、高橋奈苗とのシングル3番勝負を行うも、いずれも敗戦。 4月5日、息吹・新木場大会開始前、頭痛を訴え、リングドクターと吉田万里子プロデューサーを交えて相談の結果、この日の大会を欠場。後の検査では異常が見られなかったものの、さくらえみと共に出場予定だったタッグ王者決定トーナメントのエントリー取り消しは勿論、状況が改善されるまで一切のプロレス活動を見合わせることを発表。再び長期欠場に入った。 この間、大会前の前座を務めたり、団体の事務作業をこなしながら、体調回復を待ったものの、激しい運動を行うと頭痛が起きる状態から一向に回復しない状態が続いた。 8月11日、回復の見込みが立たないと判断され、ネオプラス・アイスリボン事業部から「8月31日付けで無期限休業扱いとする」と発表される。 8月29日・30日・戸田競艇場大会をもって団体への帯同を終了。予定通り翌31日をもって団体に籍を残したままセミリタイヤ状態となる。 2010年 12月26日の後楽園大会で、しもうま和美の引退試合の特別リングアナとして参加。 2011年 11月8日、アイスリボン341にて、12月25日後楽園大会RIBBONMANIA2011で復帰すると発表。 12月16日、19時女子プロレスにゲストとして初出演。 12月25日、後楽園大会RIBBONMANIA2011にて、植松寿絵を相手に復帰戦を行い、敗れる。これ以降は体調を考慮してスポット参戦の形を取る。 2012年 2月5日、FREEDOMS横浜大会にて、BJW・グレート小鹿率いる「小鹿軍団」のマネージャーとして登場。以降、FREEDOMSには首都圏での大会のリングに登場する(軍団員の大家健は不満を漏らしている)時にはバラモン兄弟(シュウ・ケイ)の墨汁攻撃を逆に見舞ったりする。 2月18日、この日の道場マッチで志田光とタッグを組み、みなみ飛香&りほと戦い勝利する。試合後に「これからもタッグを組んでいきたいと思います」と志田に握手を求めるも拒否され、逆にシングルマッチを要求される。これに対し希月は志田の持つICE×60王座への挑戦を逆に要求。揉み合いになったものの、後楽園ホール大会での王座戦が決定する。 3月20日、後楽園ホール大会「アイスリボン・マーチ2012」で志田光のもつICE×60王座に挑戦。志田にスリーカウントからフォールされ敗れる。 4月7日、道場マッチの最後にインターナショナル・リボンタッグ王座へ挑戦表明。パートナーに志田光を指名するも志田は拒否。次に帯広さやかを指名し一度は拒否されるも、4月14日の道場マッチで帯広が指名を受け入れて挑戦が決まる。 5月5日、後楽園ホール大会「GOLDEN RIBBON 2012」で帯広さやかとのタッグ「ハッピーメーカーズ」でドロップキッカーズ(藤本つかさ&つくし)の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦。帯広が藤本を丸め込んでフォールし王座奪取に成功、パートナーの帯広ともども初タイトルを獲得する。 6月17日、北沢タウンホール大会でドロップキッカーズにインターナショナル・リボンタッグ王座を奪回される。 12月31日、後楽園ホール大会でつくしと組んで帯広さやか&木村響子組が持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦して、2度目の王座奪取。 2013年 2月23日、希月より4ヶ月遅れて復帰した中島安里紗とタッグを組む。 8月25日、後楽園ホール大会「不思議の国のアイス2013」にて「88&89年生まれによる8人タッグマッチ」(志田光&朱里&中森華子&大畠美咲 vs 希月あおい&真琴&中島安里紗&下野佐和子)。この試合で膝を痛め欠場に入る。 12月31日、後楽園ホール大会で復帰(希月あおい&235 vs 内藤メアリ&小林香萌)。以降も限定参戦。 2014年 8月31日、アイスリボン後楽園ホール大会「不思議の国のアイス2014」にてダンプ松本と戦う藤本つかさに感化され再びベルトへの熱が上がり、以降限定参戦から定期参戦となる。 11月24日、横浜ラジアントホール大会にて、藤本つかさの保持するICE×∞王座に挑戦も敗北。 2015年 1月18日より開幕した「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2015」に、春山香代子とのタッグ「オレンジハッピーズ」でエントリーして優勝。 6月24日、アイスリボン後楽園ホール大会にて、柊くるみを破りICE×∞王座初戴冠。 7月29日、FTE王者である紫雷美央とのWタイトル戦に勝利。ICE×∞王座初防衛と共に2冠王者となる。 2016年 1月3日、プロレスリングWAVEのHAPPY NEW YEAR WAVE '16に初参戦。元同僚春日萌花とタッグを結成し夏すみれに勝利。試合後には春日から長浜浩江と3人でのユニット結成を呼び掛けられ承諾する。 1月9日、アイスリボン横浜大会を持ってフリーに転向。ラストマッチでは長崎まる子との一騎討ちを行い勝利。また5月4日のアイスリボンの横浜文化体育館大会に早くも参戦を要求される。 1月10日、フリー初戦としてOZアカデミーに参戦し尾崎魔弓との一騎討ちを行うも尾崎のオザキックで敗北。尾崎に勝つまで参戦すると公言。 1月11日、SEAdLINNNGに初参戦。 1月17日、REINA女子プロレスに参戦。朱里との一騎討ちを行う。 2月6日、春日萌花とのタッグチームをSO ON FLOWERと発表。 フリー転向後はOZアカデミー、WAVE、REINAへ定期参戦している。 2018年 10月7日、新宿FACEで行われた「希月あおい引退興行 ~ファイナルハッピー~」における、さくらえみ&真琴&志田光戦(パートナーは里歩&駿河メイ)をもって現役を引退した。
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経歴・戦歴
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「キク (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2021年11月13日 大田区総合体育館にてチェリー&バニー及川&咲蘭戦でデビュー。(パートナーはラム会長&Yappy)
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経歴・戦歴
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井上貴子がプロデュースするアイドルレスラープロジェクト「VoLume II」の2期生で、同期のSAKIとともに「ブリバト♡」(ブリリアントバトルガールズの略)として活動中。1期生オーディションには100通以上の応募があったものの、合格者8名全員がデビュー前に脱落。より審査を厳格化して開催した2期生オーディションで応募70通弱の中から合格した2名がSAKIとMIZUKIだった。プロレスと平行して秋葉原で週1回の定期LIVEを行うなど、ライブアイドルとしても活動している。 2011年 高校2年の秋に「VoLume II」の2期生オーディションを受け16歳で合格。神戸の高校に通っていたため、本格的にトレーニングを開始するのは上京する翌春からとなった。 2012年 MIZUKIが上京して間もなく1期生が脱落。残った同期のSAKIとともにデビューに向けトレーニングを続ける。12月29日、LLPW-X赤坂BLITZ大会でSAKIとともにデビュー。貴子は当初、SAKIvsMIZUKIのシングルマッチを考えていたが、社長神取忍の提案により、神取&貴子組vsブリバトでのデビュー戦となった。試合は4分37秒、貴子のツームストン・パイルドライバーでMIZUKIが敗戦。またプロレスと同時にCDデビューした。 2013年 4月13日、「石岡女子プロレスフェスティバル」にてSAKIとの初シングルもボディスラムからの逆エビ固めで敗れる。8月31日にはブリバトとして我闘雲舞に初参戦。以降、定期参戦するなど、練習ではさくらえみから指導を受けるようになる。 2014年 10月11日、LLPW-X両国国技館大会のブリバトvs里歩、帯広さやか戦で、帯広から新技アクアマリンで3カウントを奪い、デビューから2年で初のフォール勝ち。(それまでブリバトの勝利試合は、全てパートナーのSAKIが決めていた) 2015年 6月21日、我闘雲舞板橋グリーンホール大会にて里歩の保持するIWA三冠ベルトでシングルタイトル初挑戦。11分19秒、そうまとうで敗れ、ベルト獲得ならず。 2016年 1月9日、アイスリボン横浜ラジアントホール大会にて「ベストフレンズ」(藤本つかさ&中島安里紗)が保持するインターナショナル・リボンタッグ王座で、「ブリバト♡」結成4年目でタッグタイトル初挑戦。17分22秒、藤本のビーナスシュートでSAKIが敗れ、初タイトルならず。 3月24日、我闘雲舞新木場1stRING大会にて新たに創設されたアジアドリームタッグ王座を賭け、ブリバトvsさくらえみ&マサ高梨戦が行われる。25分23秒、アクアマリンでMIZUKIがさくらから勝利し、アジアドリームタッグ初代王者となった。 11月28日、11月末をもってSAKIと共にLLPW-Xを退団することが発表される。2016年下半期より試合数が減っており、所属としては10月9日の川口ストリートジャズフェスティバルでのイベントプロレス(神取忍&藪下めぐみvs井上貴子&MIZUKI)が最後の試合となった。 2017年 3月25日、東京女子プロレス横浜大会に登場しレギュラー参戦を発表。リングネームは瑞希とする。 4月8日、東京女子プロレス成増大会にて復帰。伊藤麻希を相手にキューティースペシャルで半年ぶりの試合を勝利で飾る。試合後、伊藤より「伊藤リスペクト軍団」への勧誘を受け同ユニットに加入。 6月5日、我闘雲舞・板橋大会で沙紀(SAKI改め)と1年ぶりのタッグ結成。 7月2日、第4回東京プリンセスカップに初エントリー、新宿FACE大会にて行われた初戦にてのの子をキューティースペシャルで投げきり勝利、2回戦へ進出。 7月15日、横浜ラジアントホール大会にて行われた第4回東京プリンセスカップ2nd ROUNDにて滝川あずさを下し準決勝進出。 7月30日、新宿FACEにて行われた第4回東京プリンセスカップFINAL ROUNDにて坂崎ユカに敗れ準決勝敗退。 9月9日、新木場1stRingから開催された初代TOKYOプリンセスタッグ王座決定トーナメントに伊藤麻希との伊藤リスペクト軍団でエントリー。1回戦の山下実優&才木玲佳組との対戦にて TOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王者であった才木から、かつてのフィニッシャーであるアクアマリンで勝利。試合後、才木の持つベルトに挑戦する事を宣言。 9月16日、横浜ラジアントホール大会にて行われたTOKYOプリンセスタッグ王座決定トーナメント準決勝にて坂崎ユカ&中島翔子組と対戦、伊藤が敗れトーナメント敗退。 9月22日、新宿FACEにて行われた我闘雲舞5周年記念大会にて、沙紀とのタッグで我闘雲舞の新人であるアーサ米夏&紺乃美鶴と対戦。 9月30日、大阪市都島区民センター大会にて才木玲佳の持つTOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王座に初挑戦。タッグパートナーである伊藤の得意技である頭突きを繰り出すなど健闘するも才木のジャックハマーに敗れる。 12月21日、新木場1stRing大会にて行われた我闘雲舞の「ことり」プロレス卒業試合にて、里歩とのタッグで「ことり」&沙紀組と対戦。試合は里歩が「ことり」から勝利を上げる。 2018年 1月4日、後楽園ホール大会にて盟友・里歩とのタッグで中島&坂崎の持つTOKYOプリンセスタッグ王座に挑戦するも敗北。また、同日伊藤リスペクト軍団でCDデビュー、ミニライブも行う。 2月28日、我闘雲舞新木場1stRing大会にて沙紀とのタッグで里歩&真琴の同期タッグと対戦。 5月19日、北沢タウンホール大会にて伊藤リスペクト軍団・伊藤麻希とのタッグでTOKYOプリンセスタッグ王座に挑戦するも敗北。 8月4日、新宿FACE大会にて坂崎ユカとのタッグ・「マジカルシュガーラビッツ」として1dayタッグトーナメントに優勝し、8月25日後楽園ホール大会での空位となっているTOKYOプリンセスタッグ王座挑戦を表明。 8月25日、後楽園ホール大会、第4代TOKYOプリンセスタッグ王者決定戦にて伊藤麻希をキューティースペシャルで下し、王座戴冠。 2019年 1月20日、Color’s旗揚げ戦では沙紀と久々にタッグを結成。茉莉&清水ひかり組に勝利した。 7月7日、両国KFCホール大会で行われた第6回東京プリンセスカップ決勝戦でまなせゆうなに勝利し初優勝。 9月1日、大阪・エディオンアリーナ大阪第2競技場にて行われた大阪初のビッグマッチにて中島翔子の保持するTOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王座に挑戦するも敗北。 2020年 8月29日、新宿FACEにて行われた第6回東京プリンセスカップ決勝戦で中島翔子に勝利し優勝、同大会初の2連覇を達成。 11月7日、TDCホール大会にて坂崎ユカの保持するTOKYOプリンセス・オブ・プリンセス王座に挑戦するも敗北。 11月14日、新木場大会にてこの日付けで東京女子プロレスに入団する事を発表。 2021年 10月9日、大田区総合体育館大会にて沙希様&メイ・サン=ミッシェルから勝利してプリンセスタッグ王座奪取(パートナーは坂崎ユカ)。 11月25日、後楽園ホール大会にて山下実優&伊藤麻希から勝利してプリンセスタッグ王座初防衛(パートナーは坂崎ユカ)。 2022年 1月4日、後楽園ホール大会にて山下実優の保持するプリンセス・オブ・プリンセス王座に挑戦するも敗北。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 04:06 UTC 版)
