スプートニク2号
名称:スプートニク2号(Sputnik2)
小分類:科学衛星
開発機関・会社:ソ連科学アカデミー
運用機関・会社:ソ連科学アカデミー
打ち上げ年月日:1957年11月3日
運用停止年月日:1958年4月14日
打ち上げ国名・機関:旧ソ連/ロシア宇宙庁(RKA)(現在のロシア航空宇宙局[Rosaviakosmos])
打ち上げロケット:A(SL−1)
打ち上げ場所:チュラタム射場(バイコヌール宇宙基地)
国際標識番号:1957002A
世界初の人工衛星スプートニク1号に続いてソ連が打ち上げた人工衛星が「スプートニク2号」でした。
スプートニク2号には生命が生きていられる気密室がそなわっていて、そのなかに雌のライカ犬が1頭乗せられていました。生物が初めて宇宙に飛び出した瞬間です。生物学的な人工衛星としては史上初のものでした。
打上げに使われたのは、ソ連が開発した最初の「ロケットA(SL-1)」です。R7大陸間弾道ミサイルSS−6サップウッドを原型にして作られたもので、全長29.2m、尾翼をふくめた直径10.3m、重さ26.7t、灯油と液体酸素を燃料とするロケットでした。スプートニク1号もA(SL-1)によって打ち上げられていました。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
重さ508kgで、ライカ犬を乗せるための気密室がそなわっていました。
2.どんな目的に使用されるの?
生物を初めて宇宙に送り出すために使われました。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
ライカ犬を乗せ、生物を初めて宇宙に送り出すことに成功しました。スプートニク2号の機体も、それに乗っていた犬も回収されないまま軌道上をまわり続け、やがて地球に落下したものと思われます。
4.このほかに、同じシリーズでどんな機種があるの?
世界初の人工衛星になったスプートニク1号や、スプートニク3号から10号までの機種がありました。
5.どのように地球を回るの?
近地点高度206km、遠地点高度1699kmの楕円軌道を公転周期103.7分でまわりました。
スプートニク2号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/08 00:30 UTC 版)
スプートニク2号 (Спутник-2) | |
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所属 | ソビエト連邦 |
主製造業者 | ОКБ-1 |
国際標識番号 | 1957-002A |
カタログ番号 | 00003 |
目的 | 世界初の生命体搭載衛星軌道周回実験 電離層の観測 |
計画の期間 | 162日 |
打上げ機 | R-7ロケット |
打上げ日時 | 1957年11月3日2時30分00秒UTC |
通信途絶日 | 1957年11月10日 |
消滅日時 | 1958年4月14日 |
物理的特長 | |
本体寸法 | 高さ4m 直径2mの円錐形 |
質量 | 508.3kg |
軌道要素 | |
周回対象 | 地球 |
軌道 | 楕円軌道 |
近点高度 (hp) | 212 km |
遠点高度 (ha) | 1660 km |
離心率 (e) | .098921 |
軌道傾斜角 (i) | 65.33° |
軌道周期 (P) | 103.7分 |
スプートニク2号(スプートニクにごう、ロシア語: Спутник-2)は、ソビエト連邦が1957年11月3日に打ち上げた人工衛星・宇宙船である。イヌを乗せており、世界初の宇宙船となったものである。この成功により有人宇宙船の可能性が開けるものとなった。
設計
1957年10月4日打ち上げのスプートニク1号に続くスプートニク計画における2つめの機体である。衛星の本体は円錐形で、質量はスプートニク1号より大幅に重い508kgに達した。船内には「ライカ」という名のイヌが乗せられていた。この他にもガイガーカウンターや2台の光度計などの計測器も搭載していた。
スプートニク2号はライカを乗せるために宇宙船として気密が保てるようになっており、内部に生命維持装置を備えていた。地上への帰還は当初より考慮されず、大気圏に再突入し安全に着陸するための装備はなかった。計画では打ち上げ7日後の餌により安楽死がされる予定で、生き延びても10日後に酸素が尽きてライカは死ぬだろうと考えられていた。実際は打ち上げ約5時間後の時点で断熱材の不備により船内が高温になり、パニックにより激しく動くライカの反応が見られたが、それから約1時間後の情報ではライカの生体反応は止まっていた。[1]。
飛行
スプートニク2号は1957年11月3日にバイコヌール宇宙基地よりR-7ロケットによって打ち上げられた。軌道投入当初の衛星の軌道は、近地点212km・遠地点1,660km・軌道周期103.7分だった。スプートニク2号打ち上げ計画の責任者は、スプートニク1号の時と同じくセルゲイ・コロリョフであった。
軌道投入までは順調だったものの、軌道投入後に行われるはずだったロケット本体と衛星の分離に失敗し、スプートニク2号はロケットと結合したまま軌道を周回することを余儀なくされた。さらに衛星の断熱材も一部が損傷した。これらのトラブルにより熱制御が妨げられ、船内の温度は40℃にまで上昇した[1]。
ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない。初期のデータではライカが動揺しつつも食事を取る様子が窺われた。その後は上記の熱制御の問題で異常な高温に晒されたため、1日か2日程度しか持たなかったと考えられている[1]。
スプートニク2号からの通信は11月10日に途絶え、更に打ち上げ162日後の1958年4月14日に大気圏に再突入し消滅した。
脚注
スプートニク2号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:13 UTC 版)
詳細は「スプートニク2号」を参照 1957年11月3日、ライカを乗せたソ連のスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、地球軌道に到達した。それ以前にも米ソが動物を宇宙に送り出していたが、弾道飛行のみで軌道を周回するまでは至っていなかった(宇宙に行った動物を参照)。実験にオスではなくメスの犬が選ばれたのは、排泄姿勢の問題からである。 スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊した。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた。 しかし、1999年の複数のロシア政府筋の情報によると、「ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた」という。さらに2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。センサーによればライカの心拍数は打ち上げ前には103だったが、加速初期には240まで増加した。無重力状態になってから3時間をかけて通常の脈拍に戻ったが、これは地上実験時の3倍の時間であり、ライカの受けたストレスの大きさを示している。この間、断熱材の一部損傷のため、船内の気温は摂氏15度から41度に上昇し、飛行開始のおよそ5 - 7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなったという。結論としては“正確なところはわからない”ということである。 打ち上げから40年後、宇宙犬たちが訓練を受けた、モスクワのペトロフスキー公園 (Петровский парк) の南西にある航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てられた。
※この「スプートニク2号」の解説は、「ライカ (犬)」の解説の一部です。
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