第一次ウクライナ・ソビエト戦争とは? わかりやすく解説

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第一次ウクライナ・ソビエト戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)

パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「第一次ウクライナ・ソビエト戦争」の解説

詳細は「ウクライナ・ソビエト戦争」を参照 1917年12月13日には、ニョーミツ提督一時的に艦隊司令官の任を M・P・サーブリン提督譲ったその後艦船次々ボリシェヴィキ赤色黒海艦隊吸収されていった同年12月16日には、「パーミャチ・メルクーリヤ」赤色黒海艦隊編入された。 一方12月22日には、ウクライナ総書記局(ウクライナ語版)の海事総書記局がされ、翌月には「ウクライナ人民共和国海軍に関する臨時法」が中央ラーダによって採択された。 1918年1月9日には第四次ウニヴェルサール(ウクライナ語版)によってウクライナ人民共和国の完全な独立宣言されたが、ボリシェヴィキ指導する労農赤軍ウクライナ人民共和国軍に対してウクライナ各地連戦し、1918年1月27日にはウクライナ人民共和国首都キエフ奪取ウクライナ中央ラーダジトーミル落ち延びた。しかし、同日締結されブレスト=リトフスク条約締結により、軍事同盟結んだウクライナ人民共和国中央同盟国反攻転じた赤軍次々と撃破され、各地撤退余儀なくされた。その頃「パーミャチ・メルクーリヤ」戦列艦シノープ」、「ロスチスラフ」、「トリー・スヴャチーチェリャ」、通報船「アルマース」、掃海船輸送船を含む多数補助船舶とともに赤軍支援のためオデッサ停泊していた。オデッサ投錨地に艦隊存在することで、ルーマニア軍部隊と戦うルムチェロード(ロシア語版)はしばらくのあいだ敵の熾烈な攻勢持ちこたえることができた。いよいよドイツ帝国軍接近すると、3月13日から3月14日にかけて黒海艦隊艦船オデッサ逃れ一部セヴァストーポリへ、また別の一部フェオドーシヤ向かった「パーミャチ・メルクーリヤ」セヴァストーポリ逃れたが、クリミアからの完全撤収作業進め赤軍によって3月28日にはセヴァストーポリ軍港保管状態に入れられた。 4月29日には、セヴァストーポリウクライナ人民共和国ドイツ帝国同盟軍攻勢の下に晒されていた。黒海艦隊司令官 M・P・サーブリン提督戦列艦「ゲオルギー・ポベドノーセツ」に命じて艦隊に「ウクライナ国旗掲げよ」という命令発した戦列艦ヴォーリャ」と「スヴォボードナヤ・ロシア」はこの命にすぐに従い、他艦も一部除いてこれに倣った。サーブリン司令官シンフェローポリ代表団送りウクライナならびにドイツ司令部に対しても、黒海艦隊ウクライナ国旗の下にあり、セヴァストーポリへの侵攻をやめて代表団派遣されたしとする電信打ったその後、サーブリン司令官はどうしてもウクライナ国旗掲揚拒否する艦隊水雷艇対し港外退去命じた。これに従い 14 隻の艦隊水雷艇ほか若干輸送船退去し時点で、セヴァストーポリに残る全艦船ウクライナ国旗掲揚した状態となった。 ところが、5月1日時点でまだドイツ軍侵攻をやめなかった。ドイツ軍は、ウクライナ軍部隊ペレコープ留め単独クリミアへの侵攻開始したシンフェローポリ駐留するドイツ軍司令官ローベルト・コーシュ(ドイツ語版将軍はサーブリン司令官送った代表団申し入れ取り上げずウクライナ方面最高責任者であるヘルマン・フォン・アイヒホルン元帥申告するよう依頼したアイヒホルン元帥キエフ滞在しており、当時通信状況では事実上ドイツ軍クリミア侵攻止めることが不可能であることがこの時点明らかになった。 黒海艦隊代表団とともにセヴァストーポリ市代表団ウクライナ人組織代表団シンフェローポリ派遣された。そして、コーシュ将軍前者に対して慇懃にもてなしたのに対し後者に対して冷淡に接した。この情報が齎されたとき、サーブリン司令官黒海艦隊クリミア撤退決意した。サーブリン司令官艦隊出港準備命じとともに居残る艦船については爆破するよう、オストログラーツキイ海軍少将命じた。しかし、艦隊混乱に陥って準備手間取り出港時期逃してしまった。幾人も士官らを残したまま、戦列艦ヴォーリャ」と「スヴォボードナヤ・ロシア」以下、若干艦船だけが敵の砲弾の下、ノヴォロシースク向けて出港するのに成功した一方セヴァストーポリに留まった艦船については、艦船ならびに港湾設備爆破班が逃亡してしまったために、艦隊水雷艇「ザヴェートヌイ」以外は結局爆破されないままに残った。ほかの艦船には再びウクライナ国旗掲揚され、オストログラーツキイ海軍少将指揮の下、ウクライナ政府ドイツ軍司令部に対してウクライナ化拒否した艦船外海退去した、残る艦船はすべてウクライナ国旗掲揚し、セヴァストーポリに留まった、と知らせた

※この「第一次ウクライナ・ソビエト戦争」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
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