スプートニク1号
名称:スプートニク1号(putnik1)
小分類:科学衛星
開発機関・会社:ソ連科学アカデミー
運用機関・会社:ソ連科学アカデミー
打ち上げ年月日:1957年10月4日
運用停止年月日:1958年1月4日
打ち上げ国名・機関:旧ソ連/ロシア宇宙庁(RKA)(現在のロシア航空宇宙局(Rosaviakosmos))
打ち上げロケット:A(SL-1)
打ち上げ場所:チュラタム射場(バイコヌール宇宙基地)
国際標識番号:1957001B
人類が本格的な宇宙開発に乗り出したのは、1950年代のことです。アメリカを中心とする資本主義陣営と、旧ソ連を中心とする社会主義陣営との対立が深まる中で、宇宙開発は文字通り米ソの威信と覇権を賭けた競争の色合いを帯びていました。相手陣営に先んじて、宇宙への一番乗りを果たしたのは、旧ソ連でした。ソ連は1957年10月4日、人類初の人工衛星となったスプートニク1号の打ち上げに成功し、これによって宇宙時代の幕が切って落とされました。
スプートニク1号は、旧ソ連の技術力を世界に知らしめるという国家的な目標とは別に、宇宙に作られた「科学実験室」としての役割を担っていました。
折しも1957年は、国際地球観測年として世界各国が未知なる地球の解明に向けてさまざまな観測計画が予定され、スプートニク1号も電離層観測などの観測実験をその主たる目的としていました。スプートニク計画は、宇宙開発の先鞭をつけたと同時に、宇宙から地球を観測する道を開いたという点でも、画期的なプロジェクトだったといえるのです。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
スプートニク1号は、巨大なパチンコ玉のような球体をしていました。その直径はわずか58cm、重量は83.6kgしかなく、現代の人工衛星に比べて非常に小さなものでした。衛星の外被はアルミ合金でできており、表面には2.4mないし2.9mのアンテナ棒が4本取り付けられています。これらのアンテナ棒は、衛星がロケットから離れたのちに開く仕組みになっています。また、衛星本体の内部には、観測機器と電源が組み込まれていたほか、これらの機器類と外被との間に生ずる熱抵抗を調整するための窒素ガスが詰められていました。
2.どんな目的に使用されるの?
地球のまわる軌道上で、電波を反射したり吸収する働きをする電離層の観測と、電波の伝播実験を行ないました。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
スプートニク1号の打上げ目的は、地球のまわりにあって電波を反射したり吸収する働きをする電離層の観測と、電波の伝播実験を行なうことにありました。このため、衛星本体には周波数20.005メガサイクル(波長15m)と40.002メガサイクルの電波を発する2台の無線送信機が積み込まれていました。この電波を地上で受信することにより、衛星からの電波の伝わり方が解明されたほか、電離層の状態いかんにかかわらず、衛星からの電波が受信できることが確認されました。
4.このほかに、同じシリーズでどんな機種があるの?
旧ソ連は、スプートニク1号の打ち上げから間もない1957年11月、ライカ犬を乗せたスプートニク2号を打ち上げ、人類史上初めて生命を宇宙に送り出すことに成功しました。
その後、1958年5月にスプートニク3号の打ち上げにも成功し、後の有人宇宙船計画へと道を切り開いていったのです。
スプートニク1号
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スプートニク1号 (Спутник-1) | |
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所属 | ソビエト連邦 |
主製造業者 | コロリョフ設計局 |
国際標識番号 | 1957-001B |
カタログ番号 | 00002 |
目的 | 電離層の観測、電波の伝播実験 |
観測対象 | 地球 |
計画の期間 | 3ヶ月 |
打上げ機 | R-7ロケット |
打上げ日時 | 1957年10月4日 19時28分34秒 UTC (22時28分34秒 MSK) |
消滅日時 | 1958年1月4日 |
物理的特長 | |
本体寸法 | 直径58cmの球状 |
質量 | 83.6 kg |
軌道要素 | |
周回対象 | 地球 |
軌道 | 楕円軌道 |
近点高度 (hp) | 215 km |
遠点高度 (ha) | 939 km |
離心率 (e) | .05201 |
軌道傾斜角 (i) | 65.1° |
軌道周期 (P) | 96.2分 |
スプートニク1号(スプートニク1ごう、露: Спутник-1)は、ソビエト連邦が1957年10月4日に打ち上げた世界初の人工衛星である[1]。重量は 83.6キログラム。本体直径は58 cm (23 in)。Спутникはロシア語で衛星を意味する。
コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100年と国際地球観測年に合わせて打ち上げられた。科学技術的に大きな成果となっただけでなく、スプートニク・ショックを引き起こし、米ソの宇宙開発競争が開始されるなど、冷戦期の政治状況にも影響を与えた[2][3]。
概要
スプートニク計画の最初の機体である。衛星の外形は、直径58センチメートルのアルミニウム製の球であり、それに長さ2.4メートルのアンテナ4本が一方向についているものであった。主設計はコロリョフ設計局で、重量は83.6キログラムである。20メガヘルツと40メガヘルツの、2つの送信機(出力1ワット)を搭載しており、衛星の温度情報を0.3秒ごとに発信した。
打ち上げは1957年10月4日にバイコヌール宇宙基地より行われた。使用したロケットはR-7ロケットである。衛星の軌道は遠地点約950キロメートル、近地点約230キロメートル、軌道傾斜角65°の楕円軌道であり、96.2分で周回した[4]。
電池の寿命は3週間であったが、22日後に電池が切れた後も軌道周回を続けた。その際に世界初のスペースデブリとなったが、近地点の高度があまり高くなかったことから軌道が下がるのが早く、打ち上げから92日後の1958年1月4日に大気圏に再突入し、消滅した。
アメリカではスプートニクの軌道計算にIBM 704を使用したが、計算の際に、ユリウス通日をそのまま使うと無駄に大きな値を使うことになるため、1858年11月17日正子UTを元期とする修正ユリウス日を使った。
脚注
- ^ Terry 2013, p. 233.
- ^ McDougall, Walter A. (Winter 2010). “Shooting The Moon”. American Heritage 59 (4). ISSN 0002-8738 2019年1月3日閲覧。.
- ^ Swenson, et al, p. 71
- ^ Ralph H. Didlake, KK5PM (2007年9月28日). “Sputnik and Amateur Radio”. American Radio Relay League. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月26日閲覧。
関連項目
- スプートニクヴィロファージ - スプートニク1号に因み命名された。
- スプートニク・ショック
- ミサイル・ギャップ論争
- 南大西洋異常帯
外部リンク
- スプートニク1号 - ウェイバックマシン(2007年5月12日アーカイブ分)(JAXA - 宇宙情報センター)
- ソビエトが世界初の人工衛星スプートニク打ち上げ - NHK放送史
スプートニク1号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 09:45 UTC 版)
「スプートニク計画」の記事における「スプートニク1号」の解説
詳細は「スプートニク1号」を参照 スプートニク1号は1957年10月4日に打ち上げられた、世界初の人工衛星である。重量83kg、直径58cmの球体に4本の棒状アンテナが付いている。遠地点約950km、近地点約230km、軌道傾斜角65°の楕円軌道を96.2分で周回した。衛星本体から40.02MHzと20.05MHzの電波を発信することで電離層の観測を行った。この電波は世界各地で受信された。スプートニク1号は打ち上げ57日後、大気圏に再突入し消滅した。
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