アポロ計画とは? わかりやすく解説

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アポロ‐けいかく〔‐ケイクワク〕【アポロ計画】


アポロ計画 Apollo Program

アメリカ宇宙計画1961年5月ケネディ35大統領宣言により開始された。この計画七つ段階分けられ、1~6段階無人飛行技術的要素を含むテストが行われた。1969年7月16日アームストロングコリンズオルドリンの3飛行士アポロ11号乗り込みサターン5型ロケットで月に向かい7月20日アームストロング月面人類最初第一歩印した。「これは一人人間にとっては単なる一歩だが、人類にとっては偉大な第一歩である」は、彼が月面着地した時の言葉である。11号続いてコンラッドビーンゴードン12号に、シェパードミッチェルルーサ14号に、スコット、アーウイン、ウオードンが15号に、ヤングデューク、マティーンが16号に、そしてサーナンシュミットエバンス最後17号搭乗して月面着陸した。アポロ計画で1972年12月終了するまでに合計400kg近い月面岩石土壌収集され膨大な量の写真月面軌道上から撮影された。また、宇宙線太陽風検出を含むさまざまな実験観測月面行われたアポロ宇宙船は、一人乗り司令船Command Module)、機械船Service Module)および二人乗り月着陸船Lunar Module)からなっていた。

アポロ計画

12人の宇宙飛行士を月へ送り出したアポロ計画の始動

「アポロ計画」は、本来、有人宇宙船月軌道上にのせる計画でした。しかし、1961年ケネディ大統領(当時)の演説により、月面有人宇宙船着陸成功させる計画変更されました。アポロ計画では最後17号まで合計6回の月面着陸成功し12人の宇宙飛行士月面送りました

人類が月におり立つ(アポロ11号)
人類が月におり立つ(アポロ11号)

アポロ宇宙船を打ち上げた、全長110mのサターンロケット

アポロ宇宙船は、サターンV型ロケット打ち上げられました。全長110m、最大直径10m、打上げ重量2941tのロケットで、月までの往復77km飛行できる能力ありましたアポロ宇宙船司令船機械船月着陸船3つの部分分かれており、ジェミニ計画蓄積した技術をもとに、自力軌道修正できる制御ブースター備え付けていました

サターンロケットの打ち上げ(アポロ11号)
サターンロケット打ち上げ(アポロ11号)

「人類の偉大な一歩」を記録したアポロ11号の月面着陸

1969年7月20日午後4時18分、ニール・アームストロング船長エドウィン・オルドリン飛行士は、月着陸船イーグルで「静かの海」に着陸しました。人類ではじめ地球以外の天体到達したのです。人類としてはじめ月面立ったアームストロング船長第一声は、「これは1人人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」でした。2人月面21時間36滞在し月の石などの資料収集したのち、無事に地球帰還しました。

月面活動をおこなうオルドリン飛行士。向こう側に見えるのはアポロ11号の月着陸船。
月面活動をおこなうオルドリン飛行士向こう側見えるのはアポロ11号月着陸船

月面にしるされた人類の偉大な一歩
月面しるされ人類偉大な一歩

司令船の爆破事故を克服したアポロ13号、奇跡の生還

1970年4月11日打ち上げられアポロ13号は、月へ向かう途中司令船酸素タンク爆発するという事故を起こしました被害電気生命維持装置などにおよび、飛行士の命にもかかわる大事故でした。船内飛行士地上NASAクルーとの綿密な連携奮闘で、アポロ13号は、月面への着陸あきらめ月の軌道回ったのち、6日後に無事、地球帰還しました。この奇跡生還は、『アポロ13』という映画にもなり、大ヒットしました

無事に帰還したアポロ13号の宇宙飛行士たち。先頭はジム・ラベル船長。
無事に帰還したアポロ13号宇宙飛行士たち。先頭ジム・ラベル船長


アポロ計画

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アポロ計画(アポロけいかく、Apollo program)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初のへの有人宇宙飛行計画である。1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功した。


注釈

  1. ^ 初期には月周遊船 (Lunar Excursion Module, LEM) とも呼ばれていた。
  2. ^ アポロに比べて貨物や乗員が地表に近いスペース・シャトル計画では、大量の水を散布して音響を抑制する方式が採用され、現在のスペース・シャトルでも継続して使用されている。Cf. Sound Suppression Water System

出典

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アポロ計画

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ケネディ宇宙センター」の記事における「アポロ計画」の解説

