フリーランスとしての活動
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「越中詩郎」の記事における「フリーランスとしての活動」の解説
2004年2月、越中は大森とともに炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)からNWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪取する。さらには三沢が社長を務めるプロレスリング・ノアにも参戦し、かつての平成維震軍の仲間だった齋藤彰俊と共闘し、越中と因縁の三沢との対戦も実現した。ZERO1-MAXやキングスロードへも参戦する。 2006年10月、天山広吉の呼び掛けで越中も真壁刀義らとG・B・Hを結成し、古巣の新日本プロレスで活躍を始めた。 2007年にはテレビ朝日の『アメトーーク!』内でのケンドーコバヤシによる越中のネタから、「越中ブーム」が発生。それも背景に同年5月2日、11年ぶりにIWGPヘビー級選手権試合に臨んだ。入場前の煽りVTRにより開場のボルテージはMAXに上がり、大越中コールの中で入場した越中は、感極まってすぐにはリングに上がることができず、あえてリングの周りを一周して、感情を整えてからリングインした。試合は王者の永田裕志に対し、越中がヒップアタックやパワーボム、侍ドライバー'84、ドラゴン・スープレックス・ホールド、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチといった、ジュニア時代から現在までの大技を遺憾なく披露し、入場時と同じ大越中コールの中、ベルト奪取まであと一歩のところでバックドロップ・ホールドに散った。試合後の記者の呼び掛けには、一言だけ、「サンキュー。サンキューな」と答えた。その後、このセリフは当時共闘していた真壁が、2009年にG1を初制覇したときにファンへの感謝の気持ちを述べる際に使用して話題を呼んだ。そのため、現在では真壁の名ゼリフとして扱われることの方が主となっている。 2007年8月に蝶野正洋の誘いにのってG・B・Hを離脱した。越中は蝶野、長州力らと「レジェンド」を結成した。(レジェンドは、2010年の蝶野の新日本退団まで続いたが、その後は自然消滅または休眠状態。) 2008年に後楽園ホールで行われた『ハッスル・ツアー2008~7.11 in KORAKUEN』からハッスル参戦を表明。日本代表として出場した『ハッスルGP2008』においてザ・モンスター℃を下し、ハッスルデビュー戦を白星で飾った。 2009年8月27日に行われたハッスル主催『越中詩郎デビュー30周年記念大会』では、新日本の永田、ライガーと組み天龍、川田利明、TAJIRI組と対戦。試合は15分18秒、越中がTAJIRIを高角度パワーボムからのエビ固めで破って勝利。試合後、ファンと共にデビュー30年を振り返った。 2011年5月、3月に晴れてプロレスデビューした橋本真也の長男の橋本大地を相手にタッグマッチを行い、越中も「お前の父ちゃんにしこたまやられたんだ!」とマイクでコメントし、実力差をまざまざと見せつけた。 2012年6月13日、ノア主催三沢光晴メモリアルナイトのメインイベントに登場。森嶋猛とダブルヒップアタックを見せる等の活躍を見せたが、試合中に左足首脱臼骨折を負い長期欠場に入った。 2013年、35周年を迎える。7月7日、ノアの有明コロシアム大会で1年ぶりに復帰した。
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