ジャパン女子プロレスの旗揚げメンバーである。しかし旗揚げ戦ではデビューできず、1986年9月5日のジャパン女子後楽園ホール興行において、対伊藤勇気戦でデビューした。当初は片足だけロングタイツのカラフルな衣装でアイドル系レスラーに進むと見られていたが、体重の増量と共に方向は転換され、ヒール集団GUREN隊のメンバーとして活躍する。 1992年にジャパン女子が解散に伴いLLPWに移籍。平成GUREN隊(後のG-MAX)を結成し、後に他団体のヒール軍団猛毒隊・裁恐軍と合体して平成裁恐猛毒GUREN隊となり、FMW・Jd'をまたにかけて猛威をふるった。同チーム解散後は風間ルミ、井上貴子らとBLACK JOKER(ブラックジョーカー)というヒール軍団を結成。BLACK JOKERでの活動終了後はシングルレスラーを経てから立野記代とタッグチーム「ビッグレディ」を結成した。 2007年5月20日の後楽園ホール大会で、かつてのGUREN隊メンバー尾崎魔弓とタッグを組み、ハーレー斉藤&ダイナマイト・関西組とのジャパン女子1期生同士によるタッグマッチにて引退。20年以上に及ぶ現役生活に終止符を打った。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 20:07 UTC 版)
「仙台幸子 (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2006年7月9日、仙台サンプラザで行われたセンダイガールズ旗揚げ戦の第1試合で、井上京子相手にデビュー。 2007年8月28日、9月8日の仙台大会から仙台の招福キャラクター「仙台幸子」に改名することが発表された。 2009年2月1日、息吹・新木場大会、松本浩代の持つJWPジュニア二冠王座に挑戦するも、王座獲得に失敗 3月29日・4月19日、仙女主催「第二回じゃじゃ馬トーナメント」で優勝。 5月31日、息吹・後楽園ホール大会で試合中、負傷。左足首骨折と靭帯断裂と診断。1年間の欠場を余儀なくされる。 2010年4月9日、Zepp仙台大会で復帰。 2011年1月、沖縄プロレス留学を開始 3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)並びに福島第一原発事故発生に伴い、仙台帰還の延期を決定。 5月23日、留学を終了。 9月、姉・チサコと共にツイッターを開始。 2014年4月1日、膝の負傷のため手術することになり発表。翌2日に手術を行った。またこれに伴いJWP認定タッグ王座&デイリースポーツ認定女子タッグ王座を返上。 6月の仙台大会より試合前に幸子の部屋と言うコーナーを行う。第一回のゲストは旧姓・広田さくら。第二回(7月)のゲストは、松本浩代。第三回(9月)のゲストは、DASH・チサコ。第四回(9月)のゲストはSareee。第五回(10月)のゲストはコマンド・ボリショイ。第六回(12月)のゲストは下野佐和子。 2015年1月の仙台大会で復帰戦。 8月25日、結婚引退を発表。 2016年1月17日最終戦。センダイガールズワールドタッグチームチャンピオンシップの王座をかけ岩田美香&橋本千紘を相手に対戦し岩田にムーンサルトプレスを決めて勝利。全試合後に行われたバトルロイヤルではチサコのホルモン・スプラッシュで敗れる。全試合後には夫やお笑いトリオのパンサーなどが登場。 十文字姉妹での戦歴はDASH・チサコ#十文字姉妹としての戦歴の欄を参照。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 17:20 UTC 版)
プロレスラーを目指し、AtoZに履歴書を送るが、書類選考で落とされた(このエピソードは2013年2月6日のWAVE新木場大会にてGAMIによって暴露されている)。 2003年 10月、JDスター女子プロレスに入門。 2004年 9月19日、新木場1stRING大会において、対AKINO戦でデビュー。 2007年 7月16日にJDスターが活動を停止。同団体の最終所属選手の中でただ一人、どこにも属さずフリーランスとして活動していた。 8月26日、プロレスリングWAVE旗揚げ戦にフリーとして参戦。KAORUとシングルマッチ。敗れる。 2009年 1月1日付でWAVE所属となった。 1月4日、東京・新宿FACEにて、WAVE所属となって初の試合(8人タッグ)で栗原あゆみから勝利を挙げる。 9月21日、東京・板橋区立グリーンホールYOUNG OH!OH!シングルワンデイトーナメント優勝。 2010年 前十字靭帯完全断裂及び半月板の亀裂により8月から約一年間の長期欠場に入る。 2011年 8月28日、後楽園ホールのメインでデビュー戦の相手でもあるAKINO戦で復帰を果たす。 12月11日、東京・新木場1stRINGにて、桜花由美相手に復帰後初勝利をあげる。 2012年 3月6日、トリプルテイルズ.Sのメンバーに、渋谷シュウ、栗原あゆみ、飯田美花を加えた新しいユニット名が黒のブラックダリアに対抗した、白のホワイトテイルズに決まる。(他の候補はシブフラワー、SとM、ホワイトニングテイルズ) 4月15日、オーストラリア記念館にて、凱旋興行を果たし、植松寿絵相手に勝利。 4月30日、後楽園ホール「VIRGIN SHOCK~catch the WAVE2012開幕戦~」での植松寿絵引退試合に於いて対戦相手を務める。(植松寿絵&輝優優対渋谷シュウ&春日萌花) 7月22日、新宿クレイジーナイト&新宿プロレスの覆面MANIA提供試合で、マスクド渋として出場。 8月7日、8月8日、解散をかけたブラックダリアとの観客動員数対決で見事勝利を収める。(7日がブラック大会、8日がホワイト大会) 8月26日、新木場1stRING、プロレスリングWAVE5周年記念ファン感謝祭 【Let's Go CRAZY】のミニ大会『チャントシテ』で自身初のプロデュース興行を行う。 内容はリアルマッスルWAVE(対山縣優)、洋服早畳みマッチ(対栗原あゆみ)など。 9月1日、復帰後初の他団体としてアイスリボン道場マッチに参戦(同団体への参戦は2008年以来4年ぶり)。 12月16日、運・人気・実力の3部門で競うWAVE第一回総選挙「ZAN1」において、総合4位に輝く。 2013年 8月25日、新木場大会でWAVE認定タッグ選手権試合(対GAMI&中川ともか)に勝利し、第8代WAVE認定タッグ王者になる。(パートナーはチェリー) 11月29日、閉鎖が決定したオーストラリア記念館における最後のプロレス興行となった大日本プロレスにて水波綾に勝利。 2014年 3月30日、アイスリボン後楽園大会でトライアングルリボン王座奪取。 9月11日、4団体合同興行「M.I.O.(ミッション・イン・オーダテ)」で有刺鉄線デスマッチに初挑戦。 12月14日、新木場大会で来年5月3日に引退をすることを発表。引退理由はカラダの治りが遅くなったことだと言う。 2015年 5月3日、後楽園大会にて引退試合。チェリーとのクラシックギャルズとして桜花由美&AKINO組と対戦、AKINOをタイムマシンにのってで仕留め有終の美を飾った。
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経歴・戦歴
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2000年に吉本女子プロレスJd'に入門も一度退団、再入門後2001年6月24日のディファ有明大会で、対西千明戦、対亜利弥’(2連戦)でデビュー。そのアイドル性の高さからデビュー半年後には個人のビデオが発売され、また2002年1月にはTWFタッグ王者・阿部幸江、KAZUKI組(WANTED!?)の初防衛戦の相手に指名(パートナーは西)されるなど、未来のエースとして期待されていたが、1か月後の2月17日に突如Jd'を退団。 半年後の8月11日にNEOに電撃入団。Jd'時代に出したビデオに「好きなプロレスラー」として名前を挙げていた宮崎有妃に誘われての入団で、8月17日の移籍第1戦も宮崎とのシングルマッチだった。しかし半年間のブランクは隠せず試合内容は満足のいく物ではなく、またケガが重なったこともありしばらく低迷が続き、中々本領を発揮する事が出来なかった。 松尾が浮上し始めたのは2005年あたりで、同年8月21日、東京キネマ倶楽部大会において、アメージング・コング(キア・スティーブンス)との「ニュー・ビューティ・ペア」で井上京子、三田英津子組を下し(松尾が井上をフォール)、初代NEO認定タッグ王者になる。その後、11月には「時計の針を動かす」と宣言し、元気美佐恵の持つ二冠王座にも挑戦した。 2006年には田村欣子とのコンビでミッドサマー・タッグトーナメントに優勝、11月3日の後楽園ホール大会では元気と組んで、木村響子、アメージング・コング組に渡っていたNEO認定タッグ王座を奪還(松尾が木村から勝利)、第4代王者となる。 2007年、8月12日に元気を下し二冠王座への挑戦権を獲得すると、9月17日の後楽園ホール大会で田村の持つ二冠王座に挑戦、あまり誉められる試合内容ではないものの田村をマックでフォールし第18代二冠王者となる。その後、翌年の5月5日に明け渡すまで2度の防衛を記録。 王座転落後も第一線で活躍していたが、2009年3月8日に引退を表明。5月5日の後楽園ホール大会で引退。8年間に渡る現役生活を終える。最後の試合も宮崎相手のタッグマッチだった。 引退してから3週間が経過した後、自身のブログ上で芸能事務所に所属してタレント活動を行うことを発表。主に舞台を中心に活動していた。 2010年3月のパッション・レッド自主興行にてリングアナウンサーとして登場。 2016年7月から、成瀬昌由が運営するパーソナルトレーニングジム「REZAEV(リザエヴ)荻窪店」でトレーナーを務めている。 デビュー当時からルックスも良く、アイドルレスラーとして活躍していた頃は週刊現代等で水着グラビアが掲載された事もあった。
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経歴・戦歴
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1985年 7月25日、神奈川・大和車体工業体育館において、坂本あけみと組み、対コンドル斎藤、永堀一恵戦でデビュー。 10月26日、新人王トーナメントの1回戦で神崎文枝に体固めで敗れる。 1986年 7月1日、茨城・水戸市体育館にて佐藤真紀メモリアルトーナメントの1回戦が行われ神崎文枝に敗れる。この試合を最後に病気欠場し、復帰せずにそのまま廃業する。選手生活としては1年間であった。
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経歴・戦歴
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2003年4月29日、アルシオン・後楽園ホール大会において、対高瀬玲奈、江本敦子組戦でデビュー(パートナーはAKINO)。7月のAtoZの旗揚げの際に本名から改名。2004年から「暴走プレジデント」堀田祐美子と行動を共にするが、同年7月に石原美和子との異種格闘技戦を肩脱臼のためキャンセル、7月19日の大会当日に横浜文化体育館から千葉県の親戚宅まで歩いて逃亡した。程なくしてAtoZ江戸川道場に戻ったが、8月、正式にAtoZを退団。引退式は行わず、廃業の形となった。退団後は実家のある滋賀県大津市に戻り、親の紹介でブリヂストンの工場に勤務。最初が製造職だったが後に事務職となる。 2006年9月12日の未来追悼興行『未来メモリアル』に来場し、久々にマスコミの前に姿を現した。
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経歴・戦歴
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1998年1月23日、神奈川・川崎市体育館において、対池田麻奈美戦でデビュー。2月に本名からアキュート冴に改名した。 JWPの他にNEO女子プロレスにレギュラー参戦。特に西千明との「反マシンガンズ同盟」でNEOマシンガンズ(タニー・マウス、宮崎有妃)と抗争を展開し、板橋タッグを獲得した事もある。2001年に市川狐火名に改名してからは、JWPでは市川、NEOではアキュートとして出場を続けていた。同年12月8日には米山香織、仲村由佳との巴戦を制しJWPジュニア王座を獲得。 2002年にかねてより痛めていた頸椎が限界に達し引退を決意。6月16日の東京キネマ倶楽部大会で同期の春山香代子とエキシビションマッチを行った。 JWPの前にもNEOで6月8日北沢タウンホール大会にて「お別れセレモニー」を行ったが、2か月前の北斗晶引退セレモニーのパロディを行い、これまでのコスチューム(市川狐火名、吉備団子を含む)を展示するというNEO側の計らいにより本人は勿論の事、マシンガンズや仲村等も感極って泣き出してしまうという感動的なセレモニーとなった。 2005年にNEO殿堂入りする。他団体所属では2010年に殿堂入りした元JWPの先輩であった日向あずみと2人のみである。
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経歴・戦歴
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1998年8月16日、ネオ・レディース後楽園ホール大会の対下田美馬戦でデビュー。ネオ・レディース初の生え抜き選手として、またアイドルレスラー候補として、ネオ・レディース時代からNEO女子プロレス初期においては、リングアナの石田亜矢子とのペアで何度もファンイベントを開催していた。またルックスも良く週刊誌のグラビアに水着姿等が掲載された事もあり、バラエティー番組にも美少女プロレスラーとして他の選手と出演した事もある。 2000年1月6日にネオ・レディースは崩壊、5月31日にNEO女子プロレスとして再出発するが、その旗揚げ戦で初めてダンスを披露した。 2003年7月から開催された「ミッドサマー・タッグトーナメント」においては下田との「心の師弟タッグ」で臨み、8月3日の決勝で優勝候補大本命のNEOマシンガンズと対戦、仲村が宮崎有妃からフォールを奪い優勝。その後8月23日のメインで田村欣子との一騎討ちが組まれたが、その試合で左肘を脱臼した。 こうしてトップグループ入りのチャンスを逃した仲村は以後、前座戦線で活躍するが、2005年10月16日の対椎名由香戦後、7ヶ月に渡って試合を欠場する。 2006年5月5日の後楽園ホール大会で復帰戦を行うも、試合後に引退を表明。7月17日の後楽園ホール大会で師匠である下田美馬相手に引退試合を行い、得意技ロマンティック・クラッチで下田をフォールし有終の美を飾った。 2012年8月5日、ワールド女子プロレス・ディアナラゾーナ川崎プラザソル大会に来場し、下田美馬25周年セレモニーで6年ぶりにリングに上がった。 現在は近況をツイッターで更新している。
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1995年 I.W.A.JAPANでデビュー。 1997年、先輩である元川恵美とともに経営難による大量離脱で選手不足に悩む全日本女子プロレスへIWAジャパン在籍のまま参戦、ツアーにも同行する。 12月12日、中西百重と全日本シングル王座を争うが、敗れて王座獲得ならず。 1999年9月26日、後楽園ホールで引退セレモニー。
