日本での騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 02:19 UTC 版)
2010年、安田記念に参戦したフェローシップの鞍上として初来日。当日6月6日の東京競馬場第2競走でコウセイベイビーに騎乗したのが中央競馬初騎乗(結果は7着)。なお、メインレースの安田記念では7番人気で9着。最終レースに設定されたユニコーンステークスではドロに騎乗し5着に入線した。 2012年の12月には第26回ワールドスーパージョッキーズシリーズに初出場。2勝をあげ52Pを獲得し初出場で初優勝を達成した。 2014年には初めての短期免許を取得(期間は7月12日〜8月17日)。身元引受人は池江泰寿調教師と馬主の吉田勝己。20鞍騎乗し6勝するという好成績だったが7月20日の5レースで踵の古傷を痛めその後の騎乗をキャンセル。途中帰国し治療に専念した。その後、12月のワールドスーパージョッキーズシリーズに2年ぶり2度目の出場するも20Pで9位タイに終わった。 2015年、エアロヴェロシティとのコンビで高松宮記念に参戦。好位置から抜け出し快勝し、JRAの重賞初勝利をG1勝利で飾った。また、7月18日〜8月9日にかけて2度目の短期免許取得(身元引受人は前年度同様に池江泰寿調教師と馬主の吉田勝己)。今回は途中離脱することなく小倉や中京に参戦し、52戦8勝の成績をあげる。
※この「日本での騎乗」の解説は、「ザカリー・パートン」の解説の一部です。
「日本での騎乗」を含む「ザカリー・パートン」の記事については、「ザカリー・パートン」の概要を参照ください。
日本での騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 15:40 UTC 版)
1993年、ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップのために来日し、日本での初騎乗を果たす。この時は5着が最高で11位に終わったが、翌1994年にも出場すると2勝を挙げて優勝を果たした。 ワールドスーパージョッキーズシリーズには2001年に初出場。2003年から2008年までは6年連続で出場している。最高成績は2008年の8位。 JRA通算54戦2勝(2010年現在)
※この「日本での騎乗」の解説は、「エドガー・プラード」の解説の一部です。
「日本での騎乗」を含む「エドガー・プラード」の記事については、「エドガー・プラード」の概要を参照ください。
日本での騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:01 UTC 版)
1993年のジャパンカップでコタシャーンに騎乗。直線一気に伸びるが、残り100mのハロン棒をゴール板と勘違いし立ち上がるハプニングを起こす。すぐ気がつき約2秒後に追い出すがレガシーワールドには追いつけず、1馬身1/4差の2着となった。レース後、「一生懸命追って、顔を上げたら太陽が目に入った。その時に左に100メートル標識が見えてそれをゴールと間違えた。もし間違えなかったら、1着になっていたかもしれない。」とコメントした。この騎乗について、裁決委員は明らかに着順に影響があったとまでは認められないと判断して過怠金5万円(当時の過怠金の最高額)を科している。1998年12月6日の阪神競馬場12Rで日本初勝利を挙げる。 短期免許で来日したのは2001年が初。家庭の事情で来日(後述)。この年レディパステルで優駿牝馬(オークス)を制し、外国人騎手による初のクラシック制覇を達成した。さらにマキバスナイパーで帝王賞、ブロードアピールでプロキオンステークス、ノボジャックで北海道スプリントカップを制するなど大活躍し、秋にも来日する予定だったがアメリカ同時多発テロの影響で断念した。なお、春2ヶ月間の騎乗で、この年度のJRA賞最高勝率騎手賞を獲得している。以後2002年、2003年、2005年、2012年、2014年にも来日。2003年の来日ではゼンノロブロイで神戸新聞杯を制した。 2005年の朝日杯フューチュリティステークスでは1番人気のジャリスコライトに騎乗したがレース中に鞭を落とし、手で馬を叩くという荒業(俗に言う「手ムチ」)を見せたが3着に敗れた。 2014年12月29日には東京大賞典でソイフェットに騎乗するため来日するも、同馬は肺出血を発症し最下位(16着)に敗れた。2022年1月時点でJRA通算121勝を挙げている。
※この「日本での騎乗」の解説は、「ケント・デザーモ」の解説の一部です。
「日本での騎乗」を含む「ケント・デザーモ」の記事については、「ケント・デザーモ」の概要を参照ください。
