グリフォン スピットファイア
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「スーパーマリン スピットファイア」の記事における「グリフォン スピットファイア」の解説
ロールス・ロイス社のマーリンエンジンの後継が、同社の2000馬力級エンジンであるグリフォンエンジンである。同じV型12気筒ながら、マーリンの27,000 ccから37,000 ccへと、大幅な排気量アップがなされていた。しかし、同じ2段2速過給器搭載型で比較すると、 マーリン61 全長1.98m、全幅0.757m、全高1.145m グリフォン65 全長2.05m、全幅0.749m 全高1.14m と、両者はほとんど大きさが変わっておらず、それゆえにスピットファイアにも搭載可能であった。 ただし乾燥重量だと948kgあり、744kgだったマーリンより200㎏ほど増えたので、対策として、大型垂直尾翼の採用により、操縦性の向上と同時に、機首のエンジンとの重量バランスを取った(Mk.XIV以降)。 排気量が大きくなり、オイルタンクも大きくなった事で、機首下部にあったオイルタンクを燃料タンクの前に移設した。この改修により、従来よりエンジンの取り付け位置が前に移ったことと、さらにスピナーも大型化したことで、機首が伸びた。また、グリフォンエンジンの出力軸はマーリンより少し低い位置にあるため、プロペラ軸の位置も少し下に下がり、さらに機首下部のオイルタンクが無くなったことで、スピナーに向けて機首が絞りこまれた。これらの結果、グリフォンスピットは、細身の印象の機体となった。 グリフォンエンジンのクランク回転方向はマーリンのそれとは異なり、減速後の軸の回転は左回り(パイロットから見て反時計回り)となるため、プロペラのピッチ(ひねり)もマーリンエンジン機とは逆である。シリンダーヘッドの張り出しが大きく、排気管上のフェアリングに大きな膨らみがある。これらの相違は搭載エンジンの外観上の識別点となる。ただし、このフェアリングの膨らみは、グリフォンエンジン自体が大きくなったからではなく(グリフォンの大きさはマーリンとほぼ変わらない)、機首の絞り込みにより、機首上面を曲面に整形したことによる。プロペラ軸がやや上方にあるマーリンエンジンでは、機首上面はやや角ばって整形されている。 総じてグリフォン搭載型は、エンジン出力の向上に機体強度が追いつかず、また、マーリンエンジンとはプロペラ回転トルクが反対方向になるため、当て舵が逆になることから、「高性能だが操縦が難しい」とされ、これらを失敗作と評価する向きも見られる。 なお、「グリフォン」という名称は、鷲の上半身とライオンの下半身をもつ伝説上の生物ではなく、シロエリハゲワシから取られたものである。「マーリン」も、アーサー王伝説の魔法使いではなく、コチョウゲンボウの事である。そもそもロールス・ロイスの航空エンジンが、「イーグル、ファルコン、ホーク」と猛禽類からの命名だったため、以後も踏襲したものである。 ロールス・ロイス グリフォンを搭載したスピットファイア Mk. XIIは1942年の夏までに配備された。このMk. XIIはわずか8分で高度1万メートルに達することができ、水平飛行で約640km/hの速度に達した。このタイプはマーリンエンジン搭載機に比べれば、速度と武装は向上したが、燃料消費が多く航続距離と搭載量に深刻な欠点をかかえていた。そのため、限定的な航続距離しか必要とされない本土防空戦闘機の役割が与えられ、もう一方のマーリンエンジン搭載機はヤーボとして運用された。 MK. 21以降は、正式にはスーパー・スピットファイアの名称が与えられているが、この名称は一般には浸透せず、単にスピットファイアと呼ばれることが多い。 Mk. XII(タイプ366) Mk. VIII及びMk. IXのエンジンをマーリンからグリフォンに換装して製作されたのがMk. XII(タイプ 366)である。1号機の完成は1942年10月、第41飛行隊(タングメーア)と第91飛行隊(ホーキンジ)の2個飛行隊にのみ配備された。Mk. VIIIからの改造機が55機、Mk. IXからの改造機が45機である。Mk. VIII、Mk. IXの違いから尾輪が引き込み式と固定式の2種類が存在する。 Mk. XIV(タイプ 369/373/379) 1943年7月、Mk. VIIIにグリフォン60系エンジンを搭載したタイプ369を基に、機首の延長、プロペラ枚数の増加(5翅)、大型化された尾翼などを採用したタイプ379がMk. XIVで1943年12月20日に1号機が完成している。総生産数957機。 F/FR Mk. XVIII(タイプ 394) 1943年暮れから、スーパースピットファイアと称する開発が始まった。スーパーマリン社では、戦訓を活かし、Mk. XIVの燃料タンクの増設を図ったMk. XVIIIを完成させた。Mk.XVIIIは、1944年12月から開発を開始、1号機(シリアルナンバーSM844)の英空軍への引き渡しは1945年5月28日、香港の第28飛行隊に配備された。 FRとして202機が製造され、カメラ非搭載の99機は戦闘攻撃機として、対地攻撃に使用された。中にはRATOGとアレスター・フックを装備されたF XVIIIもあった。スーパーマリンで製造されたタンデム複座のタイプ518はTR XVIIIとして練習機として使用された。 第60飛行隊のMk XVIIIは、1951年1月1日のジョホール戦域Kota Tinggiでテロリストへの攻撃に使用された。 PR Mk XIX(タイプ 389/390) Mk. XX Mk. 21(タイプ 368) 翼内スペースの効率的な利用のために翼内構造を改めた機体であり、翼内への燃料タンク追加により航続距離が延長された。また、主脚が延長され、Bf109のように胴体に対し角度を付けて設置しトレッドを拡げることで地上滑走における安定性の向上が図られている。飛行性能の面では、翼端の形状を変更しエルロンを改良することでロール性能が向上した。なお、この型より層流翼へ変更されたという誤解が一部に存在するが、翼型は従前通りのNACA2200シリーズであり層流翼ではない。1号機の完成は1944年1月27日、総生産数は120機。これ以降スピットファイアの型式は、ローマ数字からアラビア数で表記されるようになった。「ヴィクター」の呼称も予定されていたが不採用となっている。 Mk. 22(タイプ 356) Mk. 21のキャノピーをバブル・ウインドとし、スパイトフルの尾翼を流用、電源を12Vから24Vに変更したのがMk. 22(タイプ 356)であり、278機が生産された。 Mk. 23 Mk. 21を基に高々度用として設計されたのがMk.23(タイプ372)である。Mk. 21からの違いは、垂直尾翼の大型化、尖端翼の採用である。生産はされていない。名称は「ヴァリアント」の予定であった。 Mk. 24 Mk. 22の後部燃料タンクを変更、1946年2月から1948年2月までに81機が生産された。 スパイトフル 詳細は「スーパーマリン スパイトフル」を参照 スピットファイア Mk. 20シリーズのために用意された新設計主翼は、開発の途中で別系統の主翼が生み出された。翼断面をP-51 マスタングと同様の層流翼型にし、前後縁も直線テーパーにした。この新設計翼をスピットファイア Mk. XIVと組み合わせた機体が、社内タイプ371として1944年半ばに試作された。しかし、新しい主翼は従来の胴体にはうまく合わず、胴体も新設計にするべきという結論に達し、スピットファイアとは別にスパイトフルと名づけられた。
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