ルナ1号
名称:ルナ1〜24号
小分類:月探査
開発機関・会社:ソ連
運用機関・会社:ソ連
打ち上げ年月日:ルナ1号(1959年1月2日)/ルナ2号(1959年9月12日)/ルナ3号(1959年10月4日)/ルナ4号(1963年4月2日)/ルナ5号(1965年5月9日)/ルナ6号(1965年6月8日)/ルナ7号(1965年10月4日)/ルナ8号(1965年12月3日)/ルナ9号(1966年1月31日)/ルナ10号(1966年3月31日)/ルナ11号(1966年8月24日)/ルナ12号(1966年10月22日)/ルナ13号(1966年12月21日)/ルナ14号(1968年4月7日)/ルナ15号(1969年7月13日)/ルナ16号(1970年9月12日)/ルナ17号(1970年11月10日)/ルナ18号(1971年9月2日)/ルナ19号(1971年9月28日)/ルナ20号(1972年2月14日)/ルナ21号(1973年1月8日)/ルナ22号(1974年5月29日)/ルナ23号(1974年10月28日)/ルナ24号(1976年8月9日)
運用停止年月日:ルナ2号(1959年9月14日)/ルナ3号(1960年4月20日)/ルナ5号(1965年5月12日)/ルナ6号(1965年6月9日)/ルナ7号(1965年10月7日)/ルナ8号(1965年12月6日)/ルナ9号(1966年2月6日)/ルナ10号(1966年5月30日)/ルナ11号(1966年10月1日)/ルナ12号(1967年1月19日)/ルナ13号(1966年12月22日)/ルナ14号(月軌道周回中)/ルナ15号(1969年7月21日)/ルナ16号(1970年9月24日)/ルナ17号(1971年10月4日)/ルナ18号(1971年9月11日)/ルナ19号(月軌道周回中)/ルナ20号(1972年2月25日)/ルナ21号(1973年5月)/ルナ22号(1975年9月2日日)/ルナ23号(1974年11月6日)/ルナ24号(1976年8月22日)
打ち上げ国名:ソ連
打ち上げロケット:ルナ1号〜3号・A-1/ルナ4号〜14号・A-2-e/ルナ15号〜24号・D-1-e(プロトン)
打ち上げ場所:バイコヌール宇宙基地(チュラタム射場)
ルナ(ロシア語で月のこと)は、ソ連が月に送った探査機のシリーズの名前です。ルナ1号は初めて地球外の宇宙空間に飛び出した探査機で、月から6,000kmのところを通過して、太陽を回る軌道に入りました(最初の人工惑星)。ルナ2号は月に命中、人類史上初めて他の天体に到達した人工物体となりました。ルナ3号は、地球からは見ることのできない、月の裏側の写真を撮影して電送してきました。ルナ4号と6号は月面に観測装置を降ろすことを意図していましたが月を外れ、5号、7号、8号はいずれも減速に失敗して月面に激突。ルナ9号がようやく、どんぐり型のカプセルを月面に半軟着陸させるのに成功、月面のパノラマ写真を送信してきました。ルナ10号は月の衛星軌道に入り、初めて地球の孫衛星となりました。ルナ11号、12号、14号も月衛星になり、13号は着陸に成功しました。
ルナ15号は、アポロ11号の月着陸の直前に無人で月の土壌を持ち帰ろうとして失敗しました。しかしルナ16号は月の豊かの海に着陸、遠隔操作でカプセルに月の土壌標本100gを積んでから月を離陸、地球に持ち帰るのに成功しました。ルナ17号は、8輪の無人月面車ルノホート1号を月面に降ろし、ルノホート1号は月面を調査しながら10km走り回りました。ルナ18号は着陸を試みて失敗、ルナ19号、22号は月衛星です。ルナ20号は50gの標本を持ち帰りました。また、ルナ21号はルノホート2号を降ろし、ルナ23号は月に降りましたが標本採取に失敗、ルナ24号は170gの標本を持ち帰るのに成功しました。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
ルナ1号:直径1.2mの球形。重量は390kgです。
2.どんな目的に使用されたの?
ルナ1号:月および月と地球の間の空間の磁場、放射線、微小隕石の観測です。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
ルナ1号:月に磁場と放射線帯が存在しないことを確認しました。
4.打上げ・飛行の順序はどうなっているの?
ルナ1号:直行軌道で月へ。月面到達を意図しましたが、月から5,955kmを通過。太陽周回軌道に入り、最初の人工惑星となりました。
ルナ1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 06:52 UTC 版)
ルナ1号 | |
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ルナ1号の複製 | |
所属 | ソビエト連邦 |
国際標識番号 | 1959-012A |
カタログ番号 | 00112 |
状態 | 運用終了 |
目的 | 月探査 |
観測対象 | 月 |
打上げ機 | R-7ロケット (ボストーク8K72) |
打上げ日時 | 1959年1月2日 |
最接近日 | 1959年1月4日 (月より5995 kmを通過) |
質量 | 361 kg |
姿勢制御方式 | スピン制御 |
ルナ1号は、1959年に打上げられたソ連の月探査機である。世界初の月衝突を目指したが、それには失敗し月近傍を通過するに終わった。
概要
ソ連は1957年のスプートニク1号打上げ以来、宇宙開発を積極的に進めていた。宇宙開発競争の一環として、月を目標とし、1958年以降は月へ探査機を着陸・衝突させることを目的としたルナ計画を行っていた。
月を目指す打上げは、1958年に3回失敗し、4回目のルナ1号において、公表に足る成果を得ることが出来た。1959年1月2日に打上げられたルナ1号は、月着陸まで至らなかったものの、1月4日に月近傍5,995 kmを通過し、人類初の人工惑星となった。月面到達に失敗したとはいえ、当時ソ連が既に月を超える軌道へ人工物を送り込む能力を有するロケットを擁することが実証された意義は大きかった。
設計と飛行
探査機の全体的な形状は球状をしており、そこから5つのアンテナが突出していた。無線機は19.993 MHz(シグナル送信用)・183.6 MHz(追跡用)・70.2 MHzの3つの周波数を使用した。ソビエト連邦の紋章に加え、観測装置として磁力計・ガイガーカウンター・シンチレーション検出器・流星塵検出器などを搭載した。電力は水銀電池と酸化銀電池により供給された。探査機本体に推進システムは搭載していなかった[1]。同型機としてルナ2号が存在する。
ルナ1号は1959年1月2日16時41分21秒(UTC)にバイコヌール宇宙基地より打上げられた[2]。打上げロケット第3段と共に脱出速度まで加速後、ロケットより分離された。
1月3日、地球より11万3000 kmの距離まで飛行したルナ1号は、搭載していた1 kgのナトリウムを放出した。気化したナトリウムの航跡は地球上から6等級の明るさで観測出来、宇宙空間における気体の振る舞いに関する研究に役立てられた[1]。
1月4日、ルナ1号は月より5995 kmの距離を通過し、地球と火星間を公転する太陽周回軌道へ入った。打上げより月接近までの飛行時間は34時間であった[1]。なお、打ちげロケット第3段も、ルナ1号と並走して太陽周回軌道へ達した。ルナ1号の軌道要素は、1959年1月1日19時を元期として近日点距離0.98 au・遠日点距離1.32 au・公転周期450日・軌道傾斜角0.01度である[2]。
参考文献
- ^ a b c “General information on Luna 1”. NASA NSSDC. 2017年7月6日閲覧。
- ^ a b “Launch/Orbital information for Luna 1”. NASA NSSDC. 2017年7月6日閲覧。
固有名詞の分類
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