オランダ領ニューギニアとは? わかりやすく解説

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オランダ領ニューギニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 07:21 UTC 版)

オランダ領ニューギニア
Nederlands Nieuw-Guinea (オランダ語)
1945年 - 1962年
(国旗) (国章)
国の標語: Setia, djudjur, Mesra(インドネシア語)
忠誠、誠実、愛情
国歌: Wilhelmus(オランダ語)
ヴィルヘルムス
Hai Tanahku Papua(インドネシア語)
我が地パプア

オランダ領ニューギニアの位置
公用語 オランダ語
パプア諸語
オーストロネシア語族
国教 キリスト教
首都 ホーランディア
女王
1945年 - 1948年 ウィルヘルミナ
1948年 - 1962年 ユリアナ
総督
1950年 - 1953年 S L J Waardenburg
1958年 - 1962年 Pieter Johannes Platteel
面積
1960年 416,000km²
人口
1960年 735,000人
変遷
成立 1945年12月29日
解体 1962年10月1日
通貨 オランダ領ニューギニア・ギルダー
現在 インドネシア
1907年から1915年までオランダのオランダ領ニューギニアにおける探検路線

オランダ領ニューギニアオランダ語: Nederlands Nieuw-Guinea)は、かつてニューギニア島西部に存在したオランダの植民地である。現在のインドネシアパプア州西パプア州にあたる。

歴史

  • 1855年:ニューギニア島西部はオランダ植民地となった。
  • 1885年オランダ領東インドに併合した。
  • 1942年 - 1944年日本軍がニューギニア島北部を占領した。
  • 1949年ハーグ円卓会議を行った後、インドネシアはオランダから独立することになった。ニューギニア西部のインドネシアへの統合を主張したが、オランダはこれを拒否し、将来ニューギニア島西部の帰属解決を保証し、支配しつづけていた。
  • 1952年:オランダはニューギニアの先住民であるパプア人の自治権を認め、独立準備を進めたため、インドネシアとの対立が深まっていた。
  • 1956年:インドネシア側はイリアン地方自治省を設置した。
  • 1961年:オランダがオランダ領ニューギニアを西パプアとして独立させたことに対して、インドネシアが侵攻。
  • 1962年:アメリカの調停でニューヨーク合意英語版と呼ばれる両国間の停戦合意が成立した。オランダ領ニューギニアの統治権は西イリアン国際連合保安隊に移譲された。
  • 1963年:インドネシア統治に移管された。
  • 1969年:インドネシアは住民投票により併合し、西イリアン州を設置した。

[1][2]

脚注

  1. ^ 郵便学者・内藤陽介のブログ - 国連デー
  2. ^ インドネシア地域



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