一式戦とグリフォンスピット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
「一式戦闘機」の記事における「一式戦とグリフォンスピット」の解説
1945年8月15日、太平洋戦争開戦時の進出基地であったフコク島ズォンドンにてタイランド湾の船団掩護を最後の任務とした第64戦隊は、翌16日にクラコールに移転し敗戦を迎えた。同月下旬、クラコール飛行場にイギリス空軍先遣部隊が進出し武装解除。続々と後続が進出するごとに日英ともに緊張も解け交流が始まり、一式戦とスピットファイアの編隊飛行が実現した。戦隊長宮辺少佐の「おいっ、スピットと一緒に飛びたい者、1機だけだ」の発言に操縦者達は皆挙手したが、最終的に戦隊古参のエースである坪根康祐准尉が選ばれスピットファイアを長機とし2機は離陸。2機はクラコール市街上空を低空で飛び回り、日英操縦者達の眼前でフィナーレとして滑走路に超低空進入しての垂直上昇、一式戦はブースト全開でスピットファイアに追随し栄光の「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊と一式戦の最後を飾った。このスピットファイアはグリフォンエンジン(離昇出力2,035馬力)を搭載した5翅プロペラのグリフォン・スピットファイア(グリフォンスピット)ことMk. XIVであった。ただし、これを目撃した池田昌弘氏は、スピットファイアが先に飛び出した全速の百式司偵三型を悠々と追い越し、宙返りまでしたことを聞き、「垣根さんと一緒に飛んだスピットファイアも、きっとレバーを加減して飛んでくれたのでしょう」と、語っている。
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