吉備団子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 19:53 UTC 版)
吉備団子(きびだんご)は、餅菓子の一種。岡山市の銘菓で、かつて吉備国と呼ばれた岡山県の名物土産と言われている。
補注
- ^ 山月堂は「黍」を使っていないを謳ってきた。(後述)
- ^ なお、志田 1941, 『日本の伝説と童話』、312頁は、廣榮堂から得た情報として、1853年(嘉永6年)頃に作り始められ、1855年(安政2年)頃に吉備団子の名が付いたことを紹介している。
- ^ 2人目は、岡山市・旧高砂町の信楽焼商売の名代で[5]同じ滋賀県物産である伊吹山のモグサも商っていたらしい[6][7]。3人目は、岡山市紙屋町の笹野一方(篠野一方とも。通称「腮鬚長(あぎとのひげなが) 」)という狂歌師[6][7]。
- ^ 岡長平の記述:「この相歓堂は、「武伴」の隠居〈十代目武田伴蔵秀治(明治34年[1901年]歿、年81)〉の雅号で妾に商売さしてたことが判った(福田梅子刀自聞書)」[5]。
- ^ 岡長平は、まず黍の団子では(まずくて日持ちがしないから?)商売には不向きだし、土産用にならないとする。また、歌人藤原忠朝(1893年没)が書いた相歓堂の宣伝を読んでも掻き餅だと判るとする[5]。
- ^ しかし藤井駿は、今となっては宮内飴のレシピがわからないことなどから、自らこの考えを論拠が曖昧であるともしている。
- ^ 吉備津神社で祭られている大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)が桃太郎だったという説もある。
出典
- ^ 西川五郎、大井次三郎 (1965)、平凡社『世界百科事典』5:694 「きび」の項。「岡山名産のキビだんごは、..」
- ^ Kahara 2004, p. 43 "When used to refer to a local specialty of Okayama, [K]ibi-dango has always meant both millet dumplings of the Momotaro story and a dumpling of the Kibi region. In Japanese language, words like this are often made from two homonymic words."
- ^ 新村, 出, ed (1991). 広辞苑 (4版 ed.). "【吉備団子】求肥(ぎゆうひ)を..丸め、白砂糖をまぶした団子..")
- ^ 吉備団子, , 日本大百科全書 (小学館), (2001)
- ^ a b c d e f g h i 岡 1986, pp. 142–144
- ^ a b c d 市川俊介『おかやまの桃太郎』 233巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2005年、83-85頁 。
- ^ a b c d e f g きびだんご・和菓子 廣榮堂本店 廣榮堂本店、2013年5月3日閲覧。
- ^ Kahara 2004, 42頁、脚注8
- ^ 武田 1895, p. 3
- ^ a b 太郎良裕子『岡山の和菓子』 209巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2001年、33頁 。
- ^ 武田 1895
- ^ a b 谷口澄夫『岡山県の歴史』児玉幸多監修、山川出版社〈<県史シリーズ>〉、1970年、64頁 。 ; 1984年、付録46頁。
- ^ 市川俊介『おかやまの桃太郎』 233巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2005年、83-85頁 。
- ^ 藤井駿 『吉備地方史の研究』 山陽新聞社、1980年、91-92頁。
- ^ a b c d 鈴木勇一郎 『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』 講談社、2013年、47-52頁
- ^ Kahara, Nahoko (2004). “From Folktale Hero to Local Symbol: The Transformation of Momotaro (the Peach Boy) in the Creation of a Local Culture”. Waseda Journal of Asian Studies 25: 35- .
- ^ 岡 1986, pp. 144。『山陽新報』に拠った市勢統計。
- ^ 水廼家, 隆成 (1901). “日本一の吉備団子”. 風俗画報 238.NDLJP:1579667
- ^ 加原 2011, p. 150、"現在,岡山の桃太郎伝説の三大根拠とされるのが,名物の吉備団子⑸と桃、そして、吉備津彦命の温羅退治伝説である"
- ^ “こんなに種類がある!!岡山土産の定番、「きびだんご」10選”. おか旅
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