月探査
月の大きさは地球の約1/4、重さは約1/81
月は地球からいちばん近いところにある天体で、大気も水もありません。地球からの距離は約38万km。赤道のまわりを10周したくらいの距離にあたります。また、大きさは赤道直径が約3,476kmで地球の約1/4、重さは地球の1/81ほどしかありません。月は地球の衛星で、地球のまわりを1公転するあいだに、1自転します。自転も公転と同じ27.32日の周期なので、地球からはいつも同じ面しか見ることができません。
地球にとって身近な存在の月はほぼ全容が解明されている
月は地球から38万kmという手ごろな距離にあるため、人類の宇宙開発の大きな目標として探査活動が進められてきました。多くの探査機が月周辺や月面に到達し、また12名の人間が実際に月面におり立ち、探査活動をおこないました。月の表面は59%まで地上から観測することができます。1959年に旧ソ連のルナ3号が月の裏側を撮影したのをはじめ、各種の探査機によって、ほぼ月面の全地図が作成されています。また、アポロ計画により採取された月面の岩石の分析により、その化学組成は本質的には地球とあまり変わらないことがわかり、月の起源の研究に大きく貢献しました。
月着陸、無人月面探査ではアメリカに先んじていた旧ソ連
はじめに月面に到着したのはアメリカではなく、旧ソ連でした。1959年9月、ルナ2号は見事に月面に命中しました。続く3号は月の裏側を撮影し、この時点では完全にアメリカに先んじていました。その後は、9号(1966年)では月面軟着陸、10号(1966年)では月の孫衛星探査、16号(1970年)では無人で月の土を採集して地球に帰還しました。さらに、17号(1970年)に搭載された自動月面車ルノホートが行動半径を大幅に広げました。また、旧ソ連は1964年から1970年にかけてゾンドという無人探査機を打ち上げています。1965年の3号までは惑星探査用のものだったらしいのですが、1968年の4号から8号までは5~6tもの月探査機で、明らかに月への有人飛行の準備であったと考えられています。しかし、これはアメリカのアポロに先を越されて中止されてしまいまいた。
有人飛行を想定したサーベイヤー、ルナ・オービタで旧ソ連を逆転
旧ソ連のルナ3号が月の裏側の写真を撮った直後、アメリカはレインジャー計画を確定しました。レインジャーは1964年の6号でやっと月面に到達、続く7、8、9号ではそれぞれ数1,000枚の写真撮影に成功し、月面のようすをしだいにあばいて1965年にプロジェクトを終了しました。さらにアメリカは、旧ソ連のルナ9号が1966年に月面軟着陸をはたしたのち、サーベイヤーという3本脚の探査機で同年5月に軟着陸に成功しました。この計画は1968年の7号まで続けられました。また、孫衛星においても旧ソ連に遅れること5ヵ月、1966年8月にルナ・オービタという探査機で追いつきました。このシリーズは、サーベイヤー計画とともに月の土壌分析や月面の詳しい撮影をおこない、隕石(いんせき)の危険性についても調査を重ね、マーキュリー、ジェミニなどの有人飛行の訓練とあいまってアポロの快挙につながりました。
宇宙航空研究開発機構がルナA計画と月面車探査計画を予定
日本の宇宙科学研究所(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))では、1990年1月にスイングバイ衛星ひてんを打ち上げ、あわせて孫衛星はごろもを月周回軌道に投入することに成功しました。このことにより日本の月探査に先鞭(せんべん)をつけるとともに、外惑星探査にとって欠かせないスイングバイ技術を習得しました。また、宇宙航空研究開発機構では月周回軌道上から2機のペネトレータを放出し、月面に命中させて内蔵の地震計と熱流量計のネットワークによって約1年間にわたって月の内部構造をさぐるルナA計画を進めています。さらに、2005年には、アポロ計画以来となる日本の大型月探査計画「セレーネ計画」が 実施される予定です。また、月面車や着陸機を利用した将来的な月探査についても検討が進められています。
月探査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/09 00:02 UTC 版)
本記事では物理的な月探査(つきたんさ、Exploration of the Moon)について解説する。
- ^ Buisiness Insider「ただの着陸ではない ── 中国の「月の裏側」探査が世界を震撼させたワケ」
- ^ トリビア(雑学) - 物理的探査以前は、月について調べるには地球からの観測によるしかなかった。ティコ・ブラーエは肉眼ですぐれた天体観測を行った。一般的に、ガリレオ・ガリレイは天体観測目的で望遠鏡を使用した最初の人物とされ、1609年に望遠鏡を製作し、それを使って月面の山やクレーターを観測した。光学望遠鏡の発明により、月観測の質は飛躍的に高まった。
- ^ a b c d e f g “The Galileo Project”. 2007年9月14日閲覧。
- ^ Энциклопедия для детей (астрономия). Москва: Аванта+. (1998). ISBN 5-89501-016-4
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- ^ “How We'll Get Back to the Moon”. NASA. 2006年3月20日閲覧。
- ^ Staff Writers (2004年11月4日). “Competition heating up for Moon exploration”. IOL. 2008年1月25日閲覧。
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- ^ Joongang Ilbo (2017年11月8日). “【コラム】政争の中で袋叩きにあった韓国宇宙開発”. 中央日報. 2018年8月26日閲覧。
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- ^ “Google Sponsors Lunar X PRIZE to Create a Space Race for a New Generation”. X PRIZE Foundation. 2009年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月13日閲覧。
月探査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:53 UTC 版)
