メリーランド (戦艦)
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メリーランド (USS Maryland, BB-46) は[3]、アメリカ海軍の戦艦[注釈 1]。 コロラド級戦艦の2番艦である[5][注釈 2]。 艦名はメリーランド州にちなむ。 その名を持つ艦としては3隻目にあたる[注釈 3]。 名前の上ではコロラド級2番艦だが、同型艦4隻の中で最初に竣工したため[注釈 4]ネームシップと見なされ、メリーランド級戦艦[8][9]、メリーランド型戦艦と表記する場合がある[注釈 5]。
注釈
- ^ 戰艦“メリーランド Maryland”[4] 全要目{排水量31,5000噸 速力21.0節 備砲 40糎砲8門 13糎砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1917年4月 竣工1921年7月 建造所 紐育造船會社} 米國海軍の有する三大戰艦(40糎砲搭載戰艦)の一で正に我が陸奥、長門に匹敵するものである。全長190.18米、幅29.63米、平均吃水9.3米、全速力21節の軸馬力27,300馬力で推進器は4個を有し電氣推進である。上記の外に13糎高角砲8門を有しカタパルト2基を備へてゐる。搭載飛行機平時3機といふ事である。合衆國艦隊の中樞主力であるとはいつたものゝ、最早その型は餘りにも舊くして艦隊旗艦たるには適さない。米國戰艦改装の最後に殘され、やうやくこの程他の二艦“コロラド Colorado” “ウエスト・ヴァージニア”と一緒に改装に着手された。古風なカゴマストも除かれるであらう。
- ^ 戰艦“コロラド Colorado”[6] 全要目{排水量32,500噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1919年5月 竣工1923年8月 建造所 紐育造船會社} 米國海軍の有する三大戰艦(40糎砲搭載戰艦)の一で正に我が陸奥、長門に匹敵するものである全長190.18米、幅29.63米、平均吃水9.3米、全速力21節の軸馬力27,3004馬力で推進器は4個を有し電氣推進である。上記の外に13糎高角砲8門を有しカタパルト2基を備へてゐる。搭載飛行機平時3機。
戰艦“メリーランド Maryland” 米國の40糎砲搭載戰艦の最初に出來たもの。排水量31,500噸、推進器が電氣式でない外すべてコロラドと同じである。1921年7月ニューポートニユース造船所で竣工したものである。これ等米國の40糎砲は最上仰角30度、その着彈距離は33,000米。 - ^ 初代メリーランドは、スループ型砲艦のメリーランド。2代目はペンシルベニア級装甲巡洋艦のメリーランド (USS Maryland, ACR-8) で、1916年(大正5年)11月9日をもってフレデリック (USS Frederick) と改名された。3代目が本艦で、1917年(大正6年)4月に起工した[4]。4代目はオハイオ級原子力潜水艦のメリーランド (USS Maryland,SSBN-738) 。
- ^ 2番艦メリーランドは、起工、進水、就役の全てで1番艦コロラドに先行した[7]。
- ^ メリーランド型戦艦の使用例は[10]、大本営発表[11]、真珠湾攻撃のニュース報道(NHKアーカイブスポータル)[12]、公刊戦史『戦史叢書』など[13]。また日本海軍では、本級をウェストバージニヤ型戦艦と呼称することもあった[14]。
- ^ ヨーロッパ系の女性名「マリア」の英語圏名。
- ^ 亞米利加合衆国 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[18] 基準排水量三一五〇〇噸、(全載量三三五九〇噸)時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並に後尾甲板上に各々一基宛カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカリフォルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
- ^ a b 一、敵方損害[111] ◇撃沈 戰艦五隻{オクラホマ、アリゾナ、ユタ(以上米確認) カリフォルニヤ型、ウエストバージニヤ型(中略)註 一、昭和十六年十二月八日、同十八日、翌十七年三月六日の大本營發表に依る/二、カリフォルニヤ型はカリフオルニヤ及びテネシーの二艦、メリーランド型はメリーランド及びウエストバージニヤの二艦をいふ。但しメリーランド型一隻は一九四二年五月二十一日南米沖大西洋岸に於て伊太利潜水艦に依り撃沈された旨政府は發表した。從つてメリーランド型は二艦とも撃沈されたわけである)(以下略)
