19年目のクラシック制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 17:58 UTC 版)
「アイネスフウジン」の記事における「19年目のクラシック制覇」の解説
騎手の中野栄治と、調教師の加藤修甫は、共に騎手デビュー、厩舎開業19年目であった。中野は、減量が難しくレースに騎乗する機会が減り、引退も視野に入れていた。加藤は、1988年のミュゲロワイヤル、1989年のアイネスボンバーと2年連続で故障により東京優駿(日本ダービー)出走を断念している状況であった。 中野がアイネスフウジンの騎乗依頼を貰うきっかけの一つに、デビュー前の小倉競馬場滞在中に交通事故を起こしたことがあった。事故の際、前日に飲んだ酒が中野の体内に残っており、酒気帯び運転だった。この時、あるマスコミが事故報道に「助手席に女性を座らせていた」という嘘を紛れ込ませてしまう。そして中野の妻がその報道を真に受けてしまった。妻は激怒、その「女性」の存在を問いただそうと、小倉滞在中の中野を美浦に強制送還。そんな状況で美浦にいた中野に、加藤から声を掛けられて、アイネスフウジン騎乗に至った。
※この「19年目のクラシック制覇」の解説は、「アイネスフウジン」の解説の一部です。
「19年目のクラシック制覇」を含む「アイネスフウジン」の記事については、「アイネスフウジン」の概要を参照ください。
- 19年目のクラシック制覇のページへのリンク