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昭和53年組として全日本女子プロレスに入団。同期にはデビル雅美、ジャンボ堀らがいる。 1978年6月2日デビュー。 新人時代にはチノ・サトーのリングネームでミミ萩原と「ラブリー・ペア」を結成。1978年10月から開催された8チーム参加のタッグリーグでは、三代目ブラック・ペア(池下ユミ&マミ熊野)からリングアウト勝ちを奪う番狂わせを演じている。 1980年に20歳以下を対象とした全日本ジュニア王座が創設されると、1月4日に初代王座を横田利美と争うが、残り2分を切ったところで押さえ込まれ惜しくも敗戦。 腰と首を痛め、1981年2月25日、横浜文化体育館で引退。セレモニーでは先輩レスラー全員とのエキシビションを敢行した。 現役時代より試合がないときには全日本女子プロレス中継でのリポーターを務め、引退後も解説者となった。 1984年には女優として日活ロマンポルノに出演した。 1980年7月26日放送の「8時だヨ!全員集合」にミミ萩原、赤城マリ子、トミー青山と共に「女子プロレスコント」にゲスト出演している。
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経歴・戦歴
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2009年 9月20日、NEO女子プロレス・後楽園ホールにおけるタニー・マウス戦でデビュー。 2010年 5月5日、NEO女子プロレス退団。 12月12日、フリーランスとしてKAIENTAI DOJO博多スターレーン大会(天下三分の計)で山縣優&バンビ組相手に再デビュー戦を行った(パートナーは大石真翔)。 12月31日、NEO最終興行終了後、これを最後に引退する田村欣子、タニー・マウス、宮崎有妃へ復帰を報告。 2011年 2月11日、K-DOJO・アイスリボン合同興行「K-RIBBON」参戦。バンビと組み、志田光&藤本つかさ組(マッスルビーナス)と対戦。志田のブレーンバスターで敗戦後、アイスリボン参戦を希望。 3月6日、ユニオンプロレス初参戦。チェリーに片エビ固めで敗れる。 3月9日、アイスリボン単独興行初参戦。 3月19日、アイスリボン道場マッチで飯田美花と「NEOゲノム」タッグを組む。 4月2日、REINA女子プロレス団体旗揚げに参加。 6月12日、REINA入団後初の他団体となるスーパーFMWに参戦。雫あき(現:雫有希)から首固めでピンフォールを奪う。 2012年 REINA退団。上林愛貴、ミア・イム、K-DOJOの梶トマト、ヒロ・トウナイと「世界プロレス協会」を結成。REINAからプロモーション化されたREINA×WORLDを主戦場として国内外を転戦する。 6月2日、退団後初の試合としてアイスリボン道場マッチ参戦。 6月9日、REINA×WORLD新宿大会で左鎖骨を骨折。長期欠場に入る。 10月19日、団体化されたREINA×WORLD所属となる。 2013年 REINA×WORLDのプロモーション化により、再びフリーランスに。世界プロレス協会の一員としてK-DOJOを主戦場とする。 12月31日、団体化された世界プロレス協会の旗上げ戦に出場。旧姓・広田さくらとインディアン・ムッド・デスマッチ(泥レス)で対戦する。 2014年 2月16日、世界プロレス協会旗上げ第2戦に出場。神田愛実と対戦し、フィッシャーマンズ・スープレックスで勝利。 4月20日、世界プロレス協会旗上げ第3戦に出場。初日の出仮面と対戦し、シャニングハイキックで勝利。 6月15日、世界プロレス協会旗上げ第4戦に出場。AKUBIと対戦し、フットSTAMP細胞で敗れる。 9月27日、K-DOJO「CLUB-K TOURE in KITAKAMI~復興支援チャリティー大会北上プロレス祭り~」に参戦。「北上女子選手権王座決定戦」でバンビと対戦し、チョークスラムからの体固めで敗れ、初代王座戴冠ならず。 12月27日、世界プロレス協会旗上げ1周年記念~FMW25th anthology~に出場。上林愛貴と「Mr.デンジャープロデュース バラ・イバラデスマッチ」で対戦し逆片エビ固めオン・ザ・バラ、イバラで敗れる。 2015年 1月25日、ユニオンプロレス「雪ニモマケズユニオン2015」に参戦。紫雷美央の持つユニオン認定Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップに挑戦し、エグ蹴りからの片エビ固めで敗れ、タイトル奪取ならず。 1月28日、アイスリボン道場マッチに参戦。藤田あかねと対戦し、ビスケットスターで勝利。
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1996年9月16日、東京八王子マルチパーパスプラザにおいて、対中西百重戦でデビュー。デビュー当初は体格にも技量にも恵まれず、「女子プロレス史上最弱」の異名で呼ばれるほどだった。新人当時は堀田祐美子の付き人をしていた。 2003年5月13日、神奈川横浜アリーナにおいて、エリカ・モントーヤと異種格闘技戦を行うも三角絞めで一本負け。その1時間後、スキンヘッドに剃り上げた頭にさそりのペイントを施して「サソリ」として再登場、ヒールターンを果たし、ダンプ松本が再結成した新生極悪同盟のメンバーとなり師匠のダンプからは引退後もたいへん可愛がられている。 2004年にはボクシングにも挑戦し、デビュー戦で勝利を挙げるが、日本ミニフライ級トーナメントでは1回戦敗退。 2008年5月6日、後楽園ホールで行われたマッスルハウス6に登場。今年一番運気の良いレスラーに選ばれ、飯伏幸太からIMGP王座を奪取。同興行中にマッスル坂井、男色ディーノとの3WAYによるタイトルマッチで初防衛にも成功した。なお、マッスル名物のスローモーション中の独白では自らを「ガチ☆ガール」と称していた。 2009年4月29日の極悪同盟興行を最後に引退。現役時代は上記の様に決して強くはなかったが、元気で明るい性格で全女の仲間から好かれていたために引退セレモニーにはダンプや堀田など多くの先輩、同期、後輩レスラーが駆け付け、約13年間に及ぶ現役生活にピリオドを打った。2016年1月の亜利弥’の自主興行でダンプのセコンドに登場して久しぶりに公の場に登場した。 2016年より、出身の三重県内のスポーツクリニックにて、スポーツマッサージやトレーニング指導の仕事を行っている。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 04:17 UTC 版)
2009年 12月31日、NEO女子プロレス・後楽園ホールにおける勇気彩戦でデビュー。 2010年 5月5日、NEO女子プロレス退団。 2011年 4月2日、同期で一足先に復帰していた石橋葵とともにREINA女子プロレスに参加。 5月8日、REINA新宿FACE大会で復帰。植松寿絵と対戦。 6月16日、以前より右膝が思わしくないため退団。当日のブログで引退を表明。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 10:03 UTC 版)
1995年1月13日、千葉公園体育館において、対小林智美戦でデビュー。同期にはその小林の他、久住智子(現・日向あずみ)、宮口知子(現・輝優優)、天野理恵子(現・カルロス天野)、倉垣靖子(現・倉垣翼)、宮崎有妃がいる。アイドルレスラーとしてJWPの顔的存在となり活躍するが、両膝の負傷などから2001年7月29日ディファ有明における対日向あずみ、倉垣翼、カルロス天野戦(パートナーは輝優優、宮崎有妃)戦をもって引退。6年半の現役生活を終えた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/02 21:28 UTC 版)
1996年7月30日、東京・後楽園ホールにおいて、15歳の時に対阿部幸江戦でデビューする。このデビュー戦当時、肋骨を骨折していたという。 2000年8月3日、後楽園ホールの対ザ・ブラディー戦を最後に引退。4年間の現役生活にピリオドを打った。 現役時代は工藤めぐみに憧れており、レディースゴング誌上で対談した事もある。 1999年9月5日、東京・後楽園ホール大会にてシャーク土屋を相手に有刺鉄線デスマッチで対戦した事もあった。 2013年3月4日に戸野広浩司記念劇場(現在は劇場自体の老朽化で取り壊された為、現存しない。また新たな場所での再開もしていない)で行なわれたjd&JDトークショーに参加し、久々に公の場に登場する。場内の観客からは「現役時と変わってない」という声があがっていた。 現在は阿部幸江オフィシャルブログ内で、小杉の近況の姿が時折紹介されている。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 22:39 UTC 版)
中学までは柔道、高校でレスリングに転向。1988年の第2回全日本女子選手権70kg級で3位に入る。 1990年 1月17日、熊本・小国ドームにおいて、対里美和戦でデビュー。 2002年 2月3日、スマックガールで総合格闘技デビュー。 2006年 4月16日、引退。6月10日、沖縄県に移住。 2009年 5月31日、沖縄プロレスにて渡辺智子と共に1日限定復帰。 2010年-2014年 故郷の大阪府門真市に移住。一般人として働きつつ、関西で行われるインディープロレス興行に不定期に参戦している。 2013年3月4日に戸野広浩司記念劇場で行なわれたJd&JDトークショーに参加した。現在は介護職に就いているとの事。 2015年- 5月17日、参戦したガッツワールド大阪大会にて、所属選手になった事を報告。
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経歴・戦歴
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1985年 7月25日、神奈川・大和車体工業体育館において、岡林理恵と組み、対コンドル斎藤、永堀一恵戦でデビュー。 8月27日、シングルマッチで神崎文枝に敗れる。 9月22日、モニカ・カスティーリョ、コンドル斉藤と組み、永友香奈子、西脇充子、中島小百合と対戦する。この試合から極悪同盟に加入。 9月26日、コンドル斉藤、仲前芽久美、岩本久美子と組み、小倉由美、小松美加、永友香奈子、西脇充子と対戦する。 9月28日、コンドル斉藤、仲前芽久美と組み、小松美加、永友香奈子、西脇充子と対戦する。 10月2日、モニカ・カスティーリョ、コンドル斉藤、仲前芽久美と組み、永友香奈子、永堀一恵、西脇充子、堀田祐美子と対戦する。 10月4日、シングルマッチで堀田祐美子に敗れる。 10月7日、小倉由美、仲前芽久美と組み、永堀一恵、西脇充子、宇野久子と対戦する。 10月11日、仲前芽久美、岩本久美子と組み、西脇充子、宇野久子、中島小百合と対戦する。 10月25日、コンドル斉藤、仲前芽久美と組み、永友香奈子、永堀一恵、西脇充子と対戦する。 10月27日、新人王トーナメントの1回戦で中島小百合に勝つ。 10月31日、シングルマッチで浅生恭子に勝つ。 11月2日、シングルマッチで堀田祐美子に敗れる。 11月6日、シングルマッチで堀田祐美子に敗れる。 11月10日、新人王トーナメントの2回戦で石黒泰子に勝つ。 11月17日、シングルマッチで神崎文枝に勝つ。 11月19日、シングルマッチで宇野久子に敗れる。 11月20日、シングルマッチで堀田祐美子に敗れる。 11月21日、コンドル斉藤、仲前芽久美と組み、小倉由美、永友香奈子、永堀一恵と対戦する。 11月23日、シングルマッチで浅生恭子に敗れる。 11月25日、コンドル斉藤、仲前芽久美と組み、小倉由美、永友香奈子、永堀一恵と対戦する。 12月2日、イルマ・ゴンザレス、仲前芽久美と組み、小倉由美、小松美加、永友香奈子と対戦し、小松美加にフォールを奪われ敗戦。 12月4日、新人王トーナメントの準決勝で西脇充子に勝つ。 12月6日、シングルマッチで中島小百合に勝つ。 12月8日、シングルマッチで中島小百合に勝つ。 12月9日、シングルマッチで鈴木美香に勝つ。 12月10日、イルマ・ゴンザレス、コンドル斉藤と組み、永友香奈子、永堀一恵、西脇充子と対戦する。 12月12日、新人王トーナメントの決勝で宇野久子(北斗晶)に勝ち、新人王に輝く。 1986年 1月4日、ジーン・カークランドと組み、山崎五紀、立野記代と対戦し、山崎五紀にフォールを奪われ敗戦。 1月5日、岩本久美子と組み、宇野久子、西脇充子と対戦する。 1月6日、影かほると組み、宇野久子、西脇充子と対戦し、西脇充子にフォールを奪われ敗戦。 1月7日、ペニー・ミッチェルと組み、小倉由美、小松美加と対戦し、両軍リングアウトでドロー。 1月8日、ジーン・カークランド、影かほると組み、永堀一恵、西脇充子、鈴木美香と対戦する。 1月9日、ジーン・カークランド、影かほると組み、永堀一恵、宇野久子、西脇充子と対戦する。 1月10日、シングルマッチで鈴木美香に勝つ。 1月11日、仲前芽久美と組み、宇野久子、西脇充子と対戦し、西脇充子からフォールを奪い自軍を勝利に導く。 1月13日、コンドル斉藤と組み、デビル雅美、大森ゆかりと対戦し、デビル雅美にフォールを奪われ敗戦。 1月14日、影かほると組み、鈴木美香、中島小百合と対戦し、中島小百合からフォールを奪い自軍を勝利に導く。 1月15日、シングルマッチで石黒泰子に勝つ。 1月17日、シングルマッチで石黒泰子に敗れる。 1月20日、全日本タッグ選手権初代王座決定リーグ戦で仲前芽久美と組み、ブル中野、コンドル斉藤と対戦。初めて極悪同盟の同門対決を経験する。結果は仲前芽久美がブル中野に敗れ、敗戦。 1月21日、タッグマッチで影かほると組み、宇野久子、西脇充子と対戦する。 1月23日、タッグマッチでジーン・カークランドと組み、小倉由美、永友香奈子と対戦し、永友香奈子にフォールを奪われ敗戦。 1月24日、6人タッグながら初めてメインに出場し、ダンプ松本、ブル中野と組み、ライオネス飛鳥、山崎五紀、立野記代と対戦する。 1月25日、三重・名張市総合体育館にてジーン・カークランド、影かほると組み、小倉由美、永友香奈子、宇野久子と対戦する。この試合で左膝を負傷し、翌日以降の試合を欠場し、復帰はせずにそのまま廃業となった。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 14:36 UTC 版)