- ^ 16インチ(40cm砲)を搭載した列強各国の主力艦7隻[22](長門、陸奥、コロラド、メリーランド、ウェストバージニア、ネルソン、ロドネイ)のこと[23]。
- ^ “ビッグ・ファイヴ”とは[24]、アメリカ海軍における主力艦5隻(テネシー、カリフォルニア、コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)の渾名[25]。
- ^ イギリス海軍が18インチ砲(46cm砲)の試作に成功したことも、アメリカ海軍に影響を与えた[43](N3型戦艦)。
- ^ (前略)第二艦の「陸奥」は華府會議の際既に竣工してゐたにも拘らず、米國が未成艦なりと主張して譲らなかつた爲に喧ましい問題となり、遂に「陸奥」を生かす代りに、米國は當時建造中の十六吋砲戰艦「コロラド」「ウェスト・ヴァージニア」の二艦を生かし、英國は新たに「ネルソン」「ロドネー」の十六吋砲戰艦二隻を建造することになつて鳧がついたことは有名な史實である(以下略)[53]。
- ^ 第一節 主力艦/(一)總説(中略)[55]更に又華府會議の結果として、一旦廢棄の運命に在つた我戰艦陸奥が復活され、之と均衡を保つべく米國に於てはコロラド及ウエスト・ヴアジニアの二艦を竣工就役させ、英國は新たにネルソン、ロドネーの二隻を建造することとなつた。(米國戰艦コロラド、要目および寫眞)
- ^ 8代目のワシントン (USS Washington,BB-47) は、1919年(大正8年)6日30日に起工、1921年(大正10年)9月12日に進水、1923年(大正12年)11月10日に廃棄が決定した。1924年(大正13年)11月下旬に各種爆破実験と艦砲射撃の標的となって沈没した[57]。ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントン (USS Washington, BB-56) は9代目。
- ^ 〔米國〕戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ[59] 全長624呎 最大幅97呎3吋 平均吃水30呎6吋 排水量32,600噸 速力21節 備砲(16吋8門 5吋-12門 5吋高角-8門) 魚雷發射管2門 竣工1923年12月 同型艦他に二隻 コロラド メリーランド
- ^ “戰艦“長門 ながと”[62] 全要目{排水量32,720噸 速力23.0節 備砲 40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所 呉海軍工廠} 長門は40糎砲といふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても從來のものを完全にノツクアウトし、列強海軍をして瞠若たらしめた艦である。從來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國は一躍世界をリードする日本たることを證明したのである。新鋭長門は今や聯合艦隊主力として海軍無條約時代に備ふ我海軍たのみの艦である。戰艦は艦隊の根幹でありその價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何に依つて決定される。主砲は敵主力艦隊を撃滅するものであり、副砲は主として來襲する敵の輕快部隊に備へるものである。世界の七大戰艦とは、我が“陸奥” “長門” 英の“ネルソン” “ロドニー” 米の“ウエスト・ヴァジニア” “コロラド” “メリーランド”の七艦である。
- ^ 姉妹艦コロラドはピュージェット・サウンド工廠でバルジ装着工事を行っており[68]、難を逃れた[75]。
- ^ メリーランドの前方には給油艦ネオショーが、後方にはテネシー(内側)とウェストバージニア(沖側)が停泊していた[26]。
- ^ 水平爆撃隊50機(淵田機含む)の内訳は[82]、赤城15、加賀15、蒼龍10、飛龍10[83]。
- ^ ネオショー艦長のジョン・フィリップス少佐はネオショーを退避させた判断と功績を評価され、海軍十字章を授与された[96]。
- ^ 炎上するウェストバージニアから発生した煙は、メリーランドの上に覆いかぶさった[98]。
- ^ 真珠湾で損傷したり沈没したテネシー級戦艦2隻や[100]、1942年1月11日に伊号第六潜水艦の雷撃て大破した空母サラトガも[101]、同時期のピュージェット・サウンド造船所に入渠していた[102]。
- ^ コロラド級2隻(コロラド、メリーランド)は前部籠マストを残してSCレーダーを装備したが[106]、大修理をおこなった3隻(テネシー、カリフォルニア、ウェストバージニア)は徹底的改装がおこなわれてサウスダコタ級戦艦に類似した艦型となり[107]、籠マストは完全に撤去された[108]。またコロラドとメリーランドはバルジ装着後の横幅32.9mとなりパナマ運河をギリギリで通航可能だったが、ウェストバージニア級は34.75mとなって通過不可能になった[109]。
