ライン川方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:20 UTC 版)
ライン川方面では、ハプスブルク軍の指揮官にプリンツ・オイゲンが起用された。オイゲン公はかねてより、国事詔書を諸邦に承認させるためには18万人の常備軍を維持すべきと主張し、カール6世も14万の常備軍を増強することに同意したものの、アウグスト2世崩御の直前に撤回していた。その結果、ハイルブロンに確保できたのは3万5000人の兵力であり、これにプロイセンの2万5000を加えても計6万人にすぎず、フランスの8万人に対して、明らかな劣勢だったため、オイゲン公は決戦を回避した。 フランスはロートリンゲン公フランツ・シュテファン(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)の奮戦も甲斐なく、ロートリンゲン(仏:ロレーヌ)を占領し、1734年7月までにフィリップスブルク包囲戦で同要塞を陥落させた。
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