戦争による中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:42 UTC 版)
「ブルーリバンドトライアルステークス」の記事における「戦争による中断」の解説
3年目の1939年にはブルーピーターが4馬身差でブルーリバンドトライアルステークスに勝った。ブルーピーターが2000ギニー、イギリスダービーを本命で連勝してクラシック二冠馬となったことで、ブルーリバンドトライアルステークスの名が上がった。ブルーピーターは夏のエクリプスステークスで前年のセントレジャー勝馬を下して優勝し、クラシック三冠達成の気運が高まった。ところがこの年の9月1日にドイツ軍がポーランドへ侵攻し、翌週のセントレジャーは中止になった。 ロンドン郊外にあるエプソム競馬場は基地として利用されることになり、1940年以降、エプソム競馬場では競馬は開催できなくなった。ダービーをはじめ主要な競走は別の競馬場で代替開催となったが、ブルーリバンドトライアルステークスは終戦まで開催されなかった。
※この「戦争による中断」の解説は、「ブルーリバンドトライアルステークス」の解説の一部です。
「戦争による中断」を含む「ブルーリバンドトライアルステークス」の記事については、「ブルーリバンドトライアルステークス」の概要を参照ください。
- 戦争による中断のページへのリンク