- ^ (ブエノスアイレス五月二十四日)[113](中略)因に伊太利政府は金曜日特別コンミュニケを發表し伊太利潜水艦バガリゴ号はブラジル沿岸に於てメリーランド級の米國戰闘艦 三万一千八百噸より三万三千九百噸に魚雷を二發命中させて撃沈したと云つてゐる。伊太利側の發表によれば、米戰艦は二發の魚雷を受けて沈没したが、伊太利潜水艦は結果を見届ける迄現場に在つたと云つてゐる。但し伊太利側の主張の外は何等之を確認すべき報道はない(記事おわり)
- ^ 4番艦のウェストバージニアは1944年(昭和19年)9月まで修理を続け、戦列に戻ったのは10月である[31]。
- ^ 中央通信管制室を増設する場所が司令艦橋しかなく、そこはメリーランドが16インチ主砲の砲身をあげた時、砲口と同じ高さであった[117]。
- ^ 第7艦隊司令長官キンケイド中将は、第77任務部隊(支援部隊)指揮官でもある[140]。
- ^ G・L・ウェイラー少将(旗艦ミシシッピ)が指揮する戦列部隊で、戦艦ミシシッピ、メリーランド、ウェストバージニア、テネシー、カリフォルニア、ペンシルベニア、駆逐艦オーリック、コニー、シガニー、クラックストン、ソーン、ウェルズ[141]。(スリガオ海峡夜戦、戦闘序列)
- ^ 損傷しながら海峡から脱出した最上だったが、昼間の航空攻撃で致命傷を受け、駆逐艦曙に処分された[152]。逃げ遅れた駆逐艦朝雲は、オルデンドルフ部隊の軽巡や駆逐艦に包囲されて撃沈された[153]。
- ^ 11月27日に一式戦闘機の特攻部隊(八紘隊)に突入された姉妹艦コロラドは[160][161]、応急修理により最前線に残った。
- ^ 4月1日、上陸作戦支援中の姉妹艦ウェストバージニアは特攻機の突入により損傷した[165]。
- ^ 1945年(昭和20年)3月19日、大海指第512号と大陸命第1278号により[170]、3月20日午前0時より南西諸島方面の作戦に関し第六航空軍(日本陸軍)は連合艦隊(日本海軍)の指揮下に入った[171]。
- ^ 大和型戦艦は18インチ砲を装備した満載排水量7万トン級戦艦だったが[175]、アメリカ海軍の認識では45,000トン級戦艦であった[176]。
- ^ 4月7日、菊水一号作戦における日本海軍出撃部隊[188]:第四建武隊:爆戦(爆装零戦)12機(爆戦9未帰還)。第三御盾隊601隊:彗星11機(全機未帰還)。第三御盾隊706隊/第四銀河隊:銀河12機(未帰還計9機)。第三御盾隊252隊:爆戦18機(零戦5機未帰還)。
- ^ 日本陸軍特攻機[189]:4月7日朝に萬世基地より20機出撃(第七十四振武隊)、7日昼間に知覧より30機出撃(第七十五振武隊。天候不良で13機のみ突入)。7日払暁に徳之島から特攻11機(第四十四振武隊)出撃。喜界島から7日早朝に6機(第四十六振武隊)、薄暮に9機で攻撃を実施。
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- 1 メリーランド (戦艦)とは
- 2 メリーランド (戦艦)の概要
- 3 栄典
- 4 外部リンク
「メリーランド (戦艦)」の例文・使い方・用例・文例
- ペンシルバニア州、メリーランド州で使われた高地ドイツ語の一方言
- メリーランドとペンシルベニアの境界
- ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェア、およびメリーランドを含む米国東部の地域
- リーは米国からメリーランドを分離することを希望した
- メリーランド北東部の町
- メリーランドの州都
- メリーランドで最も大きい都市
- メリーランドの米国陸軍基地
- ボルチモアの西部のメリーランド州北部の町
- メリーランド州北部の町
- ヴァージニアとメリーランドの間の北大西洋の大きな入江
- 米国北東部の川で、ニューヨークに源を発し、ペンシルバニア州とメリーランド州を南流してチェサピーク湾に注ぐ
- 以前は、チェサピーク湾とポトマック川の間のメリーランドで暮らしていたアルゴンキン語族の一員
- メリーランド州とデラウェア州の東部に住んでいたアルゴンキン族
- メリーランド生まれの人または居住者
- 米国の奴隷廃止論者で、メリーランドの農園で奴隷として生まれ、奴隷亡命組織の有名な指導者なり、北部で他の奴隷を自由に導いた(1820年−1913年)
- メリーランドの州花
- メリーランドという,アメリカ合衆国の州
- 米国のワシントンに近いメリーランド州モンゴメリー郡が10月2,3日に突然,多重殺人現場になった。
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