1985年 7月5日、栃木・足利市民体育館において、対堀田祐美子戦でデビュー。 12月25日、クラッシュギャルズ主演のミュージカル「ダイナマイト・キッド」に出演する(12月30日まで)。 1987年 2月26日、空位になっていた全日本ジュニア王座の争奪トーナメントの決勝が行われ工藤めぐみを破り王座を奪取。 4月15日、全日本ジュニア王座の初防衛戦が行われ鈴木美香を相手に初防衛に成功。 8月20日、全日本ジュニア王座の防衛戦が行われ宍戸江利花を相手に2度目の防衛に成功。 10月11日、全日本ジュニア王座を返上。 11月12日、地元である埼玉・戸田市スポーツセンターにて同期の中島小百合と共に引退。 自宅が美容室であり、引退後は美容師になろうと考えていたが、詳細は不明。引退直後は実家の経営する喫茶店を手伝ったり、一方でタレントを目指している姿が雑誌に取り上げられていた。 北斗晶オフィシャルブログ2010年10月25日付のブログタイトル「情話求む!」の記事中には浅生の名前が掲載されており、現在消息不明とのこと。北斗はその他の浅生以外の現在消息不明の同期だった元選手の石黒泰子、岡林理恵、中島小百合らの情報提供を自身のブログ上で呼びかけている。 その後、石黒とは再会を果たしているものの、浅生に関しては消息がつかめていない模様である。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 14:35 UTC 版)
1985年 6月14日、北海道・函館市民体育館において、対中島小百合戦でデビュー。 10月26日、新人王トーナメントの1回戦で岡林理恵に勝つ。 11月8日、新人王トーナメントの2回戦で西脇充子に敗れる。 1986年 12月7日、埼玉・寄居町民体育館で行われたチーム対抗公式リーグ戦での試合を最後にレスラーとしては廃業となる。 1987年 1月3日、全日本女子プロレスの恒例行事となっていた新年マラソン大会に出場(順位は参加27人中12位)。これが事実上、最後の仕事となった。また、翌月から約1年間全日本女子プロレスが運営するアスレチック・クラブにてインストラクターとして後進の指導に当たっていた。 堀田祐美子オフィシャルブログ 2013年7月18日付では写真付で神崎本人が登場している。また堀田は神崎について 「今は酒友達であり、大親友。酒の強さには勝てません。同期は最高」 と記載している。また2013年8月6日付の同ブログには神崎の誕生日を祝う模様 (実際の誕生日は8月4日である)が掲載されており、現在でも時々堀田のブログ内に登場する事もある。 ブル中野オフィシャルブログ2014年1月19日付の方にも、中野が経営している飲食店に来店した時の様子が写真付で掲載されている。ブログ記事によると神崎とは現役時代によく遊んでいた親友同士であったという。 2014年 10月11日の両国国技館で開催された神取忍生誕50年ミスター半世紀イベントでダンプ松本の試合入場時には極悪同盟の一員としてブル中野、千春、影かほる、ZAP-Tの4人と久々に公の前に登場した。
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経歴・戦歴
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全日本女子プロレスに平成7年組として入団。同期に納見佳容。 1995年10月4日、後楽園ホールでの納見佳容戦でデビューし勝利。ルックスの良さから納見とともに全女ファンから支持された。 同年の新人王決定戦でも納見に勝利。この試合は新人王戦の中でも屈指の好勝負として語り継がれる程であった。 1996年2月12日、田村欣子が持つ全日本ジュニア王座に挑戦するも奪取ならず。 1996年3月31日の横浜アリーナ大会を前に深夜に納見とともに2人で脱走する。納見は後に戻って来て現役復帰するが、最上は戻らずそのまま引退する形になった。 引退に至った経緯は「練習の厳しさには耐えれても、いじめには耐える必要性はないから」と語っている。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/30 13:56 UTC 版)
2004年 10月3日、NEO女子プロレス・板橋グリーンホール大会において、対市井舞戦でデビュー。いきなりダイビング・セントーンでフォール勝ちを奪う。 12月24日のNEO・板橋グリーンホール大会の対さくらえみ戦を最後に長期欠場に入る。 2005年 3月末を以て我闘姑娘を退団、引退。
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経歴・戦歴
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1996年 2月 全日本女子プロレスに「平成8年組」として入門。 7月28日、東京・後楽園ホールにおいて、対川本八千代戦でデビュー。 1997年 次世代の若手プロレスラー5人が出演したビデオ「Ore」が東芝EMIより発売(他の出演者は本谷香名子(JWP)、小杉夕子(Jd')、池田陽子(FMW)、千春(SPWF))。 1998年 3月13日に納見佳容とのコンビで中西百重&高橋奈苗組から全日本タッグ王座を獲得。以後、納見との「ミホカヨ」コンビで通算3度同王座を獲得。 「ジャパン・グランプリ'98」のジュニアリーグ戦で中西、元川恵美との巴戦を制し優勝(8月8日、後楽園ホール)。 12月18日にポニーキャニオンよりイメージビデオ「MAHALO」をリリース。 1999年 豊田真奈美とのコンビで「タッグリーグ・ザ・ベスト'99」優勝(12月26日、後楽園ホール)。 2000年 9月17日、高橋を破り全日本シングル選手権を獲得。 2001年 12月16日、川崎市体育館の対納見佳容戦で引退。その後しばらくのアルバイト生活の後、故郷へ帰郷。 2008年 4月からワタナベコメディスクール8期生として入学しお笑い芸人を志す。そのきっかけは、テレビで視た青木さやかに「会いたい」と思ったことだったという。『ミホカヨ』の芸名で、最初はピン芸人としてデビューを目指したが、キングオブコント出場のために同期生の吉川崇とのお笑いコンビ『吉川☆ミホカヨ』のボケ担当で、芸名は『ミホカヨ』を結成、M-1グランプリの予選にも出場。なお『ミホカヨ』の名前の使用に関しては、かつてのパートナーだった納見に快諾してもらったという。その一方で、12月28日の伊藤道場・新宿FACE大会で伊藤薫相手にプロレス復帰戦を行う。リングネームは芸名と同じ『ミホカヨ』。以後、単発ではあるが伊藤道場の興行で試合に出場している。 2009年 4月6日、ワタナベエンターテインメント二次審査に合格し、『吉川☆ミホカヨ』のコンビとしてワタナベエンターテインメント所属となる(2010年まで)。 2011年 6月3日、現役復帰を目指し高橋が率いるスターダムに入団。足の怪我もあり遅れたが、高橋奈苗を相手に12月25日復帰戦。 12月25日、新木場1stRING大会で復帰戦を行い、高橋奈苗相手に善戦したが冷蔵庫爆弾→エビ固めで敗れた。 2012年 2月26日、新木場大会で愛川ゆず季が持つワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦したが敗れた。 4月22日、新木場大会で行われた第1回ユニット対抗トーナメントで奈苗軍団(脇澤、高橋奈苗、はるか悠梨)が優勝。 5月27日、北海道・札幌テイセンホール大会で愛川ゆず季&美闘陽子組が持つゴッデス・オブ・スターダム王座に挑戦したが敗れた(パートナーは高橋奈苗)。 9月22日、豊田真奈美25周年記念興行で豊田とシングル。試合後に翌年4月29日のスターダム両国大会で再戦が決まった。 2013年 2月10日、大阪・ナスキーホール・梅田大会で夏樹☆たいよう&世IV虎組が持つゴッデス・オブ・スターダム王座に挑戦したが敗れた(パートナーは高橋奈苗)。 4月13日、我闘雲舞初参戦。板橋グリーンホール大会でさくらえみと対戦して引き分けた。 4月29日、両国大会で「全女黄金伝説両国光臨2013」と冠して、豊田真奈美と対戦して勝利。尚、この試合のリングアナウンサーは今井良晴(元全日本女子プロレスリングアナウンサー)が務めた。 5月21日 芸人活動を再開。よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、吉川とのコンビ名も「カイドキッ」に改名。 7月15日、大阪・ナスキーホール・梅田大会で、第5代ゴッデス・オブ・スターダム王座決定トーナメントを制し王座に就く。(パートナーは高橋奈苗、決定戦の相手は夏樹☆たいよう&世IV虎) 2014年 8月より、かねてからの首の不調から欠場。 11月3日、岩谷麻優の持つワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦し敗北試合後首に限界が来たと言うため引退を発表。 12月23日、後楽園ホールで引退試合を行い豊田真奈美とDRAGON GATEの堀口元気H.A.Gee.Mee!!とタッグを結成。試合は岩谷のドラゴンスープレックスで敗れてしまい、2度目の現役引退。プロレス引退後は芸人のほかにブル中野の経営するBAR中野のぶるちゃんでも働いている。 2016年 2月11日、2008年の結成以来続けていたお笑いコンビの「カイドキッ」を解散、芸人としても引退した。 3月14日、一般男性と結婚し、主婦になる。 2021年3月3日に行われた「スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~」日本武道館大会ではオールスター・ランブルに出場。プロレスに一時復帰した。
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経歴・戦歴
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「ミクロ (プロレスラー)」の記事における「経歴・戦歴」の解説
2008年 9月11日、上京。さくらえみの家に転がりこむ。アイスリボンを選んだ理由は、「実話ナックルズ」に掲載された、真琴のインタビューを見て知った初めてのプロレス団体。 10月18日、新木場1stRING大会、対植田ゆう希戦でデビュー。リングネームは「都宮ちい」。 2009年 1月18日、対田村欣子&植田ゆう希戦で初勝利(パートナーは、牧場みのり)。なお、この試合は、植田ゆう希にとってのラストマッチであった。 3月22日、タニー・マウスを奇襲し、アイアンマンヘビーメタル級王座を奪取。第774代王者となり、自身初タイトルを獲得。 10月23日、さくらえみの持つICE×60王座に初挑戦。善戦するもおよばず。試合後に、「もっと練習して強くなる」と号泣。 11月14日、りほとタッグチーム「ミニチュアダックス」を結成。 2010年 1月23日、りほと松本都の抗争に巻き込まれ、団体初のハードコアマッチ(ハードコアリボン、vs高橋奈苗&松本都)を行う。 7月19日、板橋グリーンホール大会、コマンド・ボリショイと組み、葛西純&松本都の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦したが、敗戦し、王座獲得に失敗。この試合の前哨戦では、特殊ルールながら葛西からピンフォールを奪っている。 8月7日、板橋大会、パートナーを木高イサミに変更しタッグ王座に再挑戦し勝利。第11代王座となる。 9月23日、後楽園ホール大会(リボンの騎士たち)、GENTARO・市井舞組とタッグ王座防衛戦を戦うが敗戦し、防衛に失敗。 10月11日、「プロレス五稜郭」札幌テイセンホールにて5団体対抗5WAYラダーマッチにアイスリボン代表として出場。 10月30日、アイスリボン道場マッチにてコマンド・ボリショイの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。 12月24日、SMASH「ハプニングEve'」新宿FACE大会にてSMASH初参戦。KUSHIDA・みなみ飛香と組み、木高イサミ・児玉ユースケ・真琴組と対戦。真琴のダブルアーム・スープレックスホールドで敗戦。 12月31日、後楽園ホールでの年越しプロレス、34団体によるシンボル持ち込みランブルにアイスリボン代表として出場。 2011年 1月4日、新木場1stRING大会(新春リボン)、アーマーモデリング誌・マッドマックス誌とアイスリボン初の個人スポンサード契約を結び、同誌のロゴ入り新コスチュームとガウン姿で登場。宮本裕向と組み、中澤マイケル・松本都に勝利。 1月5日、TRUTHアイスリボン道場大会にて、TRUTHジュニア公開オーディション試合に出場し勝利。合格するも「新コスチュームを披露したかっただけ。TRUTHジュニアには興味ない」と吐き捨てて去る。 2月23日、アイスリボン道場マッチにて藤本つかさの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。 3月2日、アイスリボン道場マッチにて藤本つかさの持つトライアングルリボン王座に挑戦。Rayのフォールと藤本の足4の字固めを同時に受け敗退するも、勝者が2人となったため規定により藤本からのベルト剥奪には成功する。 5月5日、後楽園ホール大会にてセンダイガールズプロレスリング・花月の持つJWPジュニア二冠に挑戦するも敗退。 5月13日、19時女子プロレスにてつくしの持つIW19王座に挑戦するも敗退。 6月1日、19時女子プロレス旗揚げ1周年記念大会にてみなみ飛香の持つIW19王座に挑戦し、ジャングルクラッチで勝利。第3代王者となる。次期挑戦者に真琴を指名し、タイトル戦までのアイスリボンと19時女子、全9大会で真琴とのシングルを組むよう要求。 6月8日、真琴が首の負傷による欠場のため、相手が志田光に変更。 6月19日、ガッツワールドプロレスリング茂木町民センター別館大会「チャリティープロレスinもてぎ2011」のアイスリボン提供試合にて志田光とシングルで戦い、ウラカン・ラナで勝利。栃木凱旋を果たす。 6月24日、19時女子プロレスにて志田光を相手にIW19王座防衛戦を戦い、ジャングルクラッチで勝利。初防衛に成功すると共に、志田とのシングル9連戦を5勝4敗で終える。試合後、改めて真琴を次期挑戦者に指名。 7月22日、19時女子プロレスにて真琴を相手にIW19王座防衛戦を戦い、19分引き分けで防衛に成功。しかし試合後、前哨戦で連敗していた上に防衛戦で勝ちきれなかったことを理由にタイトルを返上した。 8月26日、28日の道場マッチを最後にアイスリボン退団とリングネーム「ミクロ」への改名が発表された。 8月30日、矢野啓太率いるプロフェッショナルレスリング・ワラビーへの入団が発表された。 2012年 1月15日、OSAKA女子プロレスにて、下野佐和子が持つJWP認定ジュニア王座&POP王座に挑戦し敗退。 4月20日、4月16日に行われたワラビートークショーにおいて、プロモーターである二見社長に対し不適切な発言があり、それについて謝罪などを行うよう要請したが、反省や謝罪の意思が見られず、さらに謝罪会見も欠席したため同日付で解雇された。 6月17日、JWP女子プロレス東京キネマ倶楽部大会でラビット美兎の持つJWP認定ジュニア王座&POP王座に挑戦するも敗退。 10月25日、デビュー4周年イベントを開催。ゲストに忍、ばってん多摩川らが参加。 10月28日、REINA×WORLD国内旗揚げ戦にて、ミクロ名義でエキシビジョンマッチで羽柴まゆみと対戦して引き分け。ミニ・トマトとして上林と組んでミア・イム&アレックス・リー組と対戦して勝利。 2013年 12月31日、世界プロレス協会旗揚げ、AKUBI名義で試合。 2014年 世界プロレス協会を退団。以降、ガッツワールドを中心に活動。 2015年 9月、休業を発表 2016年 5月8日、ガッツワールド後楽園ホール大会にて復帰。 2017年 8月19日のガッツワールド新宿三丁目末広通り商店街プロレスを最後に欠場。 11月25日、Twitterにて「プロレスのことは2度と呟かないのでプロレス関係目当ての方はフォロー外してください」とツイートし、公式な引退発表はしてないがプロレスラー活動はリタイアした。
