日本での鹵獲運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)
「F2A (航空機)」の記事における「日本での鹵獲運用」の解説
マレー半島やシンガポール方面でイギリス極東空軍のB-339Eが、インドネシア方面でオランダ領東インド陸軍航空隊のB-339Dが完全な状態のままで数機鹵獲され、性能テストのために日本本土の陸軍飛行実験部に送られ、明野陸軍飛行学校に配属されている。 これらの機体は1942年7月4日から5日間にわたりP-40E ウォーホーク、B-17D フライングフォートレス、ハリケーン等とともに羽田飛行場で戦意高揚のため一般展覧が行われた。また、国策映画『加藤隼戦闘隊』及び『愛機南へ飛ぶ』に敵機役として出演している。 1943年、宇都宮陸軍飛行学校校長に就任した加藤敏雄大佐は、員数外であったB-339を自ら操縦し、事実上自家用機として使用していた。加藤が少将に昇格し、1945年4月の常陸教導飛行師団長に任命された際には、任地の群馬県新田飛行場へ自らB-339を操縦して向かい、着任式に臨んだ。同機は最終的に7月の宇都宮空襲で破壊されたが、機体形状から米軍は雷電と誤認して記録している。
※この「日本での鹵獲運用」の解説は、「F2A (航空機)」の解説の一部です。
「日本での鹵獲運用」を含む「F2A (航空機)」の記事については、「F2A (航空機)」の概要を参照ください。
- 日本での鹵獲運用のページへのリンク