1952年度
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「帝都電鉄モハ100形電車」の記事における「1952年度」の解説
翌1952年度には車両増を受けて渋谷 - 永福町間で3両編成運転が開始され、さらに吉祥寺向きの片運転台式制御電動車(Mc)であるデハ1800形1804 - 1808を新製投入して全線での3両編成化が実施されることとなった。 そのため、残る戦災復旧車の更新についてもこの新造車に合わせた設計に変更されることとなり、デハ1400形とクハ1570形の残存未更新車全車について以下の通り更新工事が実施された。 まず、デハ1400形については台車をはじめとする主要機器を流用、東京急行電鉄横浜製作所でデハ1800形1804以降と同じ車体を新造して、渋谷向きの片運転台式制御電動車となった。 デハ1402→デハ1801 1952年8月 デハ1403→デハ1802 1952年8月 デハ1406→デハ1803 1952年8月 これらはデハ1760形を基本としつつ、張り上げ屋根を採用するなど同時期の他社での流行を取り入れた設計となっている。 また、クハ1570形の未更新で残っていた5両については以下の通りデハ1800形などの電動車を両端につないだ3両編成の中間車とすべく、デハ1800形と共通仕様のサハとしてこれらも東京急行電鉄横浜製作所で更新が実施されている。 クハ1572→サハ1305 1952年9月 クハ1576→サハ1301 1952年9月 クハ1578→サハ1304 1952年9月 クハ1580→サハ1302 1952年9月 クハ1582→サハ1303 1952年9月 これらは窓配置2D(1)3D(1)3D(1)1で両妻面に広幅貫通路を備え、デハ1800形と同様に張り上げ屋根構造を採用して編成としての外観の統一が図られている。 なお、東急横浜製作所で最後に更新されたクハ1572・1578・1582の3両の旧台枠や柱などの構体の一部は、状態が比較的良好であったためか東急車輛製造による相模鉄道クハ2500形2508(1954年製)、モハ2000形2015・2016(1955年製)の車体新製時に流用されたとされる。この内モハ2015・2016は1971年に実施された2000系の2100系への更新で不要となった旧車体が再度東急車輛製造→西武鉄道所沢工場経由で改造・機器取り付けの上で伊予鉄道へ売却され、同社のモハ130形131・132として1991年まで使用の後、廃車解体されている。 これらの新造車と更新車の竣工により、井の頭線全線において広幅貫通路を備えた3両編成での列車運行が開始されている。
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1952年度
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51年秋に中信平工事の土8トン車222台分を譲り受けて、グラウンドに搬入した。さらに52年に34台分がグラウンド全面に敷かれるなどした。このためグラウンドの西端と東端とでは70センチ差の傾斜があったものが緩和された。4月1日入学式。5月1日ヒノキ6500本を黒川一の沢本沢に植林。5月19日3年生関西修学旅行。6月4~12日田植え休み。6月19日陸上クラスマッチ。7月16日2年生が大滝山登山。7月25日1年生が乗鞍岳登山。9月30日運動会。11月22収穫祭。2月28日高校入試。3月14日音楽会。3月20日卒業式。生徒数511名、学級数11、職員数21名。
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