クラシック戦線へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:48 UTC 版)
「ウィナーズサークル」の記事における「クラシック戦線へ」の解説
年が明けた1989年1月、4戦目の中山のダート未勝利戦でようやく初勝利をあげ、カトレア賞、400万下条件戦とダート路線で連続して2着入線した後、7戦目となった3月のダート400万下条件戦で2着に7馬身差をつけて勝利する。この時点で皐月賞の優先出走権はなく、賞金額も足りなかったために出走の可否は抽選に頼る他なかったが、マイネルブレーブやレインボーアンバー、タマモベイジュといった有力馬の出走回避もあって、抽選により第49回皐月賞に出走する。事前の人気は重賞競走の出走経験もなく、ダートでの勝ち鞍しかなかった事などもあり7番人気だった。朝まで降っていた雨の影響で不良馬場で開催されたレースは3番人気のドクタースパートが制するが、ウィナーズサークルは出走馬最速となる上り37.6という末脚でドクタースパートから1/2馬身差の2着に入り、第56回東京優駿の優先出走権を獲得することに成功する。
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