直通特急への充当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 10:00 UTC 版)
「阪急800系電車」の記事における「直通特急への充当」の解説
「神京・京宝特急」も参照 京阪神急行電鉄は1949年12月1日に京阪電気鉄道を分離したが、その直後の12月3日より神戸 - 京都間を結ぶ直通特急の運転を開始した。1948年末に神戸港に寄港した外国人観光客から京都への直通運転を要望されたことが直通運転のきっかけとなり、1949年11月に新製間もない702-752・703-753の2編成が西宮車庫で600V/1500Vの複電圧仕様車に改造された。直通特急は神戸 - 京都間を70分で走り、神戸線と京都線が一体であるとのアピールも図られた。 複電圧の方式は、主電動機を700・750形に2台ずつ装備したMc-Mcの編成とし、600V区間では電気的に並列に、1500V区間では直列に接続する、いわゆる「おしどり方式」で対応された。運転は全区間を神戸線の乗務員が担当した。 また、750形には、神戸線所属車では初の電動発電機を装備し、低圧の補助電源を確保したほか、主回路ならびに高圧補助機器の電圧切替を行うための電圧転換器を装備した。電圧切替は十三駅京都側に無電圧区間を設け、十三駅停車中に乗務員が駅長から電圧切替ハンドルを受け取って切替操作を行った。このハンドルは600V用と1500V用の2種類があって、穴の形状も前者が三角、後者が四角であり、運転台の電圧表示灯もハンドル操作によって600Vでは赤三角が、1500Vでは緑四角が点灯した。 753のみ試運転期間中はサロンルーム的な車内に改造し、リクライニングシートなどを配置していたが、営業開始前に元のロングシートに戻された。 1950年3月、阪急西宮球場周辺で開催されたアメリカ博覧会の宣伝のため、801 - 803の3編成が黄色と空色の塗装となった。 直通特急の第二弾として、1950年3月21日からは京都と宝塚を西宮北口経由で結ぶ特急(のちの「歌劇号」)の運転を開始、神京特急との共通運用が行われた。しかし800系の複電圧車は2編成のみのため車両運用に困難が生じ、車内もロングシートでサービス面で劣ることから、新造クロスシート車の810系に置き換わり、800系の直通特急運用は消滅した。803-853は1951年4月に600V専用車に復元されたが、802-852は1955年10月まで複電圧車のまま残された。 1954年10月10日から12月19日にかけて実施された西宮北口駅構内配線改良工事の際には、802-852が810系とともに宝塚線経由で運転された京都-宝塚間直通特急の運用に充当されている。
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