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経歴・戦歴
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2008年 5月11日 東京・市ヶ谷アイスボックスにおいて、対しもうま和美戦でデビュー。 8月23日、アイスリボン新木場1stRING大会にて志田光のデビュー戦の相手を務める。この試合中に眼窩底を骨折、以降3ヶ月の欠場。 11月15日、アイスリボン新木場1stRING大会の藤本つかさ戦にて復帰。 2010年 1月4日 アイスリボン新木場1stRING大会にて松本浩代をパートナーに迎え、インターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦し勝利。初タイトルを獲得。 8月11日 北都プロレス岩見沢大会に凱旋出場。 10月10日 アイスリボン札幌テイセンホール大会「札幌リボン」にて、帯広さやかとの道産子タッグでさくらえみ・高橋奈苗のインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するも敗退。 12月12日、JWP東京キネマ倶楽部大会にて、コマンド・ボリショイの持つICE×60王座に挑戦するも敗退。 12月18日、アイスリボン道場大会にて、引退を控えた宮崎有妃と対戦し敗北するも、試合後にコスチュームを譲り受け号泣。 2011年 6月1日、アイスリボン272・イサミレッスル武闘館にて、さくらえみ&Rayが持つインターナショナル・リボンタッグ王座選手権に挑戦し、勝利(パートナーは宮城もち)。 8月6日、アイスリボン312・道場大会にて、趙雲子龍&大石真翔に奪われていたインターナショナル・リボンタッグ王座の奪回に成功(パートナーは宮城もち)。この試合は北海道から娘が観覧に来ており、娘の目の前でのベルト戴冠となった。 2012年 19時女子プロレスにて開催された「第4回 19 O'clock girls tournament」で優勝。 10月19日、19時女子プロレスにてインターネットシングル王座の第9代王者となる(シングル王座は初戴冠)。 12月31日、アイスリボン後楽園大会で堀田祐美子と一騎討ちを行い、時間切れ引き分け。 2013年 前年のシングルマッチを機に「堀田暴走軍」に加入、ディアナに定期参戦。 5月11日、アイスリボン道場にて「星ハム子五周年記念大会」を開催。ヘイリー・ヘイトレッドとの初のシングルマッチに挑むも敗北。 11月26日、「幸せ!ボンビーガール」に出演。 2014年 10月11日、星ハム子生誕祭でGENTAROと対戦しGENTAROのバックドロップに敗れる。 2015年 12月31日、希月あおいの持つICE×∞王座に挑戦し勝利。第21代王者となる。同王座を戴冠するのは初。 2019年 1月5日、娘、星いぶきと対戦し勝利。
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経歴・戦歴
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1989年 10月6日、愛知県名古屋市・露橋スポーツセンターにおいて、対ウィッチ・ウォリアー戦でデビュー。デビュー戦のパートナーは松田久美子、土屋恵理子。 1990年 8月4日、レールシティ汐留において、マグニフィセント・ミミが持つ全欧選手権に挑戦するが敗れる。 1997年 12月、後楽園ホールにて引退。 1998年 4月、国際福音神学校に入学。 2001年 3月、同校卒業。 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(プロテスタント系)草加神召キリスト教会にて伝道師として仕えている。
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経歴・戦歴
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アイドルレスラーであり、「女子プロレス界の聖子ちゃん」と呼ばれていた。同期の山崎五紀とのタッグチームジャンピング・ボム・エンジェルスでWWF(現:WWE)にも参戦。WWFではメインも務めた。 1981年、全日本女子プロレス入団。デビュー戦は同年7月12日、地元足利市民体育館興行での対坂本一恵戦である。同年の新人王決定トーナメントでは準優勝。一年先輩のライオネス飛鳥やダンプ松本とは入団当時から全女の寮でルームメイトで特に仲が良かったと語っており、寮を出てからも暫くは3人で共同生活をするほどの仲良しだったという。ダンプやレスラー仲間からは『記さん』と呼ばれており、ダンプとは現在も仲良しで彼女のブログにもよく登場する。 1982年8月10日、福島市体育館で長与千種の保持する全日本ジュニア王座に挑戦。大方の予想を覆し、強引な押さえ込みでベルトを奪取した。フジテレビの担当ディレクターは「お前には無理。勝ったら10万円やる」とうそぶいてしまったため、本当に10万円を立野に贈呈したという逸話も残っている。以降順調に4度の防衛を重ねたが、1984年正月、数年前のトラウマの払拭に臨んだ長与のハーフハッチの前に陥落。王座を明け渡した。長与はその場で王座を返上している。 1986年1月、長与千種の膝負傷で返上となったクラッシュギャルズのWWWA世界タッグ王座を、山崎五紀とのコンビでブル中野、コンドル斉藤と争い、新王者に。WWWA世界タッグ王座は、復活したクラッシュギャルズにすぐ奪い返されたが、引き続きクラッシュの有力な対抗馬として、会社側からのプッシュを受ける。 3月にはチーム名を“JBエンジェルス”と正式決定し、CBSソニーよりレコードデビュー。「CHANCE×3」、「青春のエンブレム」、「星屑のダンス天国」の3枚のシングルと、アルバム「ファーストフライト」をリリース。TBSのちょっとHな学園ドラマ「夏・体験物語2」にレギュラー出演した。また個人で、週刊プレイボーイ誌のグラビアにも起用されたこともある。 1991年に一旦引退し、全女のビデオ解説や、全女が経営していたカラオケボックスの店長をしていたが、1992年のLLPW旗揚げに参加とともに現役復帰。 2010年7月に、所属していたLLPWを『会社として機能していない』という理由で退団した。さらに病を患ったことを理由に10月に行われる自主興行で引退することが発表された。 2010年10月10日、新宿FACEにてプロレスリングWAVE協力の下「立野記代30周年&現役引退興行 〜ファイナルネックブリーカー〜」開催。メインイベントでLLPW時代の同僚GAMIと組み、同じくLLPW時代の同僚ハーレー斉藤、GAMIの愛弟子で立野同様北米でも活躍している栗原あゆみとタッグマッチを行った。試合は立野が栗原のリストクラッチ式の変形裏投げにより3カウントを取られた。 引退後は現役時代より親友のハーレー斉藤と共同経営していたバーの仕事に専念していたが、ハーレーが逝去後には一人で切り盛りしている。
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経歴・戦歴
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2005年 2005年にBBdoll所属の女子総合格闘家としてプロデビューを目指す一方で、伊藤薫プロレス教室に通いプロレスの練習も並行して行う。10月15日にはスマックガールのアマチュアマッチに出場するが、以後はBBdollを離れプロレスに専念(その後BBdollは翌年3月に解散)。 2006年 7月16日、東京・新宿FACEの「息吹」第8回興行で、松本浩代相手に本名でプロレスデビュー。 2009年 2月4日、新宿FACEで行われたJEWELS 2nd RINGで3年半ぶりに総合格闘技に参戦、メインイベントで石岡沙織と対戦するも1ラウンドTKO負けを喫した。 2010年 10月17日、森居知子とともに伊藤道場を退団。 2011年 森居とともに元JWP統括部長が代表を務める時津事務所と契約。リングネームを母方の姓から取って「中森華子」に改めフリーランスとしてJWPにレギュラー参戦。森居とのタッグで「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2011」にも参戦している。一方、総合格闘家としては藪下めぐみらを擁するFIGHT CHIXと契約。 3月6日、森居とともにJWP正式入団が発表される。同時にLeon主宰「獅子の穴」にも加わる。 7月9日、JEWELS 15th RINGにおいてキックルールで千佳子WSRと対戦。JWP移籍後初の格闘技戦となるも敗戦。 10月20日、Leon、大畠美咲と「ラブドライト」を結成。 2012年 1月4日、プロレスリングWAVE新宿大会で大畠美咲より「ブラック・ダリア」に勧誘され、Leonの静止を振り切って加入。 「JWPタッグリーグ・ザ・ベスト2012」に大畠美咲との「ラブドライト」で出場。4月8日東京キネマ大会での決勝まで進むが、植松☆輝に敗れる。 7月16日、我闘雲舞初参戦。我闘雲舞の日本興行「Gatoh-meet•3」で、勝愛実と組んでさくらえみ&米山香織組と対戦。 8月12日、「獅子の穴」卒業試合として大畠美咲と組み、代わって獅子の穴入りする成宮真希&飯田美花組と対戦。大畠が飯田からフォールを奪い有終の美。 8月19日、昼のJWP後楽園大会で大畠美咲と「獅子の穴」卒業後初タッグで、尾崎魔弓&輝優優のOZアカデミー「正危軍」タッグと対戦するも、輝にフォールを奪われる。夜の我闘雲舞市ヶ谷大会『Gatoh-meet•10』でさくらえみを下し、ガトヌンクライマックス優勝。 9月9日、JWPキネマ大会でモーリー(森居知子)と組んでさくらえみ&米山香織組(ユニット名・リセット)と対戦。当初、モーリーとのシングルマッチだったがリセットが大会に出ていないことをTwitterで疑問に感じ、リセットも出場希望していることを受けて、モーリーと共に対戦を熱望。結果、大会直前にカードが変更となる異例の事態となった。大会では敗れたものの、リセットと共感し、モーリーと共にJWP反体制派として行動を共にしたことでJWPの大半の選手から反感を買う一方で我闘雲舞の定期参戦が決定する。 9月14日、我闘雲舞市ヶ谷大会『Gatoh-meet•12』でさくら、米山、モーリー、中森の4人でユニット「ハートムーブ系リフォーム」を結成。 10月28日、JWPキネマ大会でモーリーと組んで、コマンド・ボリショイ&中島安里紗組が持つJWP認定タッグ王座&デイリースポーツ認定女子タッグ王座選手権試合に挑戦するが敗退。 2013年 6月15日、プロレスリング・SECRET BASE横浜大会に初参戦。 8月18日、モーリーとの「ハートムーブ」として春山香代子&倉垣翼が持つJWPタッグ二冠に再挑戦し奪取成功。 12月1日、JWP浅草花やしき大会で花屋敷花子デビュー。 2016年 12月28日、中島安里紗を破り、第30代JWP認定無差別級王座になる。
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経歴・戦歴
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栗栖正伸が主宰する「栗栖ジム」の出身者で、1996年に全日本女子プロレスのオーディションに合格し、同年7月14日、東京・後楽園ホールにおいて、対高橋奈苗戦でデビュー。 上背は無いが、抜群のプロレスセンスを持ち、倒産後の全女のエースとして活躍し2000年には納見佳容、脇澤美穂、高橋奈苗(脇澤引退後は西尾美香)とキッスの世界としてCDデビューを果たしたが、全女が活動を休止する前の2003年に全女を退団。 フリーとなった後、M's Styleを結成するが、大江慎と結婚し、2005年1月7日に引退。現在は4人の子供をもうける。 2011年3月21日、アイスリボン後楽園ホール大会にてかつて全日本シングル王座を争ったさくらえみとエキシビジョンマッチを敢行(名義は大江姓)。6年ぶりの実戦ながら、モモ☆ラッチとジャーマン・スープレックス・ホールドを披露した。 2014年5月24日、新木場1stRINGでのパッション・レッド興行において、エキシビション。高橋とのナナモモタッグを復活させ、スターダムで現役復帰した脇澤、中西に憧れてプロレス入りして6月1日に引退を控えた夏樹☆たいようとタッグマッチ。3月に第4子を出産したばかりにも関わらずドロップキックを放つなど奮闘。 2020年3月8日、無観客で開催されたスターダム『ロストディケイドプレゼンツNO PEOPLE GATE2020.3.8』に夫・大江慎が見守る中、時間差バトルロイヤルに出場、初めてムーンサルトプレスを披露するなど奮闘した。 2021年3月3日に行われた「スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~」日本武道館大会ではオールスター・ランブルに出場。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 20:26 UTC 版)
