重賞制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 00:38 UTC 版)
12月6日の鳴尾記念(GII)は、2クラス上の格上挑戦で重賞初挑戦となった。同期で皐月賞および菊花賞2着のゴールドシチーが1番人気、1986年の菊花賞優勝馬メジロデュレンが2番人気となり、単勝5.8倍の3番人気に推された。スタートで出遅れて最後方から進み、13頭中9番手で最終コーナーを通過した。直線では、前方に5頭ほどおり進路が塞がれていたが、残り300メートルにてわずかにできた進路を突き、馬場の最も内側から進出。残り150メートルで抜け出すと、リードを広げて2着のメイショウエイカンに6馬身差で勝利。走破タイムは2分33秒0であり、稍重馬場にもかかわらずコースレコードを更新した。当時、関東で放映される関西の競馬は重賞にほぼ限定されており、タマモクロスに馴染みのない関東の競馬ファンに衝撃を与えた。 この勝利に年末の有馬記念参戦が期待され、中でも日刊スポーツの梶山隆平は、直接小原に出走を要求した。しかし繊細な面があり、レース後に食べる飼葉が減少し痩せてしまうことから、小原はレースが行われる中山競馬場および関東への輸送することはできないと判断し、回避。有馬記念を回避する代わりに、オーナーの三野は「年の初めに勝つと縁起が良い」とし、正月の金杯を使うことを提案した。小原は当初、天皇賞(春)に向けて日経新春杯から阪神大賞典のローテーションを考えていたが、三野の希望を受け入れた。 1987年4歳馬部門のフリーハンデは「56」が与えられ、サニースワローやモガミヤシマレオテンザンと同等の評価となった。
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