詳細は「アポロ計画」および「アポロ計画の一覧」を参照 1967年から1973年までを通してサターンV型ロケット13打ち上げられた。このうち10回はアポロ7号に続くアポロ計画のミッションよるものだった。2回の無人飛行のうち、1967年11月9日打ち上げられ最初アポロ4号 (AS-501) は、ケネディ宇宙センターから打ち上げられ最初ロケットでもあった。サターンV型ロケット最初有人打ち上げは、1968年12月21日行われたアポロ8号月周回軌道投入ミッションだった。その次の二つミッション地球周回したアポロ9号月周回軌道乗ったアポロ10号)では、アポロ月着陸船テストされた。アポロ11号1969年7月16日射点39Aから打ち上げられ同年7月20日人類初の月面着陸成し遂げたアポロ12号その4か月後に続いた1970年から1972年までの間に、アポロ計画はケネディ宇宙センターにて13号から17号までのミッション打ち上げが行われて締めくくられた。

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アポロ計画

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ニール・アームストロング・オペレーション・アンド・チェックアウト・ビルディング」の記事における「アポロ計画」の解説

ジェミニアポロ時代宇宙船製造工程処理するために1964年最初に建てられたときは、有人宇宙船・オペレーション・ビルディングとして知られていた。シャトル計画中にオペレーション・アンド・チェックアウト・ビルディング改名され非公式には O&Cとして知られている。

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アポロ計画

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サターンロケット」の記事における「アポロ計画」の解説

詳細は「アポロ計画」を参照 1961年5月行われたケネディ大統領演説によりNASA1960年代末までに月へ宇宙飛行士送り込むことになった設計似ており一部部品供給できるNovaロケットサターン両方ロケットがこの計画検討された。結局早期生産可能で大部分部材空輸することが可能なサターンロケットの案が選ばれた。Novaロケット主要な全ての段の生産為に新しく工場建設する必要があり、期限内に完了できない深刻な懸念があった。サターンロケット提案された1段目の生産新し工場一つだけ必要でそれが選択され理由だった。 サターン C-5, (後に名称はサターン Vになる)はシルバースタイン委員会の構成において最も強力で最も転換可能な設計として選択された。当時ミッションはまだ選択されていなかったので十分な出力供給されるように彼等は最も強力なロケットの設計選んだ。 これは賢明な判断だった事が証明された。月軌道ランデブー最終的に選ばれ必要な打ち上げ重量削減されたが、C-5の余分な打ち上げ能力の向上は宇宙船重量密かな増加にとても有用だった。 この時点において3段全て設計図のみに存在し、それらの実現にはロケット試験よりも以前月探査機開発され試験される可能性高かったNASA既存レッドストーンロケットジュピター燃料タンク技術流用した1段目と既に開発中の上ロケット組み合わせたC-1(後のサターンI)の開発試験機として継続する事を決めた。これによりS-IV試験同様にカプセルや他のコンポーネント試験低軌道実施する事が出来ようになった最終的に使用されサターンロケット: サターンI - 10機が打ち上げられ、1段目にはS-I使用され後にS-IV使用された。 サターンIB - 9機が打ち上げられた。サターンI改良型で1段目により強力なS-IB使用されサターンVでは2段目にS-IVB使用された。後にスカイラブアポロ・ソユーズテスト計画でも宇宙飛行士送り込む為に使用された。 サターンV - 12機が打ち上げられ宇宙飛行士を月へ送り込んだサターン INT-21 - スカイラブ打ち上げ使用された。

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アポロ計画

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有人宇宙飛行」の記事における「アポロ計画」の解説

詳細は「アポロ計画」を参照 アポロ計画とは、人類を月へ送る計画である。人類を月へ送るための機材打ち上げるには、それまで打ち上げロケットとして使っていた、大陸間弾道ミサイル改良した物では不足であったアメリカは新ロケットであるサターンV型ロケット開発しその先端にアポロ宇宙船取り付け打ち上げた。そして1969年7月16日アポロ11号から切り離され月着陸船月面着陸人類は月の地面踏んだ人類を月に送った事は人類新たなる一歩意味しアメリカソ連との宇宙開発競争アメリカ劇的な勝利をもたらした

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アポロ計画

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トーマス・スタッフォード」の記事における「アポロ計画」の解説

