2003年5月
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「2003年台湾におけるSARSの流行」の記事における「2003年5月」の解説
1日、医療関係者で初の殉職者。2日、立法院は三読審議で「SARS予防・治療および救助・振興特別条例(嚴重急性忽吸道症候群防治及紓困暫行條例)を可決、総統が公布。 4日、中国から戻った自宅隔離対象者の虚偽の申告行為に対し内政部は初の摘発を実施した。 5日、前衛生署署長の李明亮(中国語版)が防治作戦中心総指揮に就任。 8日、WHOが台北市を警戒地域に指定。5月9日、WHOはウェブサイトで台北をハイリスク地域(C級)に格上げ:236。台北市の華昌国宅(集合住宅)を封鎖。台北県でタクシー運転手の感染疑いによる死亡例が出たことを受け、車両の消毒と乗務員の検温(38度以上であれば診察を推奨)を開始した。 9日、台北市政府で市長の専属カメラマンも発症したため接触者だった市長馬英九も隔離を迫られた。 10日、台北県三重市(現・新北市三重区)の県立三重医院(現・新北市立聯合醫院三重院区)を専用病棟にすることが決定された。 12日、行政院は省庁横断的な指揮系統組織「全国SARS防治指揮中心」をCDCに設置。 14日、和平医院が院内感染の報告を隠蔽していたことが問題視された。。 16日,高雄長庚医院で院内感染が発生し、急患と診察を停止、一部フロアを封鎖した。18日にこの病院で7例目となる死亡者が出たため、地元選出の立法委員陳其邁はN95マスクや防護服などの医療物資が不足している実態を訴え、国に対して公権力行使による長庚医院からの転院受け入れを迫った。17日、国家衛生研究院臨床研究組主任の蘇益仁がCDC新局長に就任。WHOがSARS問題でのテレビ会議を行い、台湾が初参加。 18日、台北市天母地区の日系デパート大葉高島屋の地下フードコートに勤務する女性の感染が疑われたため、市衛生局は同店を4日間閉店し消毒作業を実施した。陳建仁が衛生署新署長に就任。 19日、国内にあるN95以上のマスクを政府徴用。 20日、台北県瑞芳で国内初の児童の死亡例。 21日、WHOは渡航警戒勧告を台湾全土に拡大:237。 23日、政府は民間の物流・航空公告緊急徵用各民間貨運及航空器,辦理衛生局交寄防疫檢體輸送箱。また、12ヶ所のSARS治療専門医院が指定された。 24日、政府副招集人の李明亮は、「感染状況は落ち着きつつあり、元通りの生活に戻れるだろう」とコメント。 25日、高雄国際空港で「10日以内のSARS陽性者との接触歴なし」の証明が必要だった医療関係者が書類不携行により出国できなかった。 28日、世界保健総会(英語版)でSARS監視強化などを盛り込んだ決議案が満場一致で通過、無異議通過。WHOが台湾で防疫活動の協力を行う道が開かれることとなった。
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2003年5月
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新車の2代目マーチベースのビュートの販売を終了した。製造は前年に終了した。以後は程度の良いK11型マーチの中古車をベースに「メイクアップビュート」として光岡認定中古車扱いで販売。
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