詳細は「嫦娥計画」を参照 2004年2月、中国は公式に月探査計画の実施段階に入る。中国国家航天局の局長孫来燕によると、中国の月探査計画には月周回、軟着陸、サンプルリターンの三段階存在するという。それによると、第一段階には14億元が支出される予定で、2007年までに月周回軌道に探査機を送り込む。第二段階は2010年までに着陸機を送り込み、第三段階は2020年までに月の土壌サンプルを地球に持ち帰る予定とされた。 2005年11月27日、有人宇宙飛行計画の代理責任者が2020年までに中国は宇宙ステーションと月有人探査を完遂する計画であると公表した。それに先立ち、2012年までに宇宙遊泳とドッキングを完璧に果たす予定とされていた。宇宙遊泳は2008年の神舟7号で、ドッキングは2012年の神舟9号でそれぞれ実現し、予定通りに遂行させた。 2006年の会議では長征2号、長征4号Aのロケットエンジンを開発した工学者、張貴田(张贵田)は新しい月へのロケットの開発について議論した。 中国国家航天局と中国国防科学技術工業委員会は2007年4月1日、「第3回中英宇宙科学技術共同研究討論会」の中で、中国初となる無人月面車のプロトタイプを公開した。 2007年10月24日、長征3号Aにより嫦娥1号を打ち上げ、11月5日に月周回軌道に投入、11月20日から月面の観測を開始した。2009年3月1日、高度を下げ、月面衝突させて任務を終えた 2010年10月1日には嫦娥2号が打ち上げられた。。嫦娥2号は嫦娥1号とほぼ同設計であり、着陸は行われなかった。 2013年12月に嫦娥3号が打ち上げられ、12月14日に雨の海への軟着陸に成功した。 2014年10月24日には、「嫦娥5号」の試験機「嫦娥5号T1」が打ち上げ成功。月の裏側を経由して地球に帰還する自由帰還軌道(英語版)に入る。 2014年11月1日には、 「嫦娥5号T1」が大気圏再突入を実施、内モンゴルへの着陸に成功。 2018年12月には、月の裏側を撮影することを目的に、「嫦娥4号」が打ち上げられ、2019年1月3日に軟着陸。 2020年11月に「嫦娥5号」が打ち上げられ、12月06日に中国初の、月軌道上でのドッキングに成功、12月17日に帰還機は地球に着陸し、合計1731gのサンプルが確認され、中国初のサンプルリターンに成功した。
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月探査
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ひてん・はごろもは米ソ以外の宇宙機としては初の月周回機であり、月探査機と見なされることがある。ひてんは月スイングバイや月周回軌道投入の「月ミッション」をこなしながら月周辺の宇宙塵を観測したほか、解像度は低いが光学航法センサを用いて月面の写真も撮影した。最後の月面落下も意図的に地球から見える場所で行われ、衝突の様子が地球上から「観測」された。しかしひてんでは月の探査らしい探査をほとんど行っていないため、後年のかぐやは「日本初の本格的月探査機」ないしは「日本初の大型月探査機」などとして報道された。
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月探査
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詳細は「チャンドラヤーン1号」を参照 チャンドラヤーン1号(サンスクリット語: चंद्रयान-१)はインド初の月探査機である。無人の月探査の任務には軌道周回機とムーン・インパクト・プローブと呼ばれる装置が含まれる。PSLVの改良型のC11で2008年10月22日に打ち上げられた。打ち上げは成功して2008年11月8日に月周回軌道に投入された。可視光、近赤外線、蛍光X線による高分解能の遠隔探査機器が搭載されていた。2年以上に渡る運用が終了して月面の化学組成の分布地図の作成と3次元の断面図の完成が目的だった。極域において氷の存在を示唆する結果が出た。月探査においてISROによる5台の観測機器とNASAやESAやブルガリア宇宙機関等、他国の宇宙機関による6台の観測機器が無料で搭載された。チャンドラヤーン1号はNASAのLROと共に月に氷が存在する有力な手がかりを発見した。
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月探査
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「ルナ・オービター2号」の記事における「月探査」の解説
ルナ・オービター2号は1966年11月6日にアトラス・アジェナDで打ち上げられ、92.5時間の飛行の後、月周回の赤道付近の楕円軌道に投入された。最初の軌道は196x1850kmの楕円軌道で軌道傾斜は11.8度であった。近点は49.7kmで5日で33周を行った。12月7日の情報受け取り最終日には増幅器が故障し、結果6枚の写真を失った。1966年12月8日、軌道傾斜角は17.5度に変更され、新しい月の重力データを提供した。 ルナ・オービター2号は1966年の11月18日から25日にかけて写真を得て、データの読み出しは1966年の12月7日まで行われた。計609回の高度分析と208回の中程度分析フレームが送られ、最も優秀な質のものでは1mの大きさまで見ることができた。これにはコペルニクスクレーターの斜面の映像含まれ、この写真はニュースメディアによって世紀の写真の一枚であると添えられた。正確なデータは運用中を通してすべての試みで得られることになった。小流星の衝突も観測された。その後も追跡観測目的で使われ、1967年10月11日、指令によって北緯3度、東経119.1度の月面に衝突した。 2011年、NASAのルナー・リコネサンス・オービターカメラはルナ・オービター2号の衝突点の位置と画像を発見した。45度以上の衝突角度から破片は蝶の羽のように広がっていた。 月面写真研究アポロとサーベイヤーの着陸地点の評価 流星検出器月面環境における微小流星物体の検出 セシウムヨウ素線計測器往復ルートと月近郊の放射線環境 月面測量器月の重力場と物理的特性
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月探査
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「インテュイティブ・マシーンズ」の記事における「月探査」の解説
インテュイティブ・マシーンズはNova-C、Nova-D、Nova-Mの3種類の月着陸機を開発している。
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「月探査」の例文・使い方・用例・文例
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