全日本女子プロレス時代とは? わかりやすく解説

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全日本女子プロレス時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:34 UTC 版)

北斗晶」の記事における「全日本女子プロレス時代」の解説

1985年6月12日札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー入門当時当時本名宇野久子そのままリングネームにしていた。当時デビュー時代から連戦連勝で、デビューからの連勝記録保持していた。同年新人王決定トーナメント準優勝年末女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった1986年3月大阪城ホール大会で先輩コンドル斉藤保持する全日本ジュニア王座奪取同期では最も早い戴冠だった。 1987年当時保有していたWWWA世界タッグ王座パートナー堀田祐美子)の初防衛戦(対 小倉由美永堀一恵組)で、小倉由美仕掛けたロープ2段目からのツームストン・パイルドライバー受けた際に首の骨を折る重傷負い以後長期欠場余儀なくされる骨折した部分頚椎周り部分であり、回復するまでの数か月間はベッド寝たまま首を動せない状態であったため、かなり辛かった復帰後のインタビュー語っている。担当医からはレスラーからの引退勧められたが、本人プロレス続けたいという強い意思ファンからの後押し復帰(ただし、医者からは「復帰した30歳過ぎには後遺症で体が動かなくなる可能性もある」と忠告されている)。1988年には同期鈴木美香みなみ鈴香)と海組(マリン・ウルフ)を結成しリングネーム北斗晶変更1989年3月1日に『颱風前夜(The Eve of Fight)』で歌手デビューしている。 1990年代に入ると、2年後輩の豊田真奈美から「北斗、お前は1度も私に勝ってないんだからなあ」と言われ激怒豊田山田敏代昭和62年入門組との世代対決開始され女子プロレスの質は飛躍的に高まり男性ファン大挙して会場押し寄せるうになる1992年ヒール転身し三田英津子と『猛武闘賊ラス・カチョーラス・オリエンタレス)』を結成(のち下田美馬参加)した。 1993年から1997年にかけての団体対抗戦時代北斗全女背負って闘いLLPW神取忍血みどろ抗争繰り広げてデンジャラスクイーン呼ばれるうになる。後に神取との試合契機聞かれると、「プロレス観決定的に違った。(客を楽しませる事やプロレスを楽しむ事に拘る自分に対して格闘技として単純に強くなる事だけを考えてた神取が許せかったんだと思う」と述べている。試合後の毒舌マイクパフォーマンス人気呼んだまた、国内の活動並行して覆面レスラーレイナ・フブキ」のリングネームメキシコEMLLでも活躍したが、長期欠場追い込まれた首などの度重なる負傷響き悲願だったWWWA世界シングル王座には手が届かなかった。

※この「全日本女子プロレス時代」の解説は、「北斗晶」の解説の一部です。
「全日本女子プロレス時代」を含む「北斗晶」の記事については、「北斗晶」の概要を参照ください。

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