富山県立高岡中部高等学校
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富山県立高岡中部高等学校(とやまけんりつ たかおかちゅうぶこうとうがっこう)は、富山県高岡市にかつてあった高等学校。
1948年9月、富山県立高岡高等学校、富山県立高岡工芸高等学校、富山県立高岡東部女子高等学校の3校を統合して設立された。1950年4月に高岡工芸高校が分離し[1]、1952年度に家庭科の募集を停止(高岡東部女子高校の募集停止)したことにより、1953年度に高岡高校に復称した[2]。
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富山県立高岡中部高等学校
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「富山県立高岡工芸高等学校」の記事における「富山県立高岡中部高等学校」の解説
1948年(昭和23年)4月 富山県立高岡工芸高等学校創設、学制改革による新制高等学校として開校。木材工芸、金属工芸、塗装工芸、図案絵画、工業化学、機械、電気の7課程を置く。修業年限3年。富山県立高岡工芸高等学校定時制(夜間部)開設。工業化学、機械、電気の3課程を置く、修業年限4年。 9月 学制改革により富山県立高岡高等学校、富山県立高岡工芸高等学校及び富山県立高岡東部女子高等学校の3校を基盤とする総合制高等学校として富山県立高岡中部高等学校設立。校舎として高岡高等学校及び高岡工芸高等学校の校舎を充てる。全日制は普通課程、職業課程よりなり、職業課程には木材工芸、金属工芸、塗装工芸、図案絵画、工業化学、機械、電気の7課程を置く。定時制は職業課程よりなり、工業化学、機械、電気の3課程を置く。色染科廃止。 1949年(昭和24年)4月 全日制職業課程に窯業課程設置。
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