戦争とマラヤ危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 10:20 UTC 版)
「マレーシアの歴史」の記事における「戦争とマラヤ危機」の解説
1941年 日本軍がコタバル近郊に上陸 (マレー作戦)。太平洋戦争の開戦。 1942年 日本軍がマラヤ(日本占領時期のマラヤ(英語版))及び北ボルネオ(日本占領時期のイギリス領ボルネオ)全域を占領。クダ王国はシャムの占領下、その他の地域は日本軍の軍政下に入る。 1945年 太平洋戦争の終結に伴い、マラヤ・北ボルネオがイギリスの支配下に復帰。 1946年 イギリスがマラヤに有するクダ・シンガポール以外の植民地の集合体としてマラヤ連合が発足。北ボルネオのサラワク王国がイギリス領サラワクになる。 1948年マラヤ連合の再編とクダ王国の加入によってマラヤ連邦が発足。連邦発足直後からマラヤ危機が発生 (1948年 – 1960年)。 1957年 マラヤ連邦 (初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン) が独立。
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