みたらし団子
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 13:44 UTC 版)
みたらし団子(みたらしだんご、御手洗団子)は、砂糖醤油の葛餡をかけた串団子(焼き団子)である。
一般的な醤油味の焼き団子は「醤油だんご」を、岐阜県飛騨地方の醤油だんごについては「みだらしだんご」(濁点に注意)参照。
起源
みたらし団子の起源は、京都市左京区下鴨の下鴨神社が行う「御手洗祭」「葵祭」とされる[1]。これらの祭りの際に神前に供えるため、氏子の家庭で作られていた団子が、やがて境内の店で売られるようになり、名物になったという[1]。異説もあるが、境内(糺の森)にある御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して、この団子がつくられたとされる[1][2]。
この下鴨神社の団子は5玉刺しである[2]。これには次のような説がある。
- 鎌倉時代から建武政権期、後醍醐天皇が行幸の際、御手洗池(みたらしいけ)で水を掬おうとしたところ、1つ大きな泡が出て、続いて4つの泡が出てきた逸話による説がある[1]。この泡を模して、串の先に1つ・やや間をあけた4つの団子を差して、その水泡が湧いた様を表している[1]。
- 葵祭に先立って斎王代が禊をする際に湧き出した水の泡(水玉)を象ったものであるとする説がある[3]。また、団子が1つの後、間隔をおいて4つ通してあるのは、夏越の行事に由来するもので5つの団子は人の五体を表しており、下鴨神社には厄除けの人形紙にかえて団子を神前に供えて祈祷を受けてから持ち帰って食べる風習があり、これらの由来が合わさったものであるとする[3]。
その後、串団子は5玉刺しが全国に広まり、江戸では5文で販売されていたが、宝暦6年(1756年)に四文銭が発行されると4文銭1枚しか払わない客が増えたため、店側は苦肉の策で4個にした[2]。そのため関東地方の串団子は4個が主流となったとする説がある[2]。
味付けも、本来は醤油のつけ焼きだったものの、やがて葛餡かけになった[1]。
この団子に独特の味つけを施したのが、前述の下鴨神社の氏子であった菓子店・亀屋粟義の主人であった。この団子は、商品化された1922年頃には生醤油のみをつけて焼かれていたが、太平洋戦争後、黒砂糖を加え葛粉でとろみをつけた餡をからめる趣向が考え出され、製品化された団子は人気を得ることとなった[4]。他に、大正の頃に加茂みたらし茶屋の店主が醤油と黒砂糖を使ったたれを考え出し、これが好評を博し全国に広まったという説もある[5]。
変わり種
みたらし団子を変形させた和菓子として、葛餡をかけるのではなく、中に入れた製品がある。
また、富山市には黒砂糖の蜜をからめた「あやめ団子」がある[7]。店により使用する米粉の種類に違いがあるため食感も異なる[7]。団子は4つである。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 沢 1994.
- ^ a b c d “生涯学習情報 VOL.89”. 宇治市. p. 4. 2025年11月1日閲覧。
- ^ a b “京の門前菓子 9”. samco. 2025年11月1日閲覧。
- ^ 菊地武顕『あのメニューが生まれた店』(平凡社、2013年)54p
- ^ “みたらし団子発祥の地はどこ?【みたらし団子の起源や歴史をわかりやすく解説】”. でも、日本が好きだ。. 2024年2月15日閲覧。
- ^ “むか新(株式会社 向新)”. 泉佐野商工会議所. 2025年11月1日閲覧。
- ^ a b “菓子工業新聞 第1021号”. 全国菓子工業組合連合会 (2024年4月15日). 2025年11月1日閲覧。
参考文献
関連項目
御手洗団子
「御手洗団子」の例文・使い方・用例・文例
- 御手洗団子という,串ざしにした団子
御手洗団子と同じ種類の言葉
- 御手洗団子のページへのリンク