1966年8月から1968年10月まで、スタッフォードはアポロ計画に向けたミッション立案ソフトウェアの開発率いたスタッフォードは、最初月面着陸以降ミッション支援するグループのリーダーだった。彼は月軌道に入るためのサターンロケットの手操作理論示したまた、スタッフォードNASA宇宙飛行へのカラーテレビ導入にも主導的な役割果たしたアポロ10号には白黒テレビ積まれる計画だったが、スタッフォードは、税金払っているアメリカ国民と、彼らのミッション美しさ共有することを決定したウェスティングハウス・エレクトリックによるカラーテレビ開発彼の関心をひき、1969年初頭デモ見たことで、彼はNASAカラーテレビ採用訴えたNASAカラーテレビがいかに宣伝になるかを認め以降ミッションではカラーテレビ標準となったスタッフォード1969年5月アポロ10号機長務めた。このミッションでは、初めてのアポロ月着陸船飛行初めての月ランデブーが行われた。また、アポロ11号のために未来着陸地点調査評価が行われた。 アポロ10号は月からの帰還の際に24,791 mph (39,897 km/h) の速度達しスタッフォード同僚ジョン・ヤングユージン・サーナン最高対地速度記録保持者としてギネス・ワールド・レコーズ掲載されている。 スタッフォード1969年6月からアポロ計画とスカイラブ計画宇宙飛行士を選ぶ責任者となった。彼は宇宙飛行士候補訓練レポート目を通しNASA宇宙飛行士調整スケジュール全ての活動コントロール責任持った1971年6月スタッフォードNASA有人宇宙飛行センター宇宙飛行士プログラム立案実行宇宙船操作乗組員融和訓練等の責任者となった。また1971年、彼は失敗したソユーズ11号乗組員付添い人務めた

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アポロ計画(1967年)

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宇宙飛行士一覧」の記事における「アポロ計画(1967年)」の解説

アポロ計画の頃に主な業績打ち立てている宇宙飛行士ニール・アームストロング 1966年3月16日初飛行ジェミニ8号)。アポロ11号船長として1969年7月19日人類初め月面立ったエドウィン・オルドリン 1966年11月11日初飛行ジェミニ12号)。アポロ11号パイロットとして1969年7月19日人類初め月面歩行行ったジム・ラヴェル 1965年12月4日初飛行ジェミニ7号)。1970年4月11日打ち上げられアポロ13号船長として特に知られる1973年スカイラブ計画が始まる以前時点では、宇宙空間滞在した時間が最も長い宇宙飛行士だった。 ユージン・サーナン 1966年7月3日初飛行ジェミニ9号)。1972年12月、アポロ計画最後宇宙船アポロ17号船長務め、現在、月に「最後に着陸した人物である。

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アポロ計画

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ニール・アームストロング」の記事における「アポロ計画」の解説

1967年1月27日ニールはディック・ゴードン、ジム・ラベルスコット・カーペンターとともにワシントンD.C.開催され国際連合宇宙条約交渉出席していた。彼らはそこで、各国高官たちと午後6時45分まで歓談したその後カーペンター一人空港向かい残りの者たちがホテル帰ると、「ただちに有人宇宙センター電話せよ」とのメッセージ届いていた。そこで初めて、ガス・グリソムエドワード・ホワイトロジャー・チャフィーの3名が、アポロ1号火災事故死亡したことを知らされのである。彼らはその夜スコッチウィスキー飲みながら、この事態について遅くまで討論し合った1967年4月5日1号火災事故に関する調査結果報告会開かれニールディーク・スレイトン17人の飛行士とともに出席した冒頭でスレイトンは「最初に月面降り立つ男は、この部屋中にいる者たちの中の誰かである」と述べたユージン・サーナン飛行士によればニールはこれを聞いても特に何の反応も示さなかったという。彼にとってみれば、今ここに集まっているのはジェミニ計画のベテランパイロットばかりであり、月に行く能力持っているのは自分たちを置いて他にはいないと確信していたことは想像に難くない。スレイトンは今後のアポロ計画の予定についても説明しニール9号バックアップ・クルー任命した。なおこの時点では、9号アポロ司令・機械船および月着陸船による、高軌道試験飛行行なう予定だった。その後着陸船開発の遅れにより8号9号搭乗員交替したが、11号では予定どおりニール船長務めることになったベル・エアクラフト社は飛行士たちに着陸船操縦技術習得させるために、月着陸研究機(後に月着陸練習機変更される)を開発した。「寝台」というあだ名つけられたこの機体は、ターボファンエンジン使用し地球6分の1の月の重力再現するのだった1968年5月6日訓練で、ニール地上30mから降下試みたとき、とつぜん機体傾きはじめた。ただちに射出座席脱出したためことなき得たが、後の分析ではもし脱出するタイミングがあと0.5遅れていたらパラシュートが開くのが間に合わなかったかもしれなかったと言われている。この時彼が負った傷は舌をかんだことだけだった危うく命を落とすところだったにもかかわらずニールは「研究機や練習機操縦者着陸船様々な特性経験させるために有効であり、これがなければ月面着陸成功しなかっただろう」と述べている。

