重賞初制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:16 UTC 版)
2000年も緒戦からGIIを2・3・2着と勝ちきれず、天皇賞(春)で4着となった後、5戦目の目黒記念を前に熊沢は降板となり、以前一度だけ騎乗していた武豊が代役として迎えられた。池江泰郎はこの乗り替わりについて、「心を鬼にして、すべてをユタカ君に任そうと思いました」と語った。 競走当日は朝から雨が降っており、東京競馬場の馬場状態は重馬場と発表され、パワーを要求されるコンディションに悪化していた。オッズは当年初戦のアメリカジョッキークラブカップで負かされていたマチカネキンノホシに次ぐ2番人気に推された。レースは前半1000m通過が58秒7という速いペースで推移し、武は後方待機策を取った。最後の直線で追い込みを開始すると、残り100m付近でマチカネキンノホシを捉え、同馬に1馬身1/4差を付けて優勝。通算38戦目、3歳時に勝った900万下条件戦の阿寒湖特別以来、約2年8カ月ぶりの勝利で、陣営念願の重賞初制覇をサンデーサイレンス産駒重賞100勝目の区切りの記録で果たした。その間の連敗数は28戦、うち重賞での2着・3着がそれぞれ7回ずつあった。 土曜日開催・雨天下のGII競走ながら、観客スタンドからはGIに匹敵する歓声と拍手が送られ、またモニター中継を行っていた中京競馬場でも拍手が湧き起こった。池江は「GIでもね、あんなのないものね。あんな温かいのは。僕もね、本当は拍手したかったんですよ。みなさんと一緒に。それぐらい感動しましたよ」、担当厩務員の山元重治は、「振り向くとさ、みんなが応援してくれているじゃない。喜んでくれているじゃない。それを見て涙が出て困ったよ」と語った。また武は、「土曜の、しかも雨降りのGIIなのに、クラシックレース並の大拍手で迎えられて、ステイゴールドの得難いキャラクターというものを肌で感じました。池江先生なんか感激で泣いてるんですからね。まわりの、そうした空気というものに一番の驚きを覚えましたね」と述懐している。 一方で降板させられた熊沢は後に行われたインタビューで、この競走について次のように語っている。 どうしたらステイゴールドを勝利に導けるか。あのころはそれだけを考えていただけに、目黒記念を見たときは複雑な気持ちでした。そうなんだ、そう乗るテもあるんだ、と思ったけど、それを言うわけにもいかないし、聞いてくれる人もいない。やっぱり正直な気持ち、あのときは寂しさをひしひしと感じましたね。でも、いつまでも引きずったりはしませんでしたよ。僕の手から離れたけど、永年付き合ってきた戦友ですからね。(後略)」 — ステイゴールド永遠の黄金、50頁。 武は東京競馬場からの帰路において「熊沢さんは今どんな気持ちなんだろう」とその心中を慮り、「ちょっと顔を合わせにくい」という気持ちもあったと述懐しているが、熊沢から「意外なほど屈託のない声で」祝福の言葉をかけられたといい、「すごくいい気持ちになれました」と語っている。 目黒記念の後は安藤勝己に乗り替わって宝塚記念に出走し、最後方追走から末脚を伸ばしながらも4着に終わる。また、宝塚記念でのファン投票の得票順位はテイエムオペラオーに次ぐ2位につけ、3位にはグランプリ4連覇の快挙がかかっていたグラスワンダーが入った。その後夏を休養に充てて迎えた秋の初戦・オールカマーは後藤浩輝に乗り替わってメイショウドトウの5着、武豊と再度のコンビを結成して臨んだ天皇賞・秋は1コーナーで受けた大きな不利が響いて5着、後藤に乗り替わって逃げを打って出たジャパンカップは直線の伸びを欠いて8着、年内最終戦となった有馬記念では7着に敗れ、結果的に目黒記念後は宝塚記念での4着が最高という成績に終わった。一方、同年秋には日本中央競馬会が主催した20世紀の名馬選定企画「Dream Horses 2000」において、GI級競走の未勝利馬として最上位の34位に選ばれた。
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