戦争とハンセン病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 01:41 UTC 版)
高島重孝は昭和22年(1947年)のらい学会で特別講演を 『戦争と癩』 と題して行い、論文は翌年に発表された。彼は軍事保護院医官であった利点を生かして情報を集め、今次戦争における動員数は、陸海共7,093,223名で、入所した軍人癩患者数は732名である。その動員数に対する千分比は0.13である、と公式発表数を引用した。入所しなかった者、他の病名で除隊になったもの、調査もれも考えられ、毎年平均100名発生と推定するのが妥当であるとしたが、これは平時より多い数である。高島はまた、将校が兵より極端に少ない(わずか3名)ことを力説した。また高島は軍人癩の出生地を詳しく検討し、在宅患者数の多い所に軍人癩の発生が多いと述べ、感染したのは幼児期であることを示唆した。
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