クラシック三冠を逃す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 01:42 UTC 版)
「ネオユニヴァース」の記事における「クラシック三冠を逃す」の解説
宝塚記念のあとは社台ファームで夏を過ごし、系列の山元トレーニングセンターでの調整を経て8月28日に栗東に帰厩。秋は1994年のナリタブライアン以来となる史上6頭目のクラシック三冠達成が懸かる菊花賞を目標に、神戸新聞杯 (GII)から始動した。デムーロの短期免許期間が春で満了していたことから、鞍上には半年ぶりに福永祐一を迎えた。この競走にはサクラプレジデント・ゼンノロブロイといった春の有力馬も顔を揃え、夏の札幌記念 (GII)で古馬(4歳以上馬)を破っていたサクラプレジデントが1番人気、ネオユニヴァースはそれに次ぐ2番人気となる。道中ではゼンノロブロイと並ぶ形で中団を進んだが、後方からのまくりをかけたサクラプレジデント、さらに同馬を一気に抜き去ったゼンノロブロイに後れをとり、約4馬身差の3着となった。このときネオユニヴァースは歯替わりの最中で、操縦性に影響するハミ受けの具合が悪く、敗因が明らかであることから陣営はこの敗戦を大きく捉えることはなかったという。 次走、ネオユニヴァースが菊花賞へ臨むに当たり、日本中央競馬会は外国人騎手の取り扱いについて、「同一馬に騎乗して同一年にJRAのGIを2勝以上した場合、その年のGIで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGI当日のみ免許を発行する」という特例措置を発表し、これにより菊花賞は再びデムーロを鞍上にしての出走が叶うこととなった。なお10月19日、菊花賞に先立って行われた牝馬三冠最終戦・秋華賞では、春の桜花賞・優駿牝馬(オークス)を制したスティルインラブが1986年のメジロラモーヌ以来となる17年ぶりの「牝馬三冠」を達成していた。 2003年10月26日の菊花賞当日、ネオユニヴァースは単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持される。2番人気には2.5倍でゼンノロブロイ、3番人気には6.1倍でサクラプレジデントが続いた。スタートが切られると、ネオユニヴァースは道中で12番手を追走。周回2周目の第3コーナーから5番人気のザッツザプレンティが一気にスパートを掛けて先頭に立ち、ネオユニヴァースもこれを追い2番手で最後の直線に入った。直線ではザッツザプレンティが逃げ粘り、ネオユニヴァースは差を詰められず徐々に失速。残り100メートルでは後方から追い込んだリンカーンにもかわされ、勝ったザッツザプレンティから1馬身弱の差の3着に終わり、三冠を逃した。競走後、デムーロは「大きく外を回されることもなかったし、ごちゃつかずに運べたので外枠は良かった。状態も良かった」、「距離が微妙に長かった」と、淡々と語るにとどめた。 菊花賞の後はデムーロとのコンビで国際競走・ジャパンカップ (GI)に出走。前走、天皇賞(秋)をレコード勝ちしたシンボリクリスエスがオッズ1.9倍と突出した1番人気となり、ネオユニヴァースはそれに次ぐ2番人気 (7.0倍)となった。なお、前日から雨が降り続き、当日はジャパンカップでは11年ぶりの重馬場で行われた。道中、ネオユニヴァースは13番手前後を追走して最後の直線に入ったが、後続に終始大きな差を付けて逃げ続けたタップダンスシチーが競走史上最大の9馬身差を付けて逃げきり、ネオユニヴァースはさらにザッツザプレンティ、シンボリクリスエスに後れての4着に終わった。 年末のグランプリ・有馬記念に向けたファン投票では9万8926票を集め、シンボリクリスエスに次ぐ2位で選出されたが、出走せず休養に入った。当年のJRA賞(年度表彰)においては、最優秀3歳牡馬に選出。また、仮定の斤量数値で馬の序列化を図るJPNクラシフィケーションでは、Iコラム (1900 - 2199メートル)117ポンドで3歳馬の首位に据えられた。一方この数値は、策定方法が統一された1997年以降の首位3歳馬としては、アグネスフライトを1ポンド上回ったのみの平年以下の評価ともなった。
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