会議の議長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/10 01:00 UTC 版)
ハンソンは1781年11月5日から1782年11月2日まで連合会議の議長を務めた。1787年のアメリカ合衆国憲法の採択までは、各邦は連合会議(連合規約成立後の大陸会議)の指示の下に動いたが、原則的には独立した邦の連合のままであった。連合規約採択後でさえも行政執行のための部局がなかった。それ故に連合会議議長は首相に似た地位であり、最高の権威があった。連合規約下でのその肩書きは「議会における合衆国のプレジデント」(President of the United States in Congress Assembled)であり、外国政府との外交や条約締結の時に、ハンソンはこの肩書きを使った最初の議長になった。連合会議は外交面の力以上の権威はほとんど無く、法案や執政策の一つ一つに各州の意見を求める形であったために、この期間の力の無さが影響力を減ずることになった。これが強い連邦政府を求める1787年の憲法制定に繋がっていった。 ハンソンが連合会議議長を務めた時は、このような移行期の初めであり、昔からの影響力が残っていた。 ハンソンが議長の時の業績は次の通りであった。 ヨークタウンの戦いにおける勝利に対してジョージ・ワシントンに会議を代表して感謝状を送ったこと ラファイエットの貢献に対して称賛し、そのことでフランスに対して感謝したこと 各邦に対し、連合会議に代議員を送り続けるよう圧力をかけたこと。会議はしばしば定足数に満たなかった。 最初の中央銀行である北アメリカ銀行法案を通したこと 文書作成や記録の保管を補助する合衆国の秘書官を指名したこと イギリスとの捕虜交換の交渉にワシントン将軍に広い権限を認めたこと。ワシントンは即座に、コーンウォリス将軍と大陸会議の議長を務め、連合規約を採択させたヘンリー・ローレンスとの交換に動いた。 アメリカ合衆国造幣局を設立したこと アメリカ合衆国国務省の前身を設立したこと 感謝祭を初めて国の祝日と宣言したこと アメリカ合衆国副大統領の前身となる会議議長職(Chairman of Congress)を創設したこと イギリスと休戦条約の交渉をしたこと コネチカットとペンシルベニアの間の紛争を調停したこと。ハンソンは合衆国最高裁判所長官に等しい働きをした。 合衆国で最初の国勢調査を命じたこと
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