19(20)学区制
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「神奈川県高等学校の通学区域」の記事における「19(20)学区制」の解説
1950年(昭和25年)度から1962年(昭和37年)度まで。 1951年、希望ヶ丘高が保土ケ谷区(当時)に移転し、瀬谷・鶴ヶ峯・保土ケ谷・原中学区域、ならびに高座郡大和町を学区とする。従来の学区は新設の横浜市立金沢高等学校に移管された。 1954年、鶴見工業高と横浜商業高の普通科が募集停止。それぞれ鶴見高(定員増)と新設の港高全日制→横浜市立南高等学校に移管された。
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