1992年 11月19日、東京・葛飾区総合スポーツセンターにおいて、対渡辺真美戦で全日本女子プロレスからデビュー。 1997年 ネオ・ジャパン・レディース・プロレスリング(現NEO女子プロレス)に所属。 1998年 10月から頸椎を痛め、以後長期欠場。 1999年 長期欠場。 2000年 長期欠場。 2001年 3月、復帰。以後は若手の壁として存在感を示した。 2005年 6月5日、新木場1stRING(“息吹”第1回大会)において、夏樹☆ヘッドと対戦。腕ひしぎ逆十字でギブアップ勝ち。 7月3日、後楽園ホール大会で、ミッドサマータッグトーナメントのパートナーに木村響子と組んで出場するつもりが、木村が千春と組んでしまったため、夏樹☆ヘッドをパートナーに指名する。 7月24日、東京キネマ倶楽部(ミッドサマータッグトーナメント1回戦)において、田村欣子、仲村由佳組と対戦。夏樹が田村のパトリオットバスターで敗れる。 7月31日、新木場1stRING(“息吹”第2回大会)において、バンビと対戦。腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ勝ち。 8月18日、札幌テイセンホールにおいて、タニー・マウスと対戦。前方回転エビ固めを潰され敗れる。 9月18日、後楽園ホール大会において、夏樹☆ヘッドと組んで、吉田万里子、木村響子組と対戦。夏樹が木村のクロスフェースオブ未来でギブアップ負け。 9月23日、新木場1stRING(“息吹”第3回大会)において、市井舞と対戦。裏逆十字でギブアップ勝ち。 11月13日、新宿FACE(“息吹”第4回大会)において、渡辺菜穂と対戦。腕ひしぎ逆十字でギブアップ勝ち。 12月11日、後楽園ホール大会において、渋谷シュウと組んで、ザ・ブラディー、ファング鈴木組と対戦。ブラディーの裏拳で敗れる。 2006年 初頭に再び首を痛めてしまう。 1月9日、後楽園ホール大会において、夏樹☆ヘッドと組んで、吉田万里子、佐藤綾子組と対戦。夏樹がトリプルサイクロンで佐藤から勝つ。 1月22日、東京・キネマ倶楽部(NEO STAGE06)において、輝優優と対戦。敗れる。 5月5日、後楽園ホール大会において、中川ともかと組んで、春山香代子、渋谷シュウ組と対戦。中川が春山のダイビング・ギロチンドロップで敗れる。 6月17日、東京・板橋グリーンホールにおいて、阿部幸江と組んで、仲村由佳、春山香代子組と対戦。阿部が仲村から勝利。 9月10日、新木場1stRING(“息吹”大会)において、渋谷シュウと組んで、伊藤薫、希月あおい組と対戦。15分の時間切れ引き分け。 9月17日、後楽園ホール大会で、年内限りでの引退を表明。 12月8日、長野・佐久創造館において、吉田万里子と対戦。足4の字固めでギブアップ負け。 この年をもって現役生活を引退。長期欠場が長かった選手ではあったが、14年間の長きに渡りプロレスラーとして活躍した。
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経歴・戦歴
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高校在学時はクロスカントリー部に所属。 JWP女子プロレス創設時の生え抜き1期生としてデビュー(当時は本名の奥津智子)。 1992年 8月4日、東京・葛飾区総合スポーツセンターにおいて、対プラム麻里子戦でデビュー。 1993年 3月21日、外山寿美代を破り第1回蒼星杯(ブルースターカップ)リーグ戦優勝。 12月6日、全日本女子プロレス・両国国技館大会にてチャパリータASARIを下し、全日本ジュニア王座を獲得。 1995年 6月16日、両国国技館大会にて矢樹広弓、菅生裕美との巴戦を制し初代JWPジュニア王者となった。 1997年 8月17日、後楽園ホールでの対福岡晶戦で引退。 1998年 2月18日、アルシオンの旗揚げに参加、現役復帰。 5月5日、川崎市体育館で行われた「トーナメントARS」で優勝。 8月31日、大阪・なみはやドーム大会で覆面レスラー「タイガードリーム」に変身、アルシオン初参戦の矢樹を下す。 12月18日、横浜文化体育館大会で「トーナメントZION」覇者の吉田万里子と初代クイーン・オブ・アルシオン王座決定戦を行うも敗北。 1999年 7月26日、自身がプロデュースしたユニット「CAZAI」(メンバーは「キャンディーマン」(奥津)・浜田文子・AKINO・藤田愛)でCDデビュー。 2001年 1月5日、後楽園ホールでの対大向美智子戦で2度目の引退。最初の引退後の空白時期を除いて約8年間に及ぶ現役生活に終止符を打つ。現役時はルックスと実力を兼ね備えていた選手でもあり、過去に週刊プレイボーイ等にグラビアが掲載され、写真集も出版されている。
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経歴・戦歴
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2006年 2月12日、東京・板橋グリーンホール大会において、対あいか対さくらえみ対ひなた対きのこ(5WAY)戦でデビュー。 同年4月、我闘姑娘興行終了後の挨拶時に当時のアイアンマンヘビーメタル級王者・あいかを襲撃、第226代王者となった。 7月30日、東京・新木場1stRINGにおいて、市井舞と対戦。敗れる。 9月24日、東京・新木場1stRINGにおいて、春日萌花と対戦。ジャックナイフ固めで敗れる。 2007年 1月8日、「けんとひかり」のタッグチーム名で大家健と初タッグを結成。以降、大家健大好きキャラになる。 1月27日、リングネームを尊敬する「みなみ鈴香」にあやかり「みなみ飛香」へ変更。 3月1日、アイスリボンに移籍。 2008年 学業と部活動(陸上競技)に専念するため、長期休業に入る。 12月13日、市ヶ谷大会、昼の部で活動再開を宣言し、夜の部に聖菜とのエキシビションマッチで復帰。当面、学校と部活動が被らない休日のみの参戦となった。 2010年 2月21日、スポルティーバ名古屋大会に高校受験の2日前にもかかわらず遠征に参加。藤本つかさとICE×60王座タイトルマッチを戦う。 5月4日、マッスルハウス9後楽園ホール大会にて司会を務める。 7月19日、板橋グリーンホール大会において、ICE×60王座タイトルマッチを第8代王者さくらえみと戦い、ブロックバスターホールドで勝利。第9代王者となる。 8月27日、19時女子プロレスにおいてICE×60王座防衛戦をコマンド・ボリショイと戦い、防衛に失敗。 9月23日、後楽園ホール大会においてコマンド・ボリショイの持つICE×60王座にリターンマッチとして挑戦し、敗れる。 りほ似の覆面レスラー・ブラックチェリー1号の仲間にみなみ似のブラックチェリー2号が加わり、チェリーと抗争を展開。 12月24日、SMASH「ハプニングEve'」新宿FACE大会にてSMASH初参戦。KUSHIDA・都宮ちいと組み、木高イサミ・児玉ユースケ・真琴組と対戦。都宮が真琴からフォールされ敗戦。 12月31日、年越しプロレス後楽園ホール大会においてりほ・つくしとヤングチームを結成し、バンビ・真琴・星ハム子のアダルトチームと対戦し勝利。 2011年 1月3日、ユニオンプロレス後楽園ホール大会にて、さくらえみ似の3号を加えたブラックチェリー軍がチェリー・松本浩代・大畠美咲と対戦するも、チェリーの春夜恋で2号がフォールを奪われ敗戦。 1月4日、アイスリボン新木場1stRING大会「新春リボン」においてりほと組み、志田光・藤本つかさの持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するも敗退。 1月30日、キックボクシング女子大会・J-GIRLS新宿FACE大会のアイスリボン提供試合に出場。藤本つかさと組んでさくらえみ・りほ組と対戦し、ブロックバスターホールドでりほから勝利。 2月6日、アイスリボン今池ガスホール大会「名古屋リボン」にて、「けんとひかり」でウルトラマンロビン・GENTARO組と対戦するも、ガッツ星人の介入により大家健とGENTAROが洗脳されてしまい、ウルトラマンロビンとのタッグにチーム変更。ブロックバスターホールドで大家から勝利。 4月9日、アイスリボン280・道場マッチにて、新北京プロレスのヨネヤマカオ・リーと組んでさくらえみ&Rayが持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するが敗れた。 5月5日、アイスリボン後楽園ホール大会にて、「けんとひかり」でタッグトーナメントに出場するも初戦敗退。 5月25日、19時女子プロレスにて、つくしが持つインターネットシングル王座に挑戦し勝利、第2代王者となる。 6月1日、19時女子プロレス1周年記念大会にて、都宮ちいを相手にIW19王座防衛戦を戦うも敗れ、防衛に失敗。 6月15日、アイスリボン299・イサミレッスル武闘館にて、19日に復帰戦を行うマサ高梨が復帰挨拶中にさくらえみにアイアンマンヘビーメタル級王座のベルトを奪取され、その後、当時練習生だった長野レミ(デビュー後は長野ドラミに改名)がエキシビジョン終了後にさくらえみを急襲してベルトを奪取。直後にリングに上がって長野のデビューを決めて共に喜んだのもつかの間、長野を襲ってベルトを奪った。しかし、大会終了後に再びさくらえみにベルトを奪われた。最終的にベルトは高梨に戻った。 7月18日、666との合同興行「YOUNGリボンわっしょい!!Vol.2」にてダイナスティとのタッグでミックスドタッグ1DAYトーナメントに参戦し優勝。 8月21日、アイスリボン後楽園ホール大会「不思議の国のアイス2011」にて藤本つかさの持つICE×60王座に挑戦し、ブロックバスターホールドで勝利。第12代王者となる。 8月28日、道場マッチにてアイスリボン退団を控えた都宮ちい(現・ミクロ)のICEx60王座挑戦を受け、ブロックバスターホールドで勝利し初防衛に成功。 9月9日、ヤングリボン認定ミックスタッグ王座に認定される。9月の間、道場マッチを自身のプロデュース大会として行ったものの、試合は休場を続けた。 10月5日、休場を疑問視した志田光のICEx60王座挑戦を受け、ブロックバスターホールドで勝利し防衛。 10月9日、イギリス・ノッティンガムで行われたプロレスリングEVE対アイスリボンの対抗戦においてシャナのICEx60王座挑戦を受け、ブロックバスターホールドで勝利し防衛。 11月6日、DDTプロレスリング大阪府立体育会館第二競技場大会にTKG48の助っ人として参戦。高木三四郎と組み、大石真翔・男色ディーノ組と対戦し、ダンスを披露するも、試合中に「ほもいろクローバーZ」に寝返る。 11月19日、アイスリボン道場大会にて藤本つかさのICE×60王座挑戦を受け敗北。タイトルを失い、今後はほもいろクローバーZ入りを目指すことを宣言。 11月27日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会にてほもいろクローバー新メンバーオーディション試合に出場し、4人の新メンバーのうちの1人に選ばれる。 12月4日、阿佐ヶ谷Loft Aにて行われたトークイベント「若さ爆発!ミドルティーン女子プロレスラーのお茶会」に出演。 2012年 8月20日、新木場1stRINGでのTeens7を最後に大学受験のため無期限活動休止に入る。 12月31日付けを以ってアイスリボンを正式退団。 2014年 7月5日、同期の真琴がプロデュースする「私立・プロレス学園」に来場。 7月13日、JWPの同学年勝愛実の引退試合にも来場。 2015年 11月27日、アップルスタープロレス旗揚げ戦にて復帰戦を行い浜田文子と対戦、ムーンサルトプレスで敗れる。 2016年 1月9日、後楽園ホールにて開催のアップルスタープロレス2ndインパクト開催前に芸能事務所アップルスター専属になった事を発表。 2017年 新木場大会をもってアップルスタープロレスが解散(プロレス部門撤退)。 2021年 5月、共にキッズレスラーとして活動した「ひなた」と共にYouTubeチャンネル「るうもすちゃんねる」配信開始。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 17:03 UTC 版)
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の女子プロ予備校出身であり、同番組企画の出身者には元気美佐恵・上林愛貴・シュガー佐藤がいる。LLPW(現・LLPW-X)のプロテストに合格していたがデビュー前に夜逃げ。 1994年12月10日、長野・飯田市勤労者体育センターで行われたIWAジャパンプロレスの興行において、対シンティア・モレノ戦でデビュー。その後は同団体の所属レスラーとして活動するが、女子選手の人数不足により、元川恵美(現:さくらえみ)との対戦が主であった。IWAジャパンの同期には田尻義博(現:TAJIRI)がいる。 その後、IWAジャパンを離脱し、暫くフリーランスとして活動した後、1996年にGAEA JAPANに新弟子扱いで入団するが、離脱(同団体の生え抜きの新人選手達との仲が、険悪だったからとも言われている)。再び元GAEA JAPANの中野知陽呂と共に革真浪士団(現・スーパーFMW)で活動した後、大日本プロレスに入団するが、2000年限りでまたもや離脱、再びフリーランスとしてアイスリボンその他の団体に出場している。アイスリボンでは主にりほ(現:里歩)と組んで、さくらえみを困らせている一方、自身の非情なファイトスタイルに堂々と対抗して来た聖菜を高く買っている。 大日本プロレス時に、デスマッチも経験している。対戦相手は元気美佐恵。 2010年以降欠場していたが、2011年10月28日のSMASHに初参戦した元同僚松田慶三より名前が出され、11月27日のSMASHで元Iジャ軍の一員として復帰。 2012年8月18日、シアタープロレス花鳥風月に初参戦。 2013年、シアタープロレス花鳥風月をプロモートするG-TALENTと契約。その初戦となった2月10日、GAEA JAPAN時代の元同僚旧姓・広田さくらに勝利。 2013年7月15日、プロレスリング我闘雲舞初参戦。板橋グリーンホール大会にて、IWA・JAPAN指名試合としてさくらえみが持つAWF世界女子王座に挑戦するが善戦むなしく敗れた。尚、セコンドには里歩がつき、リングアナウンサーは聖菜が行った。 2014年4月20日、世界プロレス協会初参戦。上林愛貴と20年越しの初タッグを結成する。
