マラヤ危機
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マラヤ危機(マラヤきき、Malayan Emergency、マレー語:Darurat Malaya)とは、1948年から1960年までマラヤ連邦で行われた、マラヤ共産党(MCP)の軍事部門であるマレー民族解放軍(MNLA)とイギリス軍や英連邦軍とのゲリラ戦闘である。マラヤ共産党は戦争は大英帝国からのマラヤのための植民地独立と、社会主義経済を確立するために共産主義勢力のために戦っていた。植民地当局は「危機」と呼んでいたが、MNLAは「反英民族解放戦争」と呼んでいた[1]。 ロンドンを拠点とする保険会社は「内戦」の場合には保険金を支払わないため、この紛争は保険目的のために英国によって「危機」と呼ばれた[2]。
- ^ Amin, Mohamed (1977). Malcolm Caldwell. ed. T0he Making of a Neo Colony. Spokesman Books, UK. p. 216
- ^ Burleigh, Michael (2013). Small Wars, Faraway Places: Global Insurrection and the Making of the Modern World 1945-1965. New York: Viking - Penguin Group. pp. 164. ISBN 978-0-670-02545-9
- ^ a b リー, クーンチョイ 著、花野敏彦 訳 『南洋華人‐国を求めて』サイマル出版会、1987年。ISBN 4377307339。
- '^ Karl Hack, Defense & Decolonization in South-East Asia, p. 113.
- ^ Clutterbuck, Richard (1985). Conflict and violence in Singapore and Malaysia 1945-83. Singapore: Graham Brash
- ^ Prof Madya Dr. Nik Anuar Nik Mahmud, Tunku Abdul Rahman and His Role in the Baling Talks
- 1 マラヤ危機とは
- 2 マラヤ危機の概要
- 3 関連項目
マラヤ危機
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詳細は「マラヤ危機」を参照 マラヤに復帰した英国はMCPに武装解除を求めたが、1948年2月にインド共産党主催でカルカッタで開かれた「東南アジア青年会議」の後、同年3月にMCPは中央委員会を開催して「革命武闘路線」を採択し、港湾労働者や運輸労働者、工場にストライキを呼びかけ、同年のメーデーでデモ行進を行い、シンガポール政府と武力衝突を起こした。英植民地政府の組合指導者追放令を受けて、MCPは全都市支部に武闘指令を発し、同年5月31日にMCPの指導者は地下に潜行した。武闘指令を受けてペナンやマレー各地で欧州人の農園主や国民党右派の人士が殺害された。 1948年6月17日に英植民地政府はマレー全土に緊急事態を宣言、同年7月23日にはMCPと人民抗日軍およびその付属組織に活動禁止令を発出し、警察がMCP本部や労働団体を捜索、千余人を逮捕した。共産ゲリラはジャングルに潜伏し、山村に散在する華人住民の支援を受けながら反英闘争を継続した。 1950年にゲリラ作戦本部長となった英・ブリッグス(英語版)将軍は、マレーの山地に住む住民を新しい村(en:New Village)に移住させる「ブリッグス・プラン(英語版)」を実施し、1951年までに42万3千人を移住させて共産ゲリラの補給路を断った。MCPはジャングルの更に奥へと追い詰められ、プランへの協力者や政府官吏・警官を襲撃して対抗した。1951年10月、MCPはクアラルンプール近郊の路上で在マラヤ英国高等弁務官(英語版)ヘンリー・ガーニー(英語版)の暗殺に成功した。 1952年2月、ブリッグスとガーニーの後任となったテンプラー(英語版)は、各村に至るまで議会を設立し、生地主義による住民登録を認めることで華人120万人・インド人18万人に市民権を与えて、マレーシアの自治を進展させ、1953年秋にはゲリラの影響力がないと認めた地域の食糧制限や夜間外出禁止令を緩和する「白色地域」制度を導入してゲリラの影響力を排除させた。支援者の共産ゲリラ離れが進み、テンプラーは2年間の在任期間中にゲリラの規模を1/3にまで縮小させた。
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