マジノ線延長部分突破
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「マジノ線延長部分突破」の解説
ロンメルの師団は5月16日午後6時頃にベルギーとフランスの国境を超えて、フランス領へ突入した。 その30分後、フランスの国境要塞地帯マジノ線延長部分と遭遇した。これはマジノ線そのものではなく、フランスが防衛線を西方にも延長しようとしてマジノ線から分離して作った物である。ただロンメルを含めてドイツ軍側は区別せず、まとめて「マジノ線」と呼んでいた。マジノ線延長部分はマジノ線と比べれば貧弱な防衛線であった。それでも頑強なトーチカと砲台と有刺鉄線と地雷原で固められていた。 ロンメルは砲兵に激しい砲火を撃たせてマジノ線延長部分の各所に煙幕を張り、フランス軍を攪乱している間に工兵の火炎放射器や爆薬でトーチカを破壊していった。火に照らされる明るい隙間となったその部分に戦車が砲撃しながら前進して強引に突破した。ソール・ル・シャトー(fr)、サール・ポトリ(fr)、スムージー(fr)を一気に通過してマジノ線延長部分を突破した。 マジノ線延長部分がロンメルの師団の攻撃で受けた損害は微々たるものだったが、凄まじい勢いで進軍するロンメルの師団にフランス軍はパニックを起こして、戦わずして次々と投降した。マジノ線延長部分の突破で第7装甲師団が被った損害は戦死者35名、負傷者59名だけだった。戦果はフランス兵捕虜約1万人、戦車約100両、装甲車30両、大砲20門の鹵獲であった。
※この「マジノ線延長部分突破」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
「マジノ線延長部分突破」を含む「エルヴィン・ロンメル」の記事については、「エルヴィン・ロンメル」の概要を参照ください。
- マジノ線延長部分突破のページへのリンク