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経歴・戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 20:20 UTC 版)
1987年7月27日、全日本女子プロレスの埼玉県本庄市民体育館大会にて、対市川千秋戦でデビュー。同期に、豊田真奈美・三田英津子・下田美馬がいる。 三田とタッグチーム『ドリームオルカ』を結成、格闘技戦において先輩レスラーである堀田祐美子に勝利したが、その矢先に頸椎ヘルニアのため長期欠場となり医者からは引退を勧められたが、諦めずにリハビリテーションに励み復活する。 復帰後は井上京子とともにメキシコ遠征を行い、その後、豊田真奈美との「昭和62年組最強タッグ」としてWWWA世界タッグ王座を獲得するなど活躍、1997年にGAEA JAPANに移籍したが、古傷の頸椎を痛め2004年12月に現役から引退。 現役時代から渋谷区代々木上原で「居酒屋やまさん」を経営していたが、店を切り盛りしていた母親が亡くなったことにより2013年4月に閉店。同年6月からは先輩のブル中野が経営するBAR『中野のぶるちゃん』のスタッフとなった。中野からは『山さん』の愛称で呼ばれ公私ともに信頼されており大変可愛がられている。 『中野のぶるちゃん』閉店後は、受け継ぐ形で2019年5月1日にBAR『中野のぱわすぽ』を開店させた。2020年4月12日をもって、新型コロナウィルスの影響もあり『中野のぱわすぽ』を閉店。
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経歴・戦歴
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プロレスデビューは1995年1月8日、JWP女子プロレスの後楽園ホール大会での対久住智子(現・日向あずみ)戦であった。JWPは翌年の1996年に離脱し一旦プロレス界から離れたが、1998年に吉本女子プロレスJd'(後のJDスター女子プロレス)に「エチセラ」というリングネームで現役復帰した(その後本名に戻る)。1999年4月にJd'を離脱しメキシコ・AAAに参戦、帰国後はフリーランスとして活動していたが、2000年3月にNEO女子プロレスに入団した。 NEO女子プロレスでは、タニー・マウスとのタッグチーム『NEOマシンガンズ』を結成。 2010年10月29日、新木場での大日本プロレス・NEO女子プロレス合同興行で、伊東竜二と組み、葛西純、"黒天使"沼澤邪鬼の045邪猿気違'sと蛍光灯デスマッチで対戦した。 12月31日、NEO女子プロレス解散とともに引退。 2011年3月21日、DVD発売を記念してアイスリボン後楽園大会でタニー・田村欣子とともにサイン会を行う。 8月4日、バンビと須山浩継のイベント「バンビの塩辛ナイト4 〜佑天寺うらん先生のロマンチック教室リターンズ〜」にゲスト出演。 現在は飲食店勤務の傍ら、ミュージシャンとして現役時代から行ってきたライブで活動している。 2015年7月20日、プロレスリングWAVE後楽園ホール大会対浜田文子戦で現役復帰。以降は通常勤務の都合、日曜及び店の休日のみの参戦となる。 2022年1月1日、MarvelousとWAVE合同の新宿FACE大会で、W.W.W.D世界エリザベス王座を獲得し、第8代王者となる。デビューして初めて女子シングル王座を獲得した。
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経歴・戦歴
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2004年 3月28日、東京・後楽園ホールにおいて、対TSUNAMI、KAZUKI、亜沙美組戦でデビュー(パートナーは風香、救世忍者乱丸)。 2005年 7月3日、賀川照子引退興行にて引退。
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経歴・戦歴
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1994年 12月4日、東京・後楽園ホールにおいて、対宮口知子戦でデビュー。 1995年 6月16日の両国国技館大会で宮口を下し第2回蒼星杯(ブルースターカップ)リーグ戦優勝。 1996年 付き人を務めた尾崎魔弓率いるOZアカデミーに参加。 1997年 12月8日、CMAオクタゴンチャレンジで高橋洋子と総合格闘技ルールで対戦し、高橋が反則となる顔面へのキックを繰り出し反則勝ちとなった。 2006年 11月11日、宮城・Zepp Sendaiにおいて、金子友里恵と対戦し、勝利を収めた。 2008年 アジャ・コングを破りOZアカデミー認定無差別級王座を奪取。その後尾崎魔弓との防衛戦も勝利しOZアカデミーの校長に就任。 2014年 外傷性脳幹損傷の影響でドクターストップを受け、プロレスラーを廃業することを本人の意志で決定。(体の状態に鑑みて引退試合は無く、引退興行のみを行う) 2015年 4月15日、後楽園ホール大会で引退セレモニーを行う。セレモニーでは尾崎から卒業証書を受け取るほか親戚一同による餅投げを行い、最後には引退試合の代わりに前回り受け身をとりリングを降りる。 11月より入院して両膝前十字靭帯再建の手術を行う。現在も定期的にブログを更新し一般人として生活している。
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経歴・戦歴
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1994年 12月4日、東京・後楽園ホールでのJWPの「三都市街戦2」シリーズ開幕戦における、同じJWPの先輩レスラー能智房代戦で、本名でデビュー。この興行では、宮口知子(輝優優)、天野理恵子(カルロス天野)もデビューを果たしている。 1995年 1月15日、千葉・君津市体育館で、デビュー後の初勝利を同期の倉垣靖子(倉垣翼)から挙げる。 1996年 1月14日、東京・後楽園ホールでGAEA JAPANと合同のタッグトーナメント「ファイト・トゥー・ザ・ラスト・ヤング・ジェネレーション・ミックス」を同じ松戸出身の永島千佳世とのタッグで優勝。 5月18日、東京・大田区体育館での全日本女子プロレス主催「第1回ジュニア・オールスター戦」に出場。田村欣子の全日本ジュニア王座に挑戦し敗れるも、大会ベストバウト賞を受賞。 8月10日、東京・後楽園ホールで「JWP認定ジュニア王座決定ザ・ジュニア・ボディーヒート・ワンナイトトーナメント」において宮口知子、能智房代、天野理恵子を破り優勝。第5代JWP認定ジュニア王者となった。 8月12日、8月13日、東京・日本武道館で2日間に渡って行なわれた全日本女子プロレスの「ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメント」に当時のJWPのエース、ダイナマイト・関西とのチームで出場。決勝戦でアジャ・コング・田村欣子組と対戦し、田村を旋回式ボディ・プレスで下して優勝。表彰式の写真が「週刊プロレス」誌の表紙を飾った。 1997年 3月9日、後楽園ホールでこれが引退試合となる矢樹広弓を下しJWPジュニア王座8度目の防衛。 5月21日、埼玉・コモディイイダ鳩ヶ谷店駐車場にて宮口知子の挑戦を雪崩式ダブルアーム・スープレックスで退け、JWP認定ジュニア王座の連続防衛回数を10回に伸ばした。 6月8日、神奈川・ 横浜文化体育館、にて当時福岡晶が所持していたJWP認定無差別級王座に挑戦するも敗れる。 8月17日、後楽園ホール昼夜興行の夜の部で宮口に敗れ、JWPジュニア王座から転落。 9月20日、後楽園ホールでのJWP認定後楽園タッグ王座決定ワンナイト・トーナメントに、本谷香名子(美咲華菜)と組んで出場。優勝し後楽園タッグ王者となった。 12月7日、京都・KBSホールにおいて宮口知子とのタッグで、デビル雅美&福岡晶の保持していたJWP認定タッグ王座に挑戦するも、自身がデビルにフォールされ敗れる。 1998年 2月11日、東京・後楽園ホールで豊田真奈美&伊藤薫のJWP認定タッグ王座に挑戦。パートナーの福岡晶が豊田をムーンサルト・フットスタンプでフォール、同タイトルを獲得した。 6月14日、東京・後楽園ホールにおいてデビル雅美&キューティー鈴木に敗れてタッグタイトルを失うも、7月31日、神奈川・川崎市体育館で再び福岡晶と組んで挑戦し、タイトル奪回(自身がデビルをフォール)。 9月6日、観客動員が低迷し始めていたことに危機感を持ち決起、後楽園ホール昼夜興行の夜の部で師匠・キューティー鈴木を初公開のみちのくドライバーIIでフォールし「フリーでやらせてもらう」と発言。 10月11日、「お客さん、一人でも多く集まれ!!」と題した興行(後楽園ホール)のメインで福岡と一騎討ちを行い、みちのくドライバーIIでフォール勝ち。 1999年 2月24日、東京・東天紅上野店にてJWP認定無差別級王座挑戦者決定トーナメント決勝戦でデビル雅美と闘いフォール勝ち。なお、本名の「久住智子」での試合はこの日まで、2月27日の千葉・君津市民体育館以降のリングネームは「日向あずみ」となった。 2月28日、東京・後楽園ホールにて福岡のJWP認定無差別級王座に挑戦、途中ムーンサルト・フットスタンプをまともに受け苦しむも、みちのくドライバーII5発で勝利し第5代JWP認定無差別級王者となった。福岡はこの1か月後に引退。 12月23日、東京・後楽園ホールにて輝優優(宮口知子)の挑戦を受けての4度目の防衛戦。高角度後方回転エビ固めで敗れて無差別級のタイトルを失う。 2000年 2月11日、東京・後楽園ホールにて行なわれた全日本女子プロレスの興行において、前川久美子を破りオールパシフィック王座(第38代)を奪取。 5月31日、東京・北沢タウンホールでのNEO女子プロレス旗揚げ戦に参戦。メインイベントで田村欣子と組み元気美佐恵&輝優優とキャリア同期4人のタッグマッチ。 6月18日、東京・後楽園ホールにおいて、コマンド・ボリショイとのタッグで全日本女子プロレスのZAP-I&ZAP-Tと対戦。反則勝ちでJWP認定タッグ王座を奪取するも、その後王座返上。ベルトは団体預かりに。 7月15日、東京・フジテレビ7階屋上庭園での全日本女子プロレスの興行で、渡辺智子に敗れ、オールパシフィック王座を失う。 11月26日、東京・ディファ有明において、コマンド・ボリショイにシングルで勝利。JWP四天王と呼ばれた選手達の中で、ただ一人ボリショイから勝利を挙げていなかった日向が、ボリショイ越えを果たした瞬間であった。なお、この興行から約3か月間、JWPは活動休止となった。 2001年 2月12日、アルシオン・後楽園ホール大会で浜田文子の保持するクイーン・オブ・アルシオン王座に挑戦するも敗れる。 2月18日、東京・ディファ有明にてJWPが活動再開。日向はコマンド・ボリショイのJWP認定無差別級王座に挑戦し勝利、第8代王者に。 2月18日、アルシオンのディファ有明大会で行なわれた「HYPER VISUAL FIGHTING TOURNAMENT ZION 2001」に出場。キャリアでは先輩にあたる玉田凛映や吉田万里子(共にアルシオン所属)を連覇して決勝戦に進出するが、GAMIに敗れて準優勝となった。 8月31日、東京・板橋区立産文ホールで春山香代子と組み、輝優優&元気美佐恵を破って第18代JWP認定タッグ王者になるも、9月10日、東京・東京キネマ倶楽部でコマンド・ボリショイ&GAMIに敗れて王座を失う。 12月9日、東京・ディファ有明にてGAMIの挑戦を退け、JWP認定無差別級王座を防衛(3度目の防衛戦)。 2002年 5月19日、東京・ディファ有明にて輝優優を相手にドレスアップ・ワイルドファイト(ストリートファイトマッチ)にてJWP認定無差別級タイトル戦を行ない、5度目の防衛に成功。 7月20日、東京・新宿アイランドホールにおいて、輝優優とのタッグでコマンド・ボリショイ&GAMI組を破り、第20代JWP認定タッグ王者となった。シングルの無差別と合わせ、2冠王者として君臨。 輝の退団→GAEA JAPAN移籍が表面化したあとの10月27日、急遽輝との一騎討ちが組まれ、みちのくドライバーIIで勝利。 11月3日、東京・ディファ有明にてJWP10周年記念大会が行なわれ、日向は輝と組みJWP認定タッグの防衛戦を行なった。NEO女子プロレスの田村欣子&元気美佐恵の挑戦を受け、激闘の末にこれを退けてタイトルを防衛するも、輝のJWP退団により王座返上。また、日向は無差別級のタイトルも返上。 11月10日 - 11月15日、コマンド・ボリショイと共に遠征先のメキシコで試合。アレナ・メヒコやアレナ・コリセオといった著名な会場にも出場する。 2003年 3月6日、東京・北沢タウンホールでのNEO女子プロレスの興行で、井上京子を破りNWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座を奪取。 以後、40日間弱の間に3度の防衛に成功するも、5月5日のNEO後楽園ホール大会において田村欣子によって奪回される。 2004年 4月10日、東京・北沢タウンホールでのNEO女子プロレスの興行で負傷(左膝前十字靭帯断裂)。以後、約2か月間の欠場。4月18日の全日本女子プロレス・後楽園ホール大会でアメージング・コングが保持していたWWWA世界シングル王座への挑戦が予定されていたが中止となり、1年後に全日本女子が解散したこともあって、その後日向に挑戦の機会が訪れることは無かった。 9月12日、3年10か月振りとなるJWPの、東京・後楽園ホールでの興行。メインの6人タッグは「日向あずみデビュー10周年試合」として行なわれ、日向が記念試合を勝利で飾った。 11月28日、東京・東京キネマ倶楽部大会。10月17日から行なわれたJWP認定無差別級王者決定トーナメントの決勝戦で、春山香代子を下して第9代の無差別級王者に返り咲く。 2005年 2月20日、東京・東京キネマ倶楽部において米山香織の挑戦を退け、無差別級タイトルを防衛。この試合は専門誌「Lady'sゴング」誌上で、この年の最優秀試合との評価を受けた。 5月15日、東京・後楽園ホールで伊藤薫の挑戦を受け、これを破って無差別級タイトルを防衛。 9月18日、東京・後楽園ホールでの無差別級選手権試合で、倉垣翼のファイアーバード・スプラッシュに敗れ、王座陥落。 12月3日、新宿FACE大会でフリーとなった輝と3年ぶりの一騎討ちを行い、みちのくドライバーIIで勝利。 2006年 9月18日、東京・後楽園ホールで豊田真奈美を倒し、第12代JWP認定無差別級王者となった。 11月17日、OZアカデミー初参戦。倉垣と組み、天野&輝と同期4人のタッグマッチ。 