李由
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李 由(り ゆう、? - 紀元前208年)は、秦末期の三川郡守。父は秦の宰相であった李斯。弟に李執がいる。秦末の乱に、楚の項梁配下であった項羽と劉邦と戦い、戦死した[1][2]。
- ^ 以下、特に注釈がない部分は、『史記』秦楚之際月表第四・李斯列伝による。
- ^ 年号は『史記』秦楚之際月表第四による。西暦でも表しているが、この時の暦は10月を年の初めにしているため、注意を要する。まだ、秦代では正月を端月とする。
- ^ 大櫛敦弘(2009), p. 25.
- ^ 大櫛敦弘は「一族の中でも特に李由の「三川守」のみが特筆されていることは、この三川郡守という地位が父親の権勢に対して釣り合うような顕職であったことをうかがわせる」としている。(大櫛敦弘(2009), p. 29)
- ^ 大櫛敦弘(2009), p. 26.
- ^ 大櫛敦弘は「「兵権を知る」と自負する田臧らから見ても、滎陽の守りは容易には抜きがたいものであると認識されていたことが知られる」としている。(大櫛敦弘(2009), p. 30)
- ^ 『史記』陳涉世家
- ^ 『史記』曹相国世家では、「(曹参が)南下して雍丘を救う」とあるため、雍丘は秦との敵対勢力についていたと考えられる。
- ^ 『史記』項羽本紀・高祖本紀
- ^ 『史記』曹相国世家・絳侯周勃世家・樊酈滕灌列伝・傅靳蒯成列伝
- ^ 『史記』曹相国世家
- ^ 大櫛敦弘(2009), p. 32-33.
- ^ 李由の戦死との前後関係については不明。
- ^ 『史記』李斯列伝では、李斯の処刑は二世二年(紀元前208年)7月とするが、『史記』秦楚之際月表第四との間の時系列に矛盾が生じている
李由
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「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「李由」の解説
章邯の武将で、三川太守(『史記』では郡守)も兼務した。 李斯の長子でもある。項羽一族の項明を討ち取るが、その後項羽の襲撃を受けて項羽に討ち取られる。
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