クラシック二冠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:14 UTC 版)
厩舎内で休養の後、1月半ば過ぎからは古牡馬トウショウペガサスと併せ馬を行うなど、本格的な調教を再開した。26日には復帰戦クイーンカップを迎える。当日は単枠指定を受け、単勝オッズは1.2倍と圧倒的な人気を集めた。しかし競走前から激しく焦れ込む様子を見せ、レースでは先行2番手に付けながら直線で失速。4着に終わった。競走後、柏崎は「4コーナーの手応えは手が痺れるくらいだった。イレ込みも競馬では関係ない。なぜ負けたのか分からない」とコメントしたが、メジロ総帥の北野ミヤは競走前からその様子を訝しみ、「今日のラモーヌは負けるわよ」と語っていたという。 次走は桜花賞に備え関西に移動、トライアル競走の報知杯4歳牝馬特別に出走した。ラモーヌが3歳の頃から、関西で出走する際には関西の河内洋を騎手とする方針が決められており、予定通り本競走から河内が騎手を務めた。レースでは中団から後方を進んだが、第3コーナーで失速後退してきた先行馬の影響を受け、直線入り口でほぼ最後方の位置まで下がった。しかし直線では一気の追い込みを見せ、ゴール寸前でチュウオーサリーをクビ差交わしての勝利を収めた。懸念された馬ごみと稍重馬場を難なくこなした本馬は、この頃より、当時史上最強牝馬の1頭と目されていたテスコガビーとの比較が関係者・ファンの間で頻繁に交わされるようになっていった。 4月6日に迎えた桜花賞では、5枠13番で単枠指定を受け、オッズ1.6倍の1番人気となった。競走前には焦れ込む様子を見せたが、レースでは中団に付けると第3コーナーから先団に進出、直線で早めに抜け出し、追い込んだマヤノジョウオに1馬身3/4差を付けて優勝、クラシック初戦を制した。メジロ牧場にとって初のクラシック制覇であり、競走後の記念撮影では、河内が馬上で2年前に逝去した北野豊吉の写真を掲げた。また、後に「桜花賞男」と称される河内にとっても、これが最初の桜花賞勝利であった。 美浦に戻った後、二冠を目指す優駿牝馬(オークス)を控えたが、ここまでの2敗はいずれもオークス開催場の東京競馬場で喫しており、この不安点を払拭するためにトライアル競走のサンスポ賞4歳牝馬特別に出走した。桜花賞に出走していなかったダイナアクトレスと初対戦となったが、直線で先頭に立った同馬を一気に交わして勝利。リーゼングロス以来、4年振りとなる桜花賞馬による同レース勝利で東京競馬場での重賞初勝利を挙げ、オークスに臨んだ。トライアルの勝ち馬がオークスを勝った例は無いというジンクスもあったなか、単枠指定されて単勝オッズ1.8倍に支持された。レースではスタートで躓き後方からの運びとなる。しかし埒沿いの最短距離を通って徐々に先団に進出すると、最後の直線半ばで先頭に立ち、ユウミロクに2馬身半差を付けて優勝。テイタニヤ以来10年振り、史上7頭目の牝馬クラシック二冠を達成した。また、サンスポ賞4歳牝馬特別の優勝馬による同レース勝利も、これが最初であった。その競走内容は野平祐二より「オークス史上稀に見る強さ」と評され、河内はインタビューにおいて「テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな」と語った。河内は後に牝馬三冠において「もっとも楽だった」レースとしてこのオークスを挙げた。
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