11月26日、東京・東京キネマ倶楽部で闘獣牙Leonを相手に無差別級タイトルを防衛。 12月24日、東京・後楽園ホール。NEO女子プロレスのエースとして二冠王座を11回連続防衛していたライバル・田村欣子と、互いのベルト(NEO統一2冠王座とJWP無差別級王座)を賭けた3冠統一選手権試合を行なった。60分フルタイムドローで両者共に防衛となったが、日刊バトル大賞で全体の半数近くの票を集めてベストバウトに選ばれる等、名勝負として非常に高く評価された。 2007年 2月11日、東京・東京キネマ倶楽部でのGAMI主催興行で、ディック東郷とシングルで対戦。必殺技ダイビング・セントーンを受けてフォール負けを喫す。 2月18日、神奈川・川崎市体育館でのNEO女子プロレスの興行で、里村明衣子とのタッグで元気美佐恵&高橋奈苗と対戦。4者入り乱れての激戦を制したのは、日向のダイビング延髄ニーだった。 4月8日、4月15日、2大会に渡って行われたJWP主催の「ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメントII」に後輩の中島安里紗と組んで出場。宮崎有妃&野崎渚、田村欣子&栗原あゆみ、高橋奈苗&夏樹☆たいようを破って決勝戦に進出したが、元気美佐恵&勇気彩に敗れて準優勝となった。 6月10日、東京・東京キネマ倶楽部で蹴射斗をフォールし無差別級選手権を防衛。 8月26日、東京・後楽園ホールでアメージング・コングの挑戦を受けてのJWP認定無差別級選手権。試合中に故障箇所の左膝を痛めて苦戦するも、勝利して4年前の因縁に決着。 9月23日、大阪・ミナミ ムーブ・オン アリーナでプロレスリングWAVE初参戦。桜花由美から勝利。 10月5日、宮城・Zepp Sendaiでのセンダイガールズプロレスリングの興行に出場。中島安里紗とのタッグで里村明衣子&ティラノサウルス奥田と対戦し、ランニング・ニーアタックで里村をフォール。里村は負傷し、長期欠場となった。 10月7日、大阪・大阪府立体育会館でのZERO-SUN興行。高橋奈苗とシングルで闘い、激闘の末に敗れる。 10月8日、東京・新宿FACEで行われた「どすこいプロレス」に参戦し、メインで維新力と組み高山善廣&浜田文子と対戦。維新力が高山に敗れた。 12月9日、東京・後楽園ホールで米山香織の挑戦を受けてこれを退け、JWP認定無差別級選手権の5度目の防衛に成功。 2008年 3月9日、東京・JWP道場にて行われた道場マッチにおいて、高角度後方回転エビ固めで阿部幸江に3カウント奪われる。特別レフェリー・春山香代子の高速カウントとは言え、日向がシングルマッチで後輩選手に敗れることは珍しい。 なお、「卒業マッチ」と題されたこの試合で、高校の制服姿の阿部はともかく、日向はなぜか女性警察官の格好であった。 4月29日、東京・後楽園ホール。挑戦者決定リーグ戦を勝ち上がってきた春山香代子を相手にし、JWP認定無差別級選手権の防衛戦を行うも、激戦の結果敗れ王座転落。 この後、負傷箇所であるヒザの手術のために約5か月間、欠場となった。 9月23日、後楽園ホール大会で輝優優と組み、NEO女子プロレスの田村欣子&元気美佐恵を相手に復帰戦。いきなり本領発揮とはいかず、田村のフィニッシュ・ホールドである、肘のサポーターを投げ捨ててのランニング・エルボーバットに沈む。 11月24日、東京・新宿FACEでの「どすこいプロレス」に出場。維新力のパートナーを務め、蝶野正洋&立野記代と対戦。蝶野をエルボーで倒し顔を踏みつけるなど大いに気を吐いたが、最後は維新力が蝶野にフォールされた。 2009年 4月12日、東京・後楽園ホールで春山香代子のJWP認定無差別級選手権に挑戦。熱戦が展開され会場も盛り上がったが、雪崩式キーンハンマー、ラリアット連打、キーンハンマーと春山の大技攻勢に力尽き、ベルトの奪取ならず。 5月5日、東京・板橋グリーンホールでのチェリー興行『ファンタジーイリュージョン2』に出場。ユニオンプロレスの高梨マサ子と対戦し、みちのくドライバーIIで勝利。この興行は5月3日から4日間にわたって行なわれた「春の板橋女子プロレス祭り」の一環であり、その7興行の全試合から「週刊プロレス」誌や「日刊バトル」のコラムでベストバウトに選ばれたのがこの試合だった。 7月9日、年末の後楽園ホール大会で引退することを発表。 8月16日、OZアカデミー後楽園大会。コマンド・ボリショイ、カルロス天野と組み、6人タッグ出場。 10月11日、最後のOZアカデミー参戦。尾崎魔弓と組み、ダイナマイト・関西&カルロス天野組に勝利。 11月27日、アイスリボン初参戦。タッグ戦の前哨戦としてさくらえみとの2日連続シングルマッチを勝利し、翌日も連勝。 12月13日、神奈川・ラゾーナ川崎プラザソル大会。輝優優とのタッグで米山香織・さくらえみ組を破ってJWP認定タッグ、デイリースポーツ認定女子タッグ、インターナショナル・リボンタッグの3つのタッグタイトルを奪取。 12月18日、最後のNEO女子プロレス参戦。JWPで同期だった宮崎有妃とシングル。 12月27日、後楽園ホール大会のタッグマッチ(日向・ボリショイvs春山・米山)を最後に現役を引退した。引退試合に先立って行われたバトルロイヤルでは現役のOGやライバルなどゆかりの他団体女子レスラーに加えてザ・グレート・カブキも登場。引退セレモニーでは師匠キューティー鈴木や先に引退した同期の美咲華菜らOGも来場した。 2010年 4月18日、引退試合を収録したDVD発売を記念して後楽園ホール大会にてサイン会を開く。 5月3日、NEO殿堂に表彰される。 11月3日、ユニオンプロレス新木場大会で行われたJWP認定無差別級選手権・米山香織vsチェリーにて、立会人を務めた。 12月23日、後楽園ホール大会で、JWP王者米山と、かつて自身も三冠統一をかけて対戦したNEO二冠王者田村欣子との三冠統一戦の立会人を務めた。 12月31日、NEO女子プロレス最終興行に来場。 2011年 4月3日、後楽園ホール大会で、勝愛実のデビュー戦特別レフェリー。 2012年 4月22日、20周年記念後楽園ホール大会で8人タッグの特別レフェリー。 12月6日、レッスル武闘館大会で、最後のJWP参戦となった同期輝優優のセコンド。
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経歴・戦歴
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1985年 5月27日、高崎市中央体育館において、対仲前芽久美戦でデビュー。堀田祐美子とファイヤー・ジェッツを結成、 1988年 5月21日 「闘え、ファイヤー・ジェッツ」でレコードデビュー。 1989年12月15日 セカンドシングル「ファイヤー騎士(ナイト)」発売 1989年6月18日、オールパシフィック王座決定戦、1990年1月4日、WWWA世界シングル王座決定戦に出場するも敗北。共に対戦相手はブル中野 同期には北斗晶などがおり、北斗と初めてタッグを組んだ相手である。 1990年 10月7日、引退。その後、タレントに転身。 1994年 『ブルースワット』においてヤニミ役でレギュラー出演。劇中ではプロレス技も披露している。 1995年 卵巣がんに罹患。手術は成功したがこれにより子供を産む見込みがなくなる。 1999年 大相撲力士の魁皇と結婚。 2014年 浅香山部屋再興に伴い女将になる。 2018年 2月に7mmの早期乳がんが発見される。3月、手術は成功。
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経歴・戦歴
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1997年 5月26日、兵庫・姫路市厚生会館において、対飯塚昌美戦で本名でJd'からデビュー。 1999年 6月13日、東京・後楽園大会でヒールとして、現在のリングネームに改めた。 2004年 JDスター退団。 2005年 3月4日、北沢タウンホール大会でJWP女子プロレスへ入団。 12月28日、東京・新木場1stRING「Tommy20周年記念イベント」において、阿部幸江とのタッグ「WANTED!?」で、ザ・ブラディー、ファング鈴木組と対戦。WANTED!?が勝利。 2006年 8月6日、東京・後楽園ホール「L-FIGHT4」において、立野記代と対戦。デスバレーボムで敗れる。
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経歴・戦歴
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小学2年生から3年生ごろに男子プロレス(特に長州力)に興味を持ち、中学3年生の頃にクラッシュギャルズ時代のブームをきっかけに女子プロレスを目指そうと思うようになった。幼少期に好きであったのはジャンピング・ボム・エンジェルスであった。 中学卒業後に全日本女子プロレスへ入門したいと思っていたが、当時はオーディションを受ける方法が分からず、頓挫。高校時代は5歳の頃から始めていた器械体操でインターハイに出場。和洋高校1年か2年の頃に全女へ履歴書を送ったが、返事が来なかったため再び頓挫。1989年にジャパン女子プロレス入門。同年12月1日の東京・後楽園ホール大会において、対杉原由佳子戦でデビュー。優れた身体能力と高いルックスから、デビュー当初より将来のスター候補と目されていた。 1992年のジャパン女子解散後、JWP女子プロレスの旗揚げに参加。ちなみにジャパン女子の解散については4期生と新人であったことから、埼玉で開催された興業で先輩たちが発表するまで知らなかったという。解散に際して、これまで新人レスラーが暮らしていたジャパン女子の寮がなくなったため、福岡は生活のためにアパートとアルバイトを見つけた。JWPの掲げる「ピュアハート・ピュアレスリング」を最も体現した選手として、「ピュアハートの申し子」と呼ばれた。団体対抗戦ブームの中にあっては、JWPの主力選手の一人として活躍する。団体対抗戦が始まる頃のある日、JWPの興業を豊田真奈美、山田敏代、堀田祐美子などが観戦しており、彼女らが思い切りふんぞり返っていたことからJWPが見下されていると感じた。福岡はマイクアピールで「なめんなよ!」とでも言ってやろうかと思っていたが、いざマイクを持つと敬語になってしまった。一時は「脱ピュアハート宣言」をして、全日本女子プロレスで「修行」するなどファイトスタイルの変更を模索するも低迷。だが1995年、尾崎魔弓とのタッグで全女の「猛武闘賊」こと三田英津子・下田美馬組からJWP認定タッグ王座を奪還すると、以後はトップ戦線で活躍するようになる。1997年にはダイナマイト・関西からJWP認定無差別級王座を奪うなど、JWPのエースとして一時代を築いた。また、後輩のキャンディー奥津・矢樹広弓とユニット「ひーちゃん'S」を結成し、エンターテイメント性の高い試合も見せた。 1998年10月11日の対久住智子(日向あずみ)戦で首を痛めたこと、合わせて結婚が決まったことを機に引退を決意。1999年3月28日の後楽園ホール大会で、奥津の退団により解散した「ひーちゃん'S」を再結成して、引退試合を行った。引退後は故郷の秋田に戻って家族で飲食店を経営する傍ら、地元でのプロレス興行にも協力している。秋田のローカルヒーロー・超神ネイガーショーにも、プロレス技を得意とするヒロイン「ネイガー・マイ」として出演している。 2009年11月2日、同期のGAMIの20周年記念興行『GAMILIBRE5〜GAMI CHRONICLE〜』(プロレスリングWAVE)のメインイベントで一夜限りの現役復帰を果たした。
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経歴・戦歴
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2014年 2月16日、WAVE主催新人オーディションを受け、この時点では保留だった。 3月2日、WAVE後楽園ホール大会にて初お披露目。 8月8日、プロテスト合格。 8月24日、新宿FACEにおける7周年記念パーティーにて二上美紀子社長とエキシビション。 10月29日、WAVE後楽園大会にて「憧れの人」である紫雷美央相手にデビュー戦に挑むが、紫閃光で敗れる。 11月3日、WAVE山梨大会にて年内の国内引退を控えた中川ともかとシングルで対戦も、CRBでギブアップ。 11月5日、初めてとなる新木場1stRING大会で大畠美咲とシングルで対戦も、旋回式ダイビング・ボディープレス→片エビ固めで敗れる。 11月8日、4戦目にして初の他団体としてアイスリボン道場マッチに参戦。成宮真希とシングルで対戦するが、ユルネバ→片エビ固めで敗れる 11月12日、WAVE新木場大会で飯田美花とシングルで対戦も、グラウンド卍固めにギブアップ。 2015年 3月15日、WAVE後楽園大会で下野佐和子&瑛凛と組み、チェリー&田中盟子&小波と対戦。田中からフォールを奪い初の直接勝利。 2018年 2月12日、DUAL SHOCK WAVE~WAVE認定タッグ暫定王者決定戦に春日萌花と出場するが、宮崎有妃&野崎渚組に敗北。 2019年 12月25日に行われたWAVE新宿大会にて、2020年8月16日に予定されているWAVE後楽園ホール大会をもって引退することを発表。プロレスラーになる前から志していた柔道整復師への道に専念するため。しかし、引退興行は宮崎有妃の新型コロナウイルス感染に伴い開催自粛となり、引退は延期となった。 2020年 9月18日に行われたWAVE後楽園ホール大会をもって現役を引退した。
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経歴・戦歴
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1990年10月10日、兵庫・赤穂市民体育館大会での対渡辺智子・山元真由美戦でデビュー(パートナーは中見川志保)。 1993年6月11日、東京・後楽園ホール大会で渡辺真美を破り、空位となっていた全日本ジュニア王座を獲得。 同年7月31日、JWPの横浜文化体育館大会で外山寿美代と引き分け同王座の初防衛に成功。この試合から土木作業員風のコスチュームに変え、リングネームも本名から「ぬまっち」に改めた。 同年9月29日、愛知県体育館大会でLLPWの遠藤美月に敗れ3度目の防衛に失敗。 1994年に首の故障のため引退。 2022年、ブル中野のYoutubeに登場。中野と対談をしている。
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