クラシック三冠成らず
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 17:02 UTC 版)
ダービーの後は夏場を休養に充て、秋はセントライト以来史上2頭目の三冠が懸かる菊花賞を目標とした。10月に中山競馬場のオープン戦で復帰、重賞4勝の古馬トウコンを破って勝利を挙げた。その後菊花賞に備えて関西入りし、前哨戦として出走したオープン戦を楽勝。 11月17日、菊花賞を迎えた。 グレートヨルカは秋緒戦のセントライト記念をレコードタイムで制していたが、後に肩を痛めて前哨戦に予定した京都杯を使えず、メイズイのクラシック三冠は確実視された。当日の単勝支持率は菊花賞史上最高の値となる83.2%を記録。主催者の日本中央競馬会も三冠達成記念のくす玉を用意していた。しかしレースでは、当時「三冠キラー」の異名を取った浅見国一騎乗のコウライオーに絡まれて馬が引っ掛かり、3000mという長距離にもかかわらず、800m、1000mのラップタイムをそれぞれ11秒7、11秒5というハイペースで飛ばした。その後は向正面で後続に30馬身差を付けて逃げ続けたが、周回2周目の第3コーナーで早々に失速、クラシック初制覇を果たしたグレートヨルカの後方で6着に終わった。 入線後、グレートヨルカに騎乗していた保田隆芳は、後方からメイズイが来るのを待って、森安に「このバカヤロー!」と怒鳴ったとされる。また、尾形も呆然とした様子で、引き上げてきた保田に「先生、勝ったんです」と言われるまで、グレートヨルカの勝利に気付かなかったという。後に保田は、「宿命のライバルといわれたメイズイが、いま目の前で壊滅しようとしているのを見ては、やはり暗い気持ちにならざるを得なかった」と競走中の心境を回想している。敗戦の原因には距離適性の限界などが囁かれたが、特に森安の騎乗は激しい批判に晒された。たとえば尾形は自著の中で次のように指弾している。 情なくて涙も出ないという言葉があるが、無理をしいられたメイズイがかわいそうでならなかった。特に押さえることはない、自然にゆけという私の指示が、強引に行く結果となって、見るに堪えない負け方をした。軽く押さえてゆけば、たとえ負けるにしても、いい勝負になったものを、この敗戦は、だらしない乗り方の一語に尽きるものだった。 森安は競走前に「何が相手(強敵)と思うか」との質問に対して「何が相手って、時計(レコードタイム)が相手だよ」と発言するなど、勝って当然という態度を示しており、競馬評論家の大川慶次郎はこうした姿勢も敗因の一端にあったとしている。また、尾形はこの頃の森安について、「ダービーをとったらのぼせて不良に落ちた」とも述べている。
※この「クラシック三冠成らず」の解説は、「メイズイ」の解説の一部です。
「クラシック三冠成らず」を含む「メイズイ」の記事については、「メイズイ」の概要を参照ください。
- クラシック三冠成らずのページへのリンク