1952年シーズンのビッグプレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:47 UTC 版)
「白石勝巳」の記事における「1952年シーズンのビッグプレー」の解説
逆シングルは白石が初めてプレーとして認知させたものであった。1952年シーズン初めのセ・リーグ理事会では、勝率3割未満の球団は解散もありうる、という規定を決める。後半戦に入った8月12日の夕張市鹿の谷球場での対巨人戦、この試合は広島初めてのNHKラジオ放送があった日だった。広島が3点差を逆転し7-4で迎えた最終回、巨人が粘って1点差に詰め寄り、さらに二死一・二塁の場面で、打者・川上哲治の強烈な打球は三遊間を抜ける安打性の当たりだったが、白石が三遊間の深い所で逆シングルで掴む。タイミング的に一塁は間に合わないと思われたが、白石はフェイントで一塁へ偽投、それを見て本塁へ向かった三塁走者に対して自ら三塁に駆け込みタッチプレーで仕留め試合終了。ラジオの実況は「川上打った! ヒット! ヒット! ああ、広島勝ちました!」と絶叫、聴衆もしばらくは何が起こったか分からなかったという。広島はこの白星で最下位脱出に弾みをつけ、最終勝率は.316と規定の3割をクリア。代わって最下位に沈んだ松竹ロビンスは.288と勝率3割を切って大洋ホエールズとの合併に追い込まれた。大洋は本拠地を下関に置いており、理事会としては距離的に近い広島と大洋を合併させる計画だったと言われている。結果的に球団消滅の危機を救ったビッグプレーであったが、白石自身も「生涯最高のプレー」と語っている。
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