第56回東京優駿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:48 UTC 版)
「ウィナーズサークル」の記事における「第56回東京優駿」の解説
松山は「皐月賞でダービーの出走権を確保したことで使う必要がなくなったし、ミスターシービーのころから皐月賞から中5週くらいの間隔が理想的だと思っていた」と、NHK杯を使うことなく直接ダービーへ向かうことを決定する。松山は自身の決定に自信を持っていたが、東京の芝コースでのレースを一度も経験したことがない馬、また芝コースのレースで勝利したことのない馬がダービーを制した事例はなく、さらに2勝馬がダービーを制覇した事例も1949年のタチカゼまで遡らなくてはならなかった。 そして迎えた第56回東京優駿。この年の牡馬クラシック戦線は非常に混戦模様であり、中心馬不在のレースとなった。1番人気は前走の若草ステークスを勝利して3連勝中のロングシンホニー、2番人気はクライムカイザーを父に持ち、父子2代の東京優駿制覇を狙うマイネルブレーブ、ウィナーズサークルは3番人気であった。4番人気は皐月賞馬ドクタースパート、朝日杯3歳ステークスを制した3歳王者のサクラホクトオーが5番人気でここまでが単勝倍率1桁であり、1番人気のロングシンホニーの単勝でも6.0倍と人気が割れていた。 レースがスタートすると1枠2番と絶好の枠順に入ったマイネルムートが逃げ、NHK杯優勝馬のトーワトリプルが2番手につけるという展開となる。1枠3番からスタートしたウィナーズサークルは1コーナーで無理なく4番手につけてその後は中段に位置取ると、早目に仕掛けたロングシンホニーやタマモベイジュ、オースミシャダイらを横目に見ながら足を溜め、最終コーナーを抜けて直線に入ると先団へ向かって加速。早めに抜け出した6番人気のリアルバースデーに残り200メートルで並びかけると、大外から強襲してきたサーペンアップも交えた叩き合いを制し、2着のリアルバースデーに1/2馬身差をつけてゴール。茨城県産馬として、また芦毛馬として史上初めて東京優駿を制覇した。鞍上の郷原は、1980年の第47回東京優駿のオペックホース以来となる同レース2勝目となった。調教師の松山にとっても、1983年の第50回東京優駿のミスターシービー以来、2回目となるダービー制覇であった。
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