フリーランスへの転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 10:00 UTC 版)
「シャーク土屋」の記事における「フリーランスへの転身」の解説
1998年、土屋はFMWを離脱した。主にLLPW、GAEA JAPANを主戦場とし、神取忍や長与千種といった絶対的ベビーフェイスに対抗する選手として活躍した。やがてLLPWのイーグル沢井が率いる「平成GUREN隊」、Jd'のライオネス飛鳥が率いる「裁恐軍」と合体して「平成裁恐猛毒GUREN隊」を結成しFMW・Jd'で大活躍を見せた。土屋もこの時期、冬木弘道ら男性レスラーとも対戦して話題を集めた。2000年には、DDTのアイアンマンヘビーメタル級王座(第46代)を獲得している。 2003年にはJWPに定期参戦し、土屋は当時フリーだった倉垣翼とも「猛毒隊」として共闘するが、しばらくしてから「猛毒隊」は解散となった。2004年11月3日のGAEA JAPANの後楽園ホール大会では現役復帰した伝説のヒール・ダンプ松本とタッグを結成してクラッシュ2000と対戦し、流血の試合を展開した(長与千種&○ライオネス飛鳥&永島千佳世 vs ダンプ松本&●シャーク土屋&ZAP・T)。 その後も、土屋は整体関係の仕事をしつつもプロレスラーとして活動し、2010年にはFMWを復活させた「スーパーFMW」に参戦していた。 だが2015年8月、土屋は高熱が続くなど体調不良を訴えて埼玉県越谷市内の病院に入院、1型糖尿病と診断された。下肢血流障害のために右足の指を3本切断したが、その後右足膝下からの離断に至ったため義足を使用している。さらには乳癌が見つかり、右乳房全摘出術を受けた。それ以後、土屋はリハビリを行っていたが最終的にプロレスラーとしての活動を断念し、2016年11月8日に現役引退を表明した。 2016年11月24日、超戦闘プロレスFMW後楽園ホール大会で土屋の引退セレモニーが行われた。
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