日本での騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:44 UTC 版)
「オイシン・マーフィー」の記事における「日本での騎乗」の解説
2012年の凱旋門賞でのオルフェーヴルと2014年のジャパンカップでのエピファネイアの走りに衝撃を受け、日本の競馬に強い関心を抱いた。2016年の年末には短期免許取得の希望を伝えていたが、2018年の夏前に取得条件を満たしたことで同年暮れの来日が実現した。 2018年12月15日から12月29日および2019年1月1日から1月28日までJRA短期免許を取得して初来日(身元引受調教師:国枝栄、身元引受馬主:(株)サトミホースカンパニー)。日本での騎乗開始初日の12月15日に中山10R(舞浜特別)をサニーダンサーで制してJRA初勝利。 2019年1月27日に根岸ステークスをコパノキッキングで制し、JRA重賞を初制覇。前年暮れからの1ヶ月半の短期免許期間で25勝を挙げた。 2019年11月24日にジャパンカップをスワーヴリチャードで制し、JRA・GIを初制覇。(詳細は第39回ジャパンカップを参照)
※この「日本での騎乗」の解説は、「オイシン・マーフィー」の解説の一部です。
「日本での騎乗」を含む「オイシン・マーフィー」の記事については、「オイシン・マーフィー」の概要を参照ください。
日本での騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 17:20 UTC 版)
2014年のGIレース・安田記念でグロリアスデイズに騎乗するために初来日。この時は6鞍に騎乗するも2着が最高で勝つことはできなかった。 2015年、札幌競馬場で開催された第1回ワールドオールスタージョッキーズ(以下WASJ)に参加するために再来日。初日の第1レースと第4レースでいきなり騎乗機会2連勝を飾る。WASJ本戦では4レースで2勝・2着1回の好成績を挙げて優勝を飾った。8月29日・30日の開催2日間だけで20レースに騎乗して7勝・2着4回・3着1回と強いインパクトを与えた。 2016年8月13日から28日まで開催6日間の騎乗で初めてJRA短期騎乗免許を取得。また2016年8月27日の札幌競馬第12レースから翌28日の札幌競馬第2,3,4,6,8,9競走にかけ騎乗機会7連勝を記録。2005年9月の武豊と並びJRA最多タイ記録をマークした。6日間で54レースに騎乗して17勝(勝率32.1%)・2着12回・3着7回と暴れたが、重賞レースでは札幌記念のモーリスを含め3鞍に騎乗したものの2着2回・4着1回に留まった。 2017年の安田記念でコンテントメントに騎乗するために再来日。10レース騎乗して2勝。8月17日から22日まで(開催2日間)は2度目のJRA短期騎乗免許を取得。20レースに騎乗して7勝・2着4回・3着1回の成績をマーク。翌週はWASJに参加するため継続騎乗。8月26日は9レースに騎乗して1勝に留まるも、翌27日は第1レースから最終第12レースまで全レースに騎乗して4勝をマークした。WASJ本戦では4レース騎乗して1勝をマークしたが全体では14人中第4位に留まった。 2018年は7月から12月までの長期に渡って、断続的に短期免許で来日。8月26日、キーンランドカップをナックビーナスで制してJRA重賞初制覇。10月7日の毎日王冠では出走馬中唯一の牝馬・アエロリットに騎乗して優勝。11月11日、京都競馬場第9レースでJRA通算100勝を達成。2014年6月8日の初騎乗から294戦目の達成はJRA史上最速(294戦100勝・勝率.340、2着48回・連対率.503、3着31回、着外115回、従来の記録はケント・デザーモの460戦)。また同日のGI・エリザベス女王杯でリスグラシューに騎乗してJRA・GI初制覇。 日付競馬場、開催競走名馬名頭数人気着順初騎乗 2014年6月8日 3回東京2日目3R 3歳未勝利 ハワイアンブロー 15頭 7 6着 初勝利 2015年8月29日 2回札幌3日目1R 2歳未勝利 スミレ 13頭 4 1着 重賞初騎乗 2016年8月21日 2回札幌2日目11R 札幌記念 モーリス 16頭 1 2着 重賞初勝利 2018年8月26日 2回札幌4日目11R キーンランドカップ ナックビーナス 16頭 1 1着 GI初騎乗 2014年6月8日 3回東京2日目11R 安田記念 グロリアスデイズ 17頭 13 6着 GI初勝利 2018年11月11日 5回京都4日目11R エリザベス女王杯 リスグラシュー 17頭 3 1着
※この「日本での騎乗」の解説は、「ジョアン・モレイラ」の解説の一部です。
「日本での騎乗」を含む「ジョアン・モレイラ」の記事については、「ジョアン・モレイラ」の概要を参照ください。
- 日本での騎乗のページへのリンク