クラシック制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 14:56 UTC 版)
「ハギノトップレディ」の記事における「クラシック制覇」の解説
1980年(昭和55年)3月下旬、桜花賞を目前に控え、まだ1勝馬にすぎないハギノトップレディは桜花賞指定オープンに出走した。不良馬場で行われたこの競走でハギノトップレディは1番人気だったが、3着に逃げ粘り、桜花賞への出走権を確保した。 2週間後の桜花賞は、わずか2戦1勝のキャリアしかないものの2番人気になった。1番人気はハギノトップレディのいない3歳戦を勝ちまくって最優秀3歳牝馬になったラフオンテースであった。ハギノトップレディはスタートから先頭を奪うと、前半の800メートルを45秒台の猛烈なペースで逃げ、直線で一瞬捕まりそうになるも、二の足で再度突き放しそのまま20頭を引き連れてゴールまで駆け抜けた。キャリア3戦目での桜花賞優勝は1948年(昭和23年)のハマカゼ以来32年ぶりの2頭目であり、この後も2020年(令和2年)のデアリングタクトまで40年間出現しなかった。漆黒の馬体に白い鼻梁の外見も人気だった。3歳チャンピオンを出しながら桜花賞に縁が無かった「華麗なる一族」にとって、初の桜花賞制覇になった。 不良馬場で行われた優駿牝馬(オークス)でハギノトップレディは17着に大敗し、距離の壁があるといわれた。夏を休養に充て、10月に復帰したハギノトップレディは、復帰緒戦のオープン戦(1600メートル)を1分34秒2のレコードで逃げ切った。後続との差は9馬身。2戦目は京都牝馬特別、母のイットーが2度アクシデントに見舞われた因縁の競走だが、再び後続に2馬身半差をつけて逃げ切った。 11月16日のエリザベス女王杯は八大競走には含まれないが、事実上は牝馬による三冠最後の一戦として定着しており、オークス馬ケイキロクほか20頭が集まった。2連勝で臨んでいるとはいえ、2400メートルの距離には不安があると言われたハギノトップレディは3番人気。本命は直前のオープン戦で同期のダービー馬オペックホースを破った外国産馬のインタースマッシュだった。ハギノトップレディはいつもと同じように先頭に立つと、いつもとは違ってゆっくりとしたペースで逃げ、桜花賞を再現するかの様に二の足を使い、タケノハッピーを抑えて逃げ切った。ハギノトップレディはこの年の最優秀4歳牝馬に選ばれた。春には「イットーの子」と呼ばれていたが、暮れにはイットーが「ハギノトップレディの母」と呼ばれるようになっていた。
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