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アポロ計画

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ジョン・ヤング (宇宙飛行士)」の記事における「アポロ計画」の解説

ヤングはアポロ計画の最初有人飛行であるアポロ7号バックアップ乗組員として割り当てられた。アポロ7号ウォーリー・シラードン・アイズルウォルター・カニンガム搭乗し1968年10月11日打ち上げられた。 ヤングアポロ10号司令船パイロットとして割り当てられた。アポロ10号での使命二度目の月周回及び月軌道上で着陸船テストであったアポロ10号1969年5月18日トーマス・スタッフォード船長)、ユージン・サーナン月着陸船パイロットと共にサターンVロケットによって打ち上げられたものの、ヤング司令船パイロットであったため、月着陸船テスト飛行行わず1969年5月26日無事地球帰還したヤングその後アポロ16号船長として割り当てられた。アポロ16号では、司令船パイロットケン・マッティングリー、月着陸船パイロットチャールズ・デュークと共に1972年4月16日サターンVロケットによって打ち上げられた。打ち上げ後地球を3周した後、月へと向かい3日で月へと到着した一時司令船に異常が見られ月着陸危ぶまれたが、この不調によるリスク少ないと判断されヤングデューク着陸許可下された。しかし、安全のためミッションは、1日短縮された。ヤングデューク搭乗したアポロ16号月着陸船オライオン4月21日デカルト高地着陸した月面には約71時間滞在し3回船外活動行った船外活動では1度目7時11分、2度目7時23分、3度目は5時間40分の20時間14分に渡って行われたまた、アポロ16号アポロ15号続いて月面車使用するミッションでもあった。アポロ16号は計94.7kgの月の石などの月面標本地球持ち帰ったその後司令船ドッキングして、地球へ帰還し4月27日太平洋上に着水した。 アポロ計画で2度月に行った飛行士は、ヤングジム・ラヴェル8号13号周回のみ)、ユージン・サーナン10号17号17号月面着陸)の3人のみである。

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アポロ計画

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エセックス (空母)」の記事における「アポロ計画」の解説

エセックス」は1967年行われたアポロ1号において、宇宙飛行士収容して回復される母艦として使われる予定だった。計画では、14日間周回の後にプエルトリコ北方海上1967年3月7日着水予定されていた宇宙飛行士収容する予定だった。しかし、打ち上げ予定宇宙船AS-204 は1月27日訓練中の事故炎上し宇宙飛行士3名が死亡したので任務行われなかった。この後、「エセックス」は1968年10月行われたアポロ7号で再び母艦として起用され10月22日プエルトリコ北方海上アポロ7号クルーを無事収容したその間1968年5月25日には、ノルウェー海航行中に、旧ソ連海軍ツポレフ Tu-16による威力偵察を受ける、Tu-16は「エセックスに対して異常接近エセックス飛行甲板と同じ高さほどを低空飛行行っていたが、Tu-16は「エセックス」の近く墜落した。 「エセックス」は1969年6月30日ボストン港にて退役した1973年7月1日除籍され1975年6月1日防衛再利用マーケティングサービス(Defense Reutilization and Marketing Service, DRMS)によってスクラップとして売却されニュージャージー州カーニーにて解体された。 「エセックス」は殊勲部隊章与えられる9隻の空母のうちの一隻であり、第二次世界大戦戦功13従軍星章を、朝鮮戦争戦功海軍部隊栄誉章3つの従軍星章受章したベトナム戦争には参加しなかった。

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アポロ計画

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ウォルター・シラー」の記事における「アポロ計画」の解説

詳細は「アポロ7号」を参照 1966年半ばシラーは、ドン・エイゼルウォルター・カニンガムとでチーム組みアポロ1号と同じミッションプロファイルで、アポロ宇宙船2回目有人飛行テストを行う際の船長務めることになったシラーは同じミッション2度繰り返すことに反対し、シラーチームガス・グリソムエドワード・ホワイトロジャー・チャフィーアポロ1号予備乗組員となったシラーチーム1967年1月26日にコマンドモジュールでテスト行い翌日ヒューストンに向かう途中でグリソムアポロ1号乗組員テスト中の火災死亡したシラーチームは、初の有人飛行メイン乗組員となった。これは改訂されミッション番号計画ではアポロ7号となり、司令船安全性改善するために1968年秋まで延期された:180–193シラーは、マクドネル・エアクラフト社の社員であるギュンター・ウェントを、宇宙船打ち上げ準備担当するパッドリーダー(発射台責任者)として迎えたことで、安心感得ていた。しかし、アポロ請負業者がノースアメリカン・エイヴィエーションになったことで、ウェントはパッドリーダーではなくなった。アポロ1号事故の後シラー自分アポロ飛行のパッドリーダーはウェントなければならない強く感じドナルド・スレイトンノースアメリカン社打ち上げオペレーションマネージャーであるバスティアンバズ)・ハロー説得してウェントアポロ7号のパッドリーダーとして採用したウェントは、残りのアポロ計画とスカイラブ計画においてパッドリーダーを務めスペースシャトル計画にも参加した後に引退した:195アポロ7号1968年10月11日打ち上げられシラー3度宇宙行った初の人間となった打ち上げ時、ロケット打ち上げ1分以内初期段階問題発生して飛行中止するには危険な強風吹いていることからシラー打ち上げ反対していたにも関わらず管制官発射強行したことから、管制官シラーとの間に確執生まれることとなった軌道到達したアポロ7号宇宙船は、S-IVBとの宇宙ランデブーおよびドッキング訓練行いアポロ月着陸船回収シミュレートした。ミッション2日目には、乗組員宇宙船の中から初めテレビ生中継行った:199203ミッション中、シラー風邪をひいてしまい、それをドン・エイゼル伝えたシラーは、密閉され宇宙服の中で鼻づまり起こすことを想定して再突入時にヘルメット被らないことを管制官提案したクリス・クラフト英語版)とドナルド・スレイトン再突入時のヘルメット着用要求したが、アポロ7号乗組員3人はこれを拒否しヘルメットなしで再突入行ったアポロ7号1968年10月22日バミューダ南東着水した:206209シラーアポロ7号打ち上げ前に、この飛行最後に宇宙飛行士引退することを決めており、1969年7月1日NASA宇宙飛行士引退したシラー宇宙飛行士として最後の任務は、ニール・アームストロング月面着陸調査車の墜落事故調査だった。シラーは、その原因機械的な故障とし、同車使った訓練中止勧告した:208,211,216同日付けアメリカ海軍退役した最終階級大佐(Captain)だった。

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アポロ計画

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直接上昇」の記事における「アポロ計画」の解説

アポロ計画は当初直接上昇使用されるという仮定基づいて計画された。これは、あらかじめ月に直接着陸するための着陸モジュール取り付けられており、尾から先に着陸し、また月から発射され地球に戻る方法である。3人乗りアポロ宇宙船を月に直接打ち上げるために、サターンC-8英語版)またはNOVAロケットいずれか巨大ロケット開発する必要があった。NASA検討した他の2つオプションでは、サターンC-4英語版)またはC-5のいずれかのやや小型ロケットが必要であった。これらは地球軌道ランデブーであり、軌道上直接着陸および帰還船を組み立てるために少なくとも2回の打ち上げが必要であった月軌道ランデブーLOR)は、月軌道地表の間を飛行するための小型2人用月着陸船搭載していた。LORは、アポロ成功裏使用され戦略であったソビエト連邦は、いくつかの直接上昇戦略検討していたが、最終的にNASA同様の1人LK着陸船備えた2人用ソユーズ宇宙船方法落ち着いたソビエト1969年2月21日7月3日N1ロケット打ち上げたが、どちらも失敗している。1969年7月16日NASAアポロ11号打ち上げられ1969年7月20日最初乗務員による月面着陸成功させた。ソビエト1972年1974年N1打ち上げをさらに2回試みたが、どちらも成功しなかった。ソビエトエンジニアリングOKB-52(英語版)は、直接上昇LK-700(英語版)船用のUR-700モジュラーブースターの開発続けたSF映画Destination Moonなどでは、直接上昇ミッション